バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

宿」の記事

ダラムサラ(1)~マクロードガンジの電飾

2011年10月 6日

さて、マクロードガンジに到着したはいいが・・・

[どこだ? ここ・・・]

4年前に来た時には無かった、バス発着所ができている。
そして、出口はどこだ?
幸い、同じ車で来た乗客が階段を上がっていくのに着いて行き、地上の駐車場出ることはできた。しかし、それでもまだここがどこなのかが分からない。灯りが点いている方向に行けば街中に出られるだろうと、ゆったりとした坂道を上っていく。
その先にあったのは、見覚えのある、マクロードガンジ入り口の広場だった。
いや、確かにあの広場に間違いないのだが・・・
こんなにきらびやかだったか?
マクロードガンジの電飾
そこにあったのは、けばけばしい程の電飾だった。
よくよく考えると、私は4年前に来た時もこの時間にこの広場へ来たことはなかった。だから見覚えがなかったというだけのことかもしれない。
ただ、街の真ん中を歩いていると、やはり前よりも華やかな感じになった印象は否めない。

宿は4年前と同じ、ルンタ・ゲストハウスにした。街の中心から少し外れていて、閑静な場所にあるこのゲストハウスは、ツインルーム200ルピーで部屋もかなり奇麗。これまでのどの宿よりもコストパフォーマンスがいい。
宿の1階はレストラン。このルンタ・レストランはベジ日本料理を出してくれる店だが、日本人客ばかりでなく西洋人旅行客も多く、食事時にはかなり賑わっている。夕食はここで、かき揚げ丼を頂いた。ちょっと私にはつゆだく過ぎたが、それでも久々の日本の味に舌鼓を打つ。

休む前に、ちょっとインターネットカフェに行ってみた。ルンタGHから少し街の方に上った所にある2件に入ったが、いずれも速度・日本語環境とも申し分なかった。

とにかく、今日は(今日も)移動で疲れた。いつもより早めに就寝する。

Ti Sei Guesthouse

2011年10月 1日

ラダックの観光シーズンは一般的に、10月までとされているが、10月になると閉めてしまう店なども多いようで、レーのフォート・ロード~アッパー・トゥクチャ・ロードの川沿いでもシャッターを下ろしたカフェや入り口を閉じてしまった宿が見受けられる。
今回私がレーの寝床に定めたTi Sei Guesthouseも、営業はしているものの宿泊客は私だけと寂しい限りだ。

さて、このTi Sei Guesthouse、私がこれまでレーで泊まった中でも一番のゲストハウスだ。まず閑静さは文句なしのナンバー・ワン。雰囲気もいい。一歩中に入ると花いっぱいの中庭に出迎えられ、建物自体の外観の小奇麗さも手伝って、とても明るく感じられる。宿を仕切っているおばさんも優しく、とてもアットホームだ。庭で遊んでいる4歳ぐらいの女の子やウサギの存在も、ゲストハウスの雰囲気に可愛らしさを添えてくれている。
Ti Sei Guesthouse

通された部屋はそんなに奇麗ではないが、南向きで明るく、暖かい。窓の外も畑や雪山が見えるいい風景だ。客が少なくなった影響か、宿代もレーでのこれまでの最安値となる200ルピーを一発提示してくれた。
Ti Sei Guesthouseの部屋

問題はシャワー(室外)だ。前回のレーの宿やその後の西ラダックでの宿同様、ホットシャワーは無い。宿のおばさんによると、このあたりでは(どのあたりまでかは不明だが)どこもホットシャワーは無く、お湯はバケツで提供だということなので、そこは納得して入った。

レー滞在、と言うか、ラダック滞在も残り数日となる。その“最後の拠点”としてかなり好条件の宿を見つけることができたのではないかと思う。

シャワー

2011年9月27日

ザンスカール・パドゥムの宿は街北部のチャンタン・ホテルに決めた。広くてこざっぱりとしたシャワー・トイレつきの部屋を、300ルピーから250ルピーに値引きさせてもらった。

さて、部屋を決める前に一つ気になることを尋ねてみた。
「ホットシャワーは使えますか?」
「いえ、お湯はバケツで50ルピーの別料金になります」

上の写真を見てもらうと、シャワーはあるし、コックもきちんと2つある。しかし、使えるのは冷水の方だけなのだ。
シャワー
以前、レーの2つ目の宿でシャワーのお湯が出ないと騒いだ私のことだから、別の宿を探すかと思いきや・・・
「分かりました」
と、納得してその部屋に決めてしまったのである。

実は、ラマユルの宿で学習したことがあったのだ。
レーは別として、ラダックではホットシャワーが使えないことが多いのである。例え、寒くなり始めたこの季節でもだ。省エネの一環なのだろうか・・・
ラマユルでもホットシャワーが使えず(宿の主人によると、その宿に限らず地域全体で使えないとのことだった)、石鹸で洗った体を冷たい水でふいて、冷たい水で洗髪をした。この日もその繰り返しである。入浴後は、予め手持ちの魔法瓶に入れてもらった熱いチャイを飲んで体を少しばかり温めたが、それでもまだ寒い。

ラダックに来てあちこち回ろうとする人は、気合で冷水浴するか、体を洗わないかの気構えが必要になるかもしれない。

え? 50ルピーぐらいけちるなと?

(ちなみに、アルチで私が泊まった宿はシャワー・トイレつきの部屋なのに冷水すら出ず、カルギルで泊まった宿では自分の部屋があるフロアにシャワールームが見つからず他のフロアを探すのも面倒だったので、これらの日は入浴せず別の場所に移動した次の日に2日分纏めて冷水浴した。まあ、2日に1回ぐらいでも別にいいじゃないですか・・・)

ラマユル・ゴンパ

2011年9月25日

ラマユルでの「宿の目星はつけていたのだが、そちらの方向に向かって坂を上り始めるや否や、
「Homestay?」
と、ラダッキ(ラダック人)の男性に声をかけられた。値段を聞いてみると、1泊150ルピーだという。安いし、これまでの経験からまたホームステイをするのも悪くないと思ったので、その話に乗ることにした。但し、この宿に限らずこの一帯はホットシャワーが出ないとのことで、日中またしても寒さに震えながら水で体を洗うことになる。

「JULLY HOME STAY」というその宿で昼食をとった後、ここに立ち寄った唯一の目的であるラマユル・ゴンパを目指す。

まず目を見張るのは、その外観だ。真っ白な壁、赤茶色の屋根や窓枠がまばゆいほど奇麗なのは19世紀にドグラとの戦争で破壊されたのを再建したものであるからだが、元の姿が立派なものでなければ、これ程のずっしりとした安定感をもって再建されることはあり得ないだろう。
201109250201.jpg

中でも私の心を引きつけたのが、本堂に隣接するチョルテン(仏塔)群である。大小18基もあるという中、とりわけ大きな2基はやはり近年になって再建されたものであることは明白だが、スノーライオンや孔雀のレリーフがあしらわれていたりして存在感は格別だ。
チョルテン群
その他小さなチョルテンも、マニ石(経文やマントラ等が刻まれた石)が無数に供えられていて、信仰の具としての役割を果たしている。
チョルテンの林全体の周囲には周回路と、マニ車が設置されている。回しながら歩いていると、一体いつになったら終わるのだろうと思わさせられるほどの数がある。それだけチョルテンの林が広いということだ。そしてよく見ると、マニ車とマニ車の間には石に描かれた仏様が安置されている。まるで、マニ車を回して歩く人々を見守っているかのようだ。
201109250203.jpg
普通なら本堂が主役でチョルテンは脇役、というバランスが普通だが、このゴンパでは本堂とチョルテン群が言わば“双頭の鷲”の如く対等なバランスで存在している。

再建されたが故の真新しさということもあるが、このゴンパの外観の立派さは、これまで見た中でもかなりのレベルに達していると言えるだろう。

――え? 中はどうかと?
まあ――元々あったものはドグラとの戦争で破壊されたようなので――ごくごく平凡だった。

一旦下界に下りて色々な角度からのゴンパの眺めを楽しんだが、チョルテン群をもう一度見たい余りにまた上って、マニ車を回しながら周回してしまった。
その帰り道、偶然宿の主人と出くわした。挨拶をして、分かれ道の右側を行こうとすると、
「仏教的には左側を行くのが正しいですよ」
と言われた。よく見ると、分かれ道の間にはマニ石がびっしりと敷き詰められたマニ壇が横たわっていた。なるほど、聖地を回る場合は右回りに歩くというチベット仏教の原則を考えると、確かにこの場合はマニ壇の左を歩くのが正しい。
201109250204.jpg
それにしても、このゴンパは今まで見たどこよりも、マニ石が多いような気がする。

レー → アルチ

2011年9月24日

前日、「夜10時まで開いています」と言っていた洗濯屋に9時すぎに行ってみたら、既に閉まっているではないか…
[おいおい、出していた洗濯物を受け取らないとレーを離れられないぞ]
一時はこの日朝8時の出発が危ぶまれたが、7時にその洗濯屋がシャッターを開けてくれ、洗濯物を受け取ってどうにか余裕を持ってレーのバスターミナルに行くことができた。

バスターミナルで1人の日本人男性を見かけて声をかけてみたところ、寄り道はしないものの私同様ザンスカールを目指しているという。
「レーからの直行バスが見当たらなくて…」
「カルギルからパドゥム(ザンスカールの中心都市)へのバスも少ないみたいですよ」
カルギルを経由してパドゥムを目指す私にとって、少し不安材料が発生してしまった。

しかし、今の私にとってはまず次の目的地・アルチに向かうことが当面の目標だ。
8時発のアルチ行きのミニバスの屋根にしっかりとバックパックを固定して席に着き、午前8時、レーを出発する。
ミニバスの車内
ミニバスの車内

実は、アルチ訪問は2日前に急遽決めたことだった。
事は、パンゴン・ツォからの帰り道の途中で「にゃむしゃんの館」に立ち寄った時の会話に始まる。

「え? まだアルチに行ってないんですか? あそこには絶対行かないと!」

ラダックに来るに当たって殆ど全くと言っていいほど予習をしていなかった私が「アルチってどこ?」的な発言をするや否や、「にゃむしゃんの館」の女主人エツコさんとパンゴン・ツォへ一緒に行った吉田さんが一斉にそう言った。何でも、仏教美術の素晴らしいゴンパがあるという。
そう言われると行かない訳にはいかない。アルチはちょうど、レーからザンスカールへ行く途上にあるのだから、その行程に組み込めばいいだけの話だ。

ということで、アルチに立ち寄ることにした次第である。

アルチは下ラダック、即ち、レーから見てインダス川の下流の地域に属する街だ。バスはインダス川を下っていくコースを取るのでほぼ下りばかりのコースになるかと思いきや、レー空港を離れて暫くするとどんどん砂漠の山を上って行く。やはりラダックほどの山がちな地域となると、コース取りもそう単純にはいかない。

そうこうしているうちに、山道は下りとなり、再びインダス川が見えてくる。幹線道路はそのままインダス川北岸を先の方へ伸びていくが、アルチ行きのバスはここで幹線道路を外れ、鉄橋を渡ってインダス川南岸へと進んでいく。

鉄橋を渡って10分後の10時半、アルチのバス終着点に到着。終着点とは言ってもバスの発着が1日計4回しかない街なのでバスターミナルと言うよりは単なる駐車場のような場所である。

宿は、手持ちのガイド本に「最も安い」と書かれていたLotsava Guesthouseにするが、それでも300ルピーかかった。今回の旅で初のバス・シャワー付きの部屋となったが、お湯はおろか水も殆ど出てこない。窓の外は農村風景だが、下手に窓を開けて外の空気を吸おうとするとハエが何匹も入り込んでくる。ちょっと失敗した。

周囲は前述の通り農村地帯で、牛や羊、ゾなどの家畜の姿が見られる。後でちょっと上手に上った時には、立派なヤクの姿も見ることができた。
「モー」や「メー」のほか、ロバがオットセイかチューバッカのような奇妙な声を上げるのが時折聞こえてくる。

さて、到着したばかりで少し気が早いが、次の目的地への移動方法を考えよう。レー方面なら直行バスが出ているが、私の進む逆方向にはバスが出ていない。どうすればいいのか、バスの終着点と宿で確認したところ、答えは一緒だった。

「鉄橋まで何とかして行って、そこからバスなりトラックなり拾ってください」

“何とかして”というのはつまり――最悪の場合、バスで10分かかった距離を「歩け」ということである。

ATISHA GUEST HOUSE

2011年9月22日

チェムレ・ゴンパからまずはストクの「にゃむしゃんの館」に戻り、お茶を少しご馳走になった後、レーに戻る。

先日も書いたように、今回レーに戻った後は小川のせせらぎが心地よい閑静なフォート・ロード近辺に宿をとろうと考えていた。この辺りは閑静な上に、旅行社・レストラン・商店など旅行者にとって必要な店が揃っていて何事にも不便しない点も魅力である。

小川のそばの宿を回った結果、私はATISHA GUEST HOUSEを次の出発までの住処に決めた。
ATISHA GUESTHOUSE
(翌日日中に撮影)

決め手になったのは、部屋代と内装のバランスだった。
案内されたのは、シャワー・トイレ共同のダブルルームで、1泊250ルピー。扉を開けるとその中は、広々としていて明るさと清潔感のある内装だった。天井を見ると、先日「にゃむしゃんの館」やパンゴン・ツォのホームステイ先で見た、ポプラの梁と柳の建材というラダック伝統の建築様式になっているのも大きなプラスポイントとなった。
表の小道に面していて窓の外は向かいの建物の壁という愛想の無い眺めだが、幸いにもその壁に窓は無く、向かいの人と窓を隔てて「ジュレー」ということも無い。
ATISHA GUEST HOUSEの室内

探せばボロくてももっと安い部屋が見つかったかもしれないが、先日まで泊まっていた同じく250ルピーの宿と比べて遥かに住み心地が良く、コストパフォーマンスが極めて高く思われたので、ここに決めることにした。
そして、これは結果論だが、今のところ電気が停まることが、夜中も含めて少なく、人の少ない昼過ぎだけというのも素晴らしい。

ただ、一つだけ大きなマイナスポイントがある。共同のものしか分かっていないが、シャワー等でお湯が出ない点である。お湯を使いたい場合は入り口近くにある、ボンベに直結したガスコンロで沸かしてバケツでシャワールームに持って行って下さい、という方式だ。
この一点の手間を厭わない、という人にはぜひお勧めしたいゲストハウスである。

<追記>
しかし、翌日日中に浴びようとしたところ、そのガスコンロがうまく動かず、結局日なたで少し温ませた水で強行水浴する羽目になってしまった…

ストクの農村生活

2011年9月16日

ちょっとレーの街中から離れて南に約15kmにある、インダス川西側の村・ストクへ赴く。ここで1泊して農村生活を垣間見るプランに参加したのである。

時計の針を9月12日に戻す。
朝食を買いにレーのジャーマン・ベーカリーを訪れた時のことだ。こんな貼り紙が目に入った。

伝統的古民家「にゃむしゃんの館」
日本人の皆様、レーの街の喧騒を離れ、静かな農村を満喫しませんか?  動物、素朴な人々、大自然があなたを待っています。

今回のラダック訪問で、農村訪問はぜひ実現させたいところだったが、どうすればいいのかが分からない状況だった。そんな私にとって、このプランは願ってもない好機だった。
早速、貼り紙に書かれていた「にゃむしゃんの館」経営者の日本人女性エツコさんにメールで連絡を取り、本日の訪問となった次第である。

時計の針を元に戻そう。

レーからストクへはバスで約1時間 。僅か15kmの距離だが、途中満員状態で田舎道を通るものだから、そのくらいかかってしまう。
知っていないとそれとは分からないトレッキングスタート地点の発着点に到着すると、エツコさんが出迎えにきてくれていた。小道を少し上ったところにある「にゃむしゃんの館」に案内された。

少し休憩をした後、まずは家の中を案内してもらう。最近になって一部修理されたとはいうものの、古き良きラダックの家屋の伝統をしっかりと引き継いでいる。
台所では、牛やゾ(ヤクと普通の牛とを交配させた牛の仲間)の糞を主な燃料として、鍋などを熱するばかりではなく、冷めたものを温め直したり洗濯物を放り込んで乾かしたりもできる機能的なかまど、バターを攪拌するための桶などを紹介してもらう。
201109160101.jpg

家屋の主な建築材は日干し煉瓦である。この日干し煉瓦、壊れたものは水で戻して煉瓦の間を埋めるセメント役として再利用できるという。天井は、間隔を空けて渡されたポプラの梁(縁起をかついで必ず奇数本)の上に柳(日本でイメージされるしだれ柳とは逆に、枝が上を向いている)の枝を隙間なく敷き詰めて造られている。使われなくなった家屋の建材を再利用するなど、全てに無駄が無い。

人が生活する場は建物の2階から上。1階は家畜小屋になっているのが一般的だ。というのは、家畜の糞が発する熱が階上に上昇することで天然の暖房になるのだという。

表に出て、大麦畑を案内してもらう。畑は緩やかな斜面になっているが、水路から導いた水は下から上に流れるように誘導されるという。
「今はもう大麦の収穫が終わってしまいましたが、ゴールデンウィークあたりに来たら歌を歌いながら種植えをする光景を見ることができますよ」
とエツコさん。なるほど、農村を訪れるにも適した時期があるということだ。この次にはぜひ、その時期を狙って行きたいものだ。

201109160103.jpg
近所の畑で刈り取られた大麦

その後、家から足を延ばして表に出てみる。
まず、山の中腹に案内される。ゴンパのような建物が建っているが、これはこの近辺の集落のコミュニティセンター的な施設だという。近くには精霊を祀ってあるという塚もある。
「写真を撮りに山に登ってみませんか?」
エツコさんが言う。インダス川の向こう側には、昨夜の大雨が山では雪となったのか、昨日よりも雪を頂いた山が増えたようにも思われる。しかし、生憎の曇り空で雪山はその頂を覆い隠されており、今山の上に登っても余りいい被写体にはならないように思われたので、わざわざ体力を消耗するようなことはやめておいた。

その近くにあるチョルテン内部に入ってみると、11世紀前後のものといわれる仏画が壁一面に描かれていた。拝観料も何も無しでこれだけのものを見られるというのはなかなかの穴場だ。ちょっと得をした気分である。

更に村落から離れると、荒涼とした砂漠地帯に入った。夜になると凶暴化して家畜を襲ったりすることもある“ラダックのギャング”野犬や、僅かな牧草地帯で放牧されているゾの群れを見ることもできる。
「塚が見えますよね ―― あれ、お墓です」
確かに、まばらではあるが幾つかの塚を見ることができる。縦長のものや横長のものがあるが、縦長のものは以前遺体を座らせた状態で火葬したもの、横長のものは最近になって遺体を横たえて火葬するようになった後のものだという。
(ちなみに、チベット本土で今なお行われている鳥葬は、ラダックでは全く行われていないという)
近くにある水場には、牛やゾの白骨が転がっていた。こちらは家畜の墓場となっているようである。

「チョグラムサルの向こうを見て下さい。建物が全く無い場所があるのが分かりますか?」
インダス川の向こうを指差しながら、エツコさんが言う。
「昨年の洪水で、あのあたりの家が全部流されてしまったんです・・・」
のどかな場所とはいえ、やはり自然環境の厳しさがラダックの現実。その自然環境と共存し、時には闘いながら、人々は生きているのである。

夕方からはエツコさんの夫・ワンボさんのご家族の家へ行って牛の乳搾りやニンジン・リンゴ等の収穫の様子を見せていただいたほか、細長い筒を使ったバター茶作りの実演も見せていただいた。なお、ここの家で買われているゾは角が立派で、この家の「家宝」と言っても差し支えないかもしれない。
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にゃむしゃんの館に戻り、午後8時から夕食。小麦やジャガイモをふんだんに使ったラダックの家庭料理「スキュー」を頂く。

それから就寝までは、エツコさんたちとラダックの旅やチベットのことについて話に花が咲く。エツコさんはチベット文化がラサよりも残っているアムドやカムに、ワンボさんは巡礼のためにラサに行くのが夢だという。
「チベットの大地へ」を1冊お買い上げ頂いた。これでまた、お2人のチベット行き願望にまた火がつくか(笑)。

※ ちなみに2011年現在、ストクへのバスは観光名所のストク・ゴンパやストク・カルには行かなくなっている。

いざ ラダックへ

2011年9月11日

朝5時半前に自然と目が覚めたので、そのまま準備して空港へ向かうことにする。
空港へ向かう地下鉄の始発の時間が分からない。それに、まだ疲れが体に残っている。重いバックパックを背負って駅まで行って無駄足だったらまた疲れが増幅されそうに感じられたので、素直に宿の張り紙にあった空港タクシーを利用することにした。
ちなみにそのタクシー料金は、プリペイド(前払い)で250ルピー。昨夜空港で利用した350ルピーのプリペイドタクシーより100ルピーも安い。

――やはり、デリー空港のぼったくりスピリットは生きていた。

昨日のこともあってゆとりを持って出かけたところ、チェックインの時間開始の10分前に到着。ゆとりを持ってチェックインをし、ゆったりと食事をしてゆったりとパソコンを開いて――言うまでもないことだが、やはり時間に余裕があった方が心にも余裕ができる。

午前9時前、GoAir社のレー行きの便が離陸する。上昇していく機体の窓から下界を見ていると、タージ・マハルのようなモスク風の巨大な建造物が大きな川のほとりに見える――いやどう見てもタージなのだが、タージのあるアーグラーはデリーの南でレーはデリーの北である。まさかレー行きの便がアーグラーまで旋回したと言うのだろうか、それともタージとは別の何かだったのだろうか・・・

窓の下はすぐに緑深い山の景色へと変わっていった。と思うとやがて眼下には雪山が広がり、そして雪山の景色も間もなく終わり、眼下の山は土むき出しの褐色へと変わっていった。

間違いない――これが、ラダックの大地だ。

高ぶる気持ちが抑えきれなかった。

40分ほどの間でこうした目まぐるしい景色の変化が起きたかと思うと、9時30分すぎ、降下が始まった。機体が安定高度を保っていたのはコーヒー1杯を飲んでいる間だけだった(ちなみにこのGoAirの機内サービスで出たコーヒーはレギュラーコーヒーではなく、砂糖たっぷりのインスタントコーヒーだった。これが格安航空会社のサービスというものか)

降下は始まった。しかし、滑走路が全く見えてこない。実際のところは降下を始めた時には山陰の死角の先にあって見えなかったのだが、いくら旋廻をしても見えてこない。褐色の地面がどんどん近づいてくる。このまま褐色の地面に胴体着陸か?という冗談まで頭をよぎったが、着陸寸前になってようやくアスファルトで舗装された滑走路の端が窓の外に見え、そのまま無事着陸した。

タラップを降りてバスで到着口へ移動し、預けていたバックパックを受け取ってさあ、空港の外へ――とその前に、外国人はラダック入境手続きをしなければならない。とは言っても入境許可証を発行されるという訳ではなく、インドの入国審査で提出したような規定の用紙に必要事項とサインを記入して提出したらそれでOK、という簡単なものである。

これで空港から出ることができる訳だが、空港から街中へ向かうには迎えが来ているのでなければまたしてもプリペイドタクシーということになる。私は一人旅なので割高になってしまうが――そこは旅を繰り返して身に着いた図々しさを発揮する場面である。近くにいた外国人(オーストラリア人だった)2人組に「タクシーをシェアしませんか?」と申し出たところ、快く受け入れていただけた。街中まで1人だったら210ルピーかかったところを僅か70ルピーで行かせてもらった。

レーの中心街であるメイン・バザールに到着したところで私はタクシーを下りた。運転手に教えられた方向に歩くと、確かに目指すゲストハウスへの道標があった。現地の人にも尋ねながら、無事目指すゲストハウスに到着。一番安い250ルピーの部屋に案内してもらったが、同じ250ルピーでも、昨夜デリーで泊まった宿よりも広々としていて小ざっぱりとしている。それに、窓の外にレー王宮が見えるという景色のよさも私の心を惹き付けた。

決まりだ。

私のラダック巡りは、ここを拠点にいざ始まりだ。

香港着

2011年9月10日

9月9日の23時20分ごろ、香港着。

香港着


しかし、100ドル両替したら710香港ドルで市内へ行くバスの40香港ドルがお釣りなしで払えず、崩している間にバスが行ってしまったというちょっとしたハプニングがあった。その代わり、A11のバスが深夜モードのN11に変わって31香港ドルに値段も下がってむしろラッキー!と思っていたら空港施設内を20分ほどぐるぐる回ってようやく市内に向かってくれるという有様で、宿に着いたのは結局夜中の2時になってしまった。

真夜中の香港


真夜中の香港(バスの中から撮影)

宿のことだが、こうも遅くなると、チェックインが原則24時までのラッキー・ゲストハウスやゴダイゴ・ゲストハウスは使いにくい。そうなると重慶大厦(チョンキンマンション)か美麗都大厦(ミラドーマンション)の安宿を利用したいところだが・・・
実は今回、次の飛行機が夕方になるので、午後は荷物を宿のフロントに預けなければならないのだ。チョンキンやミラドーでそんなことをするのは余りに危険すぎる
ということで今回は、ネットで見つけた24時間チェックインOKのSun Kong Hostelに予約を入れておいた。一番安いのは260香港ドルのバス・トイレ共同のシングルだが、チョンキンの宿より高い割には、清潔感と安心感こそあるものの、部屋の広さはチョンキンの宿よりも狭い。

宿の部屋



香港に来るのは実に・・・

4か月ぶり。

はい。4か月ぶりです。4年ぶりではありません。
実は、今年のGWにギリシャへ行った時も香港経由で、今回も期せずして香港経由となったのだ。
これで香港に来るのは、1泊だけして通過した時も含めて6回目になる。
「そんなに香港が好きなのか?」という声が聞こえてきそうだが・・・

はい、大好きです。

かなり気に入っています。

明けて今日は、インド・デリー行きの便がまた夕方になるので、香港の街をぶらぶらする予定。
しかし、前回も感じたことだが、こうも何度も来ていると行動がマンネリ化してしまう。何か新しい発見をしないと・・・

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