バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

レー」の記事1 / 2

ラダックの牛、インドの牛

2011年10月23日

今回の旅は、ラダックを含めてインドを巡るものだった。

インドはご存知の通り、ヒンドゥー教で神聖視されている牛の天国である。
てか、こいつら甘やかされすぎ
時々現地の人たちに怒鳴られたり引っ叩かれたりもするが、基本的に気ままで偉そうに振舞っている。

飼われている牛もいるが、私が目にした牛の大多数は野良だった。
自然に生き、自然に食べ、自然に繁殖している。

ラダックとて、お国はインド。やはり野良牛天国だった。
レーの野良子牛
レーの路地を普通に歩く野良子牛

本当は、チベット文化圏に来たからには見た野良牛の数だけヤクを見たかったのに・・・
本当は、チベット文化圏に来たからにはヤク料理を食べたかったのに――牛を食べないインドの習慣がヤクにも当てはめられたのか、ついにヤク料理を食べることはできなかった。

そして、この牛たちには困らせられたこともしばしばあった。

ダラムサラでは、リンコル(コルラ道)でサルの写真を撮っていたら何度も牛に軽く頭突きを食らわせられた・・・。

バラナシでは、道に普通に落ちている牛の糞を踏まないようにと変な所で気を遣わさせられた・・・。
バラナシの野良牛
バラナシで残飯をあさる野良牛。こいつらのせいでバラナシの道が・・・

バラナシで牛と言えば、4年前、往来を走り回る暴れ牛に危なく追突されそうになったこともあったっけ・・・

(話を今回の旅に戻して)
歩いていて牛に道を阻まれるなど日常茶飯事。車に乗っていても、牛の大群に道を阻まれることがあった・・・。

道を阻むぐらいならまだしも、私が乗っていた車の前に急に飛び出して来て危うく轢き殺されそうになった牛すらいた・・・。


ニクイ・・・
牛が肉い・・・。

ええい。
お前なんてこうしてやる!!
牛丼

てな訳で?日本に戻って真っ先に食べたのが、↑コレ↑。
インドにいる間、好物の牛肉を全く食べることができず、牛肉に飢えていたのである。

6週間ぶりの牛肉――あーうまかった(笑)。


<追記>
いえ、本当は嫌いじゃないですよ、牛。最後の部分は言うまでもなく半分ジョークです。

Ti Sei Guesthouse

2011年10月 1日

ラダックの観光シーズンは一般的に、10月までとされているが、10月になると閉めてしまう店なども多いようで、レーのフォート・ロード~アッパー・トゥクチャ・ロードの川沿いでもシャッターを下ろしたカフェや入り口を閉じてしまった宿が見受けられる。
今回私がレーの寝床に定めたTi Sei Guesthouseも、営業はしているものの宿泊客は私だけと寂しい限りだ。

さて、このTi Sei Guesthouse、私がこれまでレーで泊まった中でも一番のゲストハウスだ。まず閑静さは文句なしのナンバー・ワン。雰囲気もいい。一歩中に入ると花いっぱいの中庭に出迎えられ、建物自体の外観の小奇麗さも手伝って、とても明るく感じられる。宿を仕切っているおばさんも優しく、とてもアットホームだ。庭で遊んでいる4歳ぐらいの女の子やウサギの存在も、ゲストハウスの雰囲気に可愛らしさを添えてくれている。
Ti Sei Guesthouse

通された部屋はそんなに奇麗ではないが、南向きで明るく、暖かい。窓の外も畑や雪山が見えるいい風景だ。客が少なくなった影響か、宿代もレーでのこれまでの最安値となる200ルピーを一発提示してくれた。
Ti Sei Guesthouseの部屋

問題はシャワー(室外)だ。前回のレーの宿やその後の西ラダックでの宿同様、ホットシャワーは無い。宿のおばさんによると、このあたりでは(どのあたりまでかは不明だが)どこもホットシャワーは無く、お湯はバケツで提供だということなので、そこは納得して入った。

レー滞在、と言うか、ラダック滞在も残り数日となる。その“最後の拠点”としてかなり好条件の宿を見つけることができたのではないかと思う。

カルギル―レー

2011年10月 1日

カルギルからレーへのバスは定刻通り、5時に発車した。
インドの大型バスは一般的に、乗客の座席部分と運転席を含めた前部が壁とドアで仕切られているのだが、私と田辺さんは予約するのが遅かったためか、運転席側に割り振られた。
しかし、この席が割と面白かった。バスの行く手が他の客席よりも一目瞭然だし、バスを動かすルールが垣間見えたりもする。例えば、

・途中下車する乗客がいたら、車掌が運転席のドアをノックして知らせる。
・後ろの車に抜かれそうになったら、相手に「どうぞお先に」と手で合図する。

等々。
運転席側の座席

また、前日のパドゥム~カルギル間の時もそうだったが、行く時とは逆方向を走っているがために見え方が違ってくること、見えていなかったものが見えることもある。

前者の例は、
ラマユル・ゴンパ
違う角度から見下ろすラマユル・ゴンパ

後者の例は、
バスコのゴンパや城跡
バスコ(レーとアルチの間の街)のゴンパや城跡

同じ場所を通っても、角度・時間(タイミング)・天気等によって変化するから風景というのは面白い。

ところで、先述のバスコのゴンパ等を通過した直後のことだった。
ラダックには、かつて国境紛争の舞台になったという背景から、街道沿いにも軍事施設が多く見られるが、バスコにもそれはあった。そこの軍事施設にはこともあろうに、チョルテン(仏塔)やマニ車が設置されていたのである。
[マニ車を回しながら、チョルテンをコルラしながら、戦争の備えか?]
悲しい、やり切れない、腹立たしい思いで胸がつかえた。

さて、出発前にはカルギル~レーの所要時間は7~8時間ぐらいと聞いていたが、来る時の時間のかかり方を考えてみるとそんなに早く着けるとは思えない。しかし、来る時に大渋滞が発生していた終盤の区間を今回は車の殆ど無い早朝の時間に駆け抜けることができた時は、あるいはもしかすると、と期待させられた。
しかし、やはりそうはうまくいかなかった。
昼を過ぎると、車の通行量が増えたり工事が行われたりで、通行が妨げられる場面が何度か発生した。それでも出発から9時間半後の午後2時半にはレーに着くことができたのは、褒めてやってもいいかもしれない。

1週間ぶりに戻って来たレー――何か懐かしいような、ほっとしたような気分になった。
以前、このブログで「メイン・バザールが騒がしい」「癒しにならない」などと散々書いてしまったレーだが、こうして戻ってくるとその喧騒にまでも懐かしさを覚える。
バスを下り立った私の第一声は、こうだった。

「俺、やっぱりこの街が好きだ」

レーに見るチベット仏教

2011年9月23日

レーに来てはや13日目になる。ここまで、レーで何度も目にしながらここで書いていなかった、レーに見るチベット仏教について少々書くことにする。

<レー・ジョカン(ゴンパ・ソマ)>
レー・ジョカン
チベット本土の首都・ラサの中心寺院がやはり「ジョカン」であることから連想されるように、レーの、と言うよりラダックの仏教の中心寺院がここである。周囲のゴンパに比べて規模は小さいこともラサのジョカンと同じだったりする(とは言ってもラサのジョカンはレーのものよりもずっと大きいが)。それでも中心寺院であることに変わりはなく、礼拝者は後を絶たない。ロサル(チベット正月)やラダック・フェスティバルの際にはイベント会場にもなる。

<マニ車>
マニ車
中に経典が入っていて、1度回すとお経を1回唱えたのと同じ功徳が得られるという。高さ数メートルの大規模なものから、寺院等の周囲に幾つも連ねられている中規模のもの、手に持って回すことのできる小規模なものと、大小さまざまある。特に大規模なものは、1回回すたびに「カラーン」という鈴の音が鳴り響き、これがラダックはじめチベット文化圏を象徴する音になっていると言ってもいい。

<タルチョ>
タルチョ
青・白・赤・緑・黄の5色の祈祷旗。表面には経文やルンタ(風の馬)などが描かれている。風にはためくごとに功徳が得られるという。寺院などの仏教施設以外にも、一般の家屋や自動車の中などにも張られている。(写真はレー王宮にて)

<マニ壇>
マニ壇
石に経文やマントラを刻んだマニ石を奉納した壇。

翌9月24日から10日ほどかけて、下ラダック、ザンスカールへと向かうことになる。

現地はレーほどにネット環境が整っていない。ザンスカールにはインターネットカフェがあるという噂も耳にするが、自分の目では未確認だ。
その間、ブログの更新は元より、メールの送受信すらままならない状態になる。

チベット難民マーケット

2011年9月23日

レーで買ったばかりのお気に入りの帽子を早々と無くしてしまった。日差しの強いラダックで帽子無しというのはかなりきついので、新しく買いに行くことにした。

最初に買った場所であるポログラウンド近くのマーケットに行こうと歩いていると、メイン・バザールの南端から西へ少し行った場所に別のマーケットを見つけた。入り口には

TIBETAN REFUGEE MARKET (チベット難民マーケット)

と書いてある。
チベット難民マーケット
よくよく見ると、このあたりにはチベット難民のハンディクラフト・ジュエリー売り場があちこちにある。

マーケットの中に入ってみると、特に変わったところは無い。さまざまな日用品が売られている普通の市場である。しかし、ここではチベット本土から難を逃れてきたチベット人が生計を立てるために働いているのだ。
チベット難民マーケット

[決めた、ここで買おう]

仮にもチベット支援を少しばかりやっている身である。自分が買い物をすることがチベット難民のためになるのであれば何よりだ。
その中の1件の店で品定めする。品揃えはそれ程ではないので、デザイン的にベストのものを求めることはせず、ベターなものを選んで購入した。
「お目が高いね。200ルピーだよ」
店の主人が言う。
前にポログラウンド近くのマーケットで買ったものが280ルピーだった。今回のものは200ルピー。同じ品物ではないにしても、80ルピーもお得な値段だ。

これとは別の時間に、手袋も買いに行ったのだが、このとき出された品物の一つが、何と中国製だったのである。チベット難民が中国製の品物を売るとは、何という皮肉だろうか…。
手袋を売ってくれたおばさんが、やたら「Tibet」という言葉を繰り返している。祖国が恋しいのだろうか。
ふと、私はカバンの中に忍ばせていた「Tibet will be Free !」と書かれたバッジのことを思い出し、それを出しておばさんに見せた。すると、おばさんはとても嬉しそうにそのバッジを手にしてしげしげと眺めていた。
「I also hope Tibet will be free !」
私はおばさんに、強い言葉でそう言った。


レーに来る皆さんにお願いがあります。
チベット難民の皆さんのために、レーで日用品を買う時はぜひ、チベット難民マーケットをご利用下さい。

ラカン・ソマ

2011年9月23日

レー王宮の西側にある小さなツェモ・ゴンパというゴンパが、午前8時からの30分間限定で開かれているという情報を得てこの日朝早速行ってみる。
しかし、王宮の真下まで息を切らせて上り、王宮外壁下の道なき道を歩いてようやく到着したものの、門は固く閉ざされていた。

このまま手ぶらでは帰れない、と思って近辺を歩いていると、ラカン・ソマという小さな寺院の門が開いていたので中に入ってみる。
ラカン・ソマ」
2回にあった本堂の内部は取り立てて素晴らしいという程のものでもなかったが、苦労だけして徒労のまま引き返すことを回避できたという意味だけでも実りはあった。

ATISHA GUEST HOUSE

2011年9月22日

チェムレ・ゴンパからまずはストクの「にゃむしゃんの館」に戻り、お茶を少しご馳走になった後、レーに戻る。

先日も書いたように、今回レーに戻った後は小川のせせらぎが心地よい閑静なフォート・ロード近辺に宿をとろうと考えていた。この辺りは閑静な上に、旅行社・レストラン・商店など旅行者にとって必要な店が揃っていて何事にも不便しない点も魅力である。

小川のそばの宿を回った結果、私はATISHA GUEST HOUSEを次の出発までの住処に決めた。
ATISHA GUESTHOUSE
(翌日日中に撮影)

決め手になったのは、部屋代と内装のバランスだった。
案内されたのは、シャワー・トイレ共同のダブルルームで、1泊250ルピー。扉を開けるとその中は、広々としていて明るさと清潔感のある内装だった。天井を見ると、先日「にゃむしゃんの館」やパンゴン・ツォのホームステイ先で見た、ポプラの梁と柳の建材というラダック伝統の建築様式になっているのも大きなプラスポイントとなった。
表の小道に面していて窓の外は向かいの建物の壁という愛想の無い眺めだが、幸いにもその壁に窓は無く、向かいの人と窓を隔てて「ジュレー」ということも無い。
ATISHA GUEST HOUSEの室内

探せばボロくてももっと安い部屋が見つかったかもしれないが、先日まで泊まっていた同じく250ルピーの宿と比べて遥かに住み心地が良く、コストパフォーマンスが極めて高く思われたので、ここに決めることにした。
そして、これは結果論だが、今のところ電気が停まることが、夜中も含めて少なく、人の少ない昼過ぎだけというのも素晴らしい。

ただ、一つだけ大きなマイナスポイントがある。共同のものしか分かっていないが、シャワー等でお湯が出ない点である。お湯を使いたい場合は入り口近くにある、ボンベに直結したガスコンロで沸かしてバケツでシャワールームに持って行って下さい、という方式だ。
この一点の手間を厭わない、という人にはぜひお勧めしたいゲストハウスである。

<追記>
しかし、翌日日中に浴びようとしたところ、そのガスコンロがうまく動かず、結局日なたで少し温ませた水で強行水浴する羽目になってしまった…

フォート・ロード一帯

2011年9月20日

今いるOld Ladakh Guest Houseも、メイン・バザールに比べれば閑静だが、何か物足りない。ストクの農村体験で1泊して戻ってからは王宮の見えない部屋に入ってしまったのでなおさらだった。

と、レーの街をうろうろ歩いている間に、いい場所を見つけた。
フォート・ロードと、サンカル方面から流れてくる小川が交わった一帯である。
201109200301.jpg

ここは、カフェや旅行社、宿なども結構多い割には閑静で、そして小川のせせらぎが耳に心地よい。
せせらぎの音――そう。私にとってこれは、結構重要な癒しのポイントなのである。

決めた。

明日からレーを離れて1泊してくるので、そこから戻ったらこのあたりに宿を移そう。

レーの電気・水事情

2011年9月20日

あくまで旅人目線で感じたことではあるが、ここでレーの電気・水事情について。

<電気>
供給量が足りないためか、電気が通じなくなる時間帯が多分にある
勿論、商店やインターネットカフェ等では営業時間中は電気が常時通じているが、それでも時には電気が停まることがあるので、自家発電を準備している店も見受けられる。
そして、旅人の生活の場となるゲストハウス等では、(あくまで私が泊まっていた宿での経験上であって、もしかしたら場所やグレードによって違うのかもしれないが)明け方や夜の一般的な人間の活動時間においてはきちんと電気が通じているが、夜中の11時以降はまず通じなくなり、昼間も通じなくなることがある。
そして、突然の要因で突然停電が発生することも少なくない。
宿に入る時、戻った時は、まず電灯をつけて電気が通じているかを確かめよう。そして、電気が通じている時を逃さずに、ホットシャワーを浴びたり充電をしたりしよう。

(と、この原稿をちょうど書き終えた午前7時10分。突如として電気が停まった)

上記の停電の多さに加え、夜の裏道は街灯が無いことが多いので、懐中電灯は必需品である

<水>
これまでのところ断水の憂き目に遭ったことは無いので電気ほどではないのかもしれないが、レーでは水もそれ程豊かではないようで(近くを流れるインダス川も、上流なので水量はさほどではない)、節水の呼びかけがあちこちで行われている。
早朝になると、メイン・バザール等で面白いものが見受けられる。水供給車だ。

これが来ると、近辺の住人たちがバケツや水タンクを手に大勢、車に群がってくる光景が見られる。中には、飲食店関係者だろうか、何百リットル入るのかという巨大なタンクで水を補給する者もいる。給水が足りないまま車が走り出したら、車を追いながら給水を続ける者すらいる。
201109200101.jpg

こうした光景を見ていると、日本がいかに電気や水に恵まれているかを再認識させられる。殊に電気は昨今、節約が求められているが、それでもラダックに比べれば遥かに恵まれているのだ。エネルギーの使い方をもう一度、見つめ直してみる必要があるかもしれない。

レーという街

2011年9月19日

ラダックといえば静かで落ち着いていて癒される場所、というイメージがあることだろう。
確かに、全体を見ればそうなるかもしれない。しかし、私が9日間拠点にしてきた中心都市・レーという街はどうかと言えば・・・

 人が多い
 観光客が多い
 車が多い

総じて、賑やかなのだ。
ほんの少しだけ中心街から外れれば、静かな場所もある。しかし、その中心街であるメイン・バザールは上記の如く、とにかく賑やかだ。
201109190201.jpg

しかし、“賑やか”に止まってくれればそれは許せる。
一番許せないのは、車のクラクションだ。
インドという国が総じてそうであるように、とにかく遠慮なくクラクションを鳴らすのだ。

以前書いた「にゃむしゃんの宿」のチラシ
「レーの街の喧騒を離れ、静かな農村を満喫しませんか?」
と書かれていた。
まさしく、レーの街にあるのは“喧騒”なのである。

幾ら癒しの地・ラダックに来たとはいえ、
レーに、特にメイン・バザールにいてばかりでは、
全く癒されない。

やはりそろそろ、先日ストクで体験したように、レーとは別のラダックで本当の癒しを体一杯に体感したい。

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