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「聖地チベット展」を参観して(まとめ)

6回にわたって「聖地チベット展」参観レビューを書いてきたが、ここでまとめを。

第6回の記事でアンケートに書いた内容が、私の率直な感想である。

 ・信仰の対象としての敬意が払われていない
 ・展示物があった寺院などがどうなったのか説明されていない
 ・チベットの現状について一切触れられていない

(1)信仰の対象としての敬意が払われていない

同展を参観した方々のブログには、
「(芸術品として)素晴らしかった」
という声が多く掲載されている。確かに、同展の出品物はどれも一級品であり、心を奪われる美しさがあることは認める。
しかし、繰り返し書いてきたように、丸裸で展示されている仏様にくさい息がかかってしまうような展示のし方がされているなど、チベット仏教を信仰する者にとっては考えられないやり方で展示されている。
そもそも、当の展覧会を持ち込んだ連中が「宗教はアヘン」という考え方なのだ。こういう風になってしまうのもある意味自然なことか。

この展覧会は、単純に美を鑑賞する、という態度で見ていいものなのか。
それでは足りないだろう。
なぜなら、同展の出品物は信仰の対象だからだ。ほんの少しでも構わない。信仰の心、もしくは神仏を敬う心、あるいは宗教的な関心を持って見る必要があるのではないか。
そうでなければ、信仰心を失った日本人(私もチベット仏教と邂逅するまではその一人だったが)が、この展覧会を持ち込んだ中国当局の罠にまんまとかかってお金を払ってしまった、という図式になりかねない。

(2)展示物があった寺院などがどうなったのか説明されていない

まあ、真実の通りに「人民解放軍はチベットに6000以上あった寺院の99.9%を破壊し、そこにあった仏像・仏具を破壊もしくは略奪していった。ここに展示されているのは、そうした仏像の一部です」なんて書けないわな(笑)。
有難みを感じさせる仏様たちだが、実はそうした侵略・破壊の血に染まっているという風にも言うことができるのである。

(3)チベットの現状について一切触れられていない

これに関しては、連載第6回で

「チベットは中国によって平和的に解放された。ダライ・ラマは悪者である」などと本気で考える者は日本人の中にはいない(真実をきちんと知っているか、チベットことを全く知らないかのいずれか)訳で、この展覧会を日本に持ち込んだ連中の歴史観でこの時代を語れば展覧会も信用を失ってしまう。そこで20世紀後半の歴史には一切触れないでおこうということにした――といったところか。

と書いたとおりである。
危ないのは、上記の「チベットことを全く知らない」方。チベット人とチベット仏教は中国共産党の侵略で虐げられているにもかかわらず、「チベット仏教は中国の統治下で手厚く保護されている」という誤解を植え付けられかねない。

ある方が「思ったほどプロパガンダ色が無くて拍子抜けした」という感想を述べていた。確かに、多くの部分は客観的なことを淡々と述べているように見える。しかし、「語らないことによるプロパガンダ」というのもあり得るのではないだろうか。

※            ※            ※

最後に、この展覧会は見るべきか見ざるべきか。

見に行きたいという方を無理やり止める権利はありません。見に行きたいのであれば行ってください。但し、行くのであれば上記の観点を心の片隅にでも置いていただければと思う。


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