バス憧れの大地へ

雑記ブログ

九州北部100名城巡り(5)――吉野ヶ里、佐賀城、唐津城

2022年5月4日

8時17分、久留米を出発。鳥栖で乗り換えて向かったのは、佐賀の吉野ヶ里(100名城No.88)。
写真
吉野ヶ里歴史公園入り口
吉野ケ里といえば弥生時代の遺跡として有名で、「これって城なの?」とお思いの方もいるかもしれない。しかし、当時は部族間の抗争が絶えず、吉野ケ里も敵の攻撃に備えて守りを重視した、いわゆる環濠集落で、しっかり日本100名城に指定されている。
この日はゴールデンウィークの特別イベントで公園入場が無料だった中、フリーパスの改札口を抜けて田出川に架かる「天空の橋」を渡っていると、周りを柵で囲まれた北内郭を遠目に見ることができる。これを見て頂ければ「確かに城だな」と納得して頂けることだろう。
写真
周りを柵で囲まれた北内郭
入口広場の先には、柵で囲まれたメインエリアがある。その柵に開けられた入り口をくぐると、その先にすぐ濠があり、更にはそのすぐ内側に、槍状に尖らせた木の枝を無数に地面に刺した「逆茂木」が再現されている。徹底した防御ぶりだ。
写真
柵と濠と逆茂木
写真
南内郭
柵の中を暫く歩いていると、更に二重の柵で囲まれた広場・南内郭がある。ここはかつての王や支配者が住んでいた場所とされ、家や物見櫓が再現されている。後世の城に当てはめれば、二の丸あたりに相当するだろうか。
更に北へと進むと、先ほど入場口先の橋の上から見えた北内郭に行き着く。南内郭のもの以上に強固な柵の内側に濠、更に柵の内側に濠、と二重四重に守りを固めていて、ここが「本丸」に当たる場所であることを如実に示している。
写真
北内郭内部
吉野ヶ里歴史公園全体で見るとまだ半分も回っていないが、「城」は十分に満喫した。この日はまだ2つの城を巡る予定なので、あとは遺跡展示室を参観して、列車の時間に間に合うよう次へと歩みを進めた。

10時30分、JR佐賀駅に到着。ここ佐賀市にある名城は佐賀城(100名城No.89)。江戸時代に名門・鍋島氏が居城とした城である。
写真
鍋島直正公銅像
写真
佐賀城天守台
天守台はあるものの天守閣は現存せず、代わりに、歴史館として復元された本丸御殿が今の佐賀城の象徴になっている。また、本丸御殿に繫がる鯱の門は、19世紀建立されたものが現存している。
写真
佐賀城本丸御殿(左)と鯱の門(右)
昨日から福岡・佐賀の中南部を巡ってきたが、ここで玄界灘の海辺の街へ。13時34分、唐津に到着。本日はここで1泊するので、予定の宿に荷物を預けて城巡りに出掛ける。
唐津には名城が2つあるが、この日はそのうちの1つ、唐津城(続100名城No.185)。江戸時代初期に建立され、幾つもの大名に受け継がれてきた城だ。
石垣のある風情のある街並みを抜けて、城へアクセス。入り口では、可愛い猫たちが番を?していた。
坂道を上ると、立派な天守閣が建っているが、かつて天守閣があったとの記録は無く、今ここにあるのは模擬天守である。
写真
唐津城天守閣近景
写真
唐津城天守閣からの眺め
とはいえ、天守閣の最上階から見る玄界灘の光景は一見の価値がある。
唐津城は玄海灘に面した丘の上に建つ平山城なので、どうにか玄海灘に浮かんでいるようなアングルで撮れないものかと探した結果、城山のわきに架かる舞鶴橋の中ほどからがベストアングルだった。
写真
舞鶴橋から望む唐津城
唐津には城のほかにも、街の中心近くにある旧唐津銀行や、先述した石垣の街並みの中にたたずむ旧高取邸など、昔をしのばせる名所があって、風情を醸し出している。
写真
旧唐津銀行
写真
旧高取邸

九州北部100名城巡り(4)――大野城、水城、基肄城、久留米城 ほか福岡、佐賀

2022年5月3日

写真
対馬空港から福岡へと向かうプロペラ機
午前8時45分、対馬空港から対馬に別れを告げる。搭乗した機体は定員100人未満の小型プロペラ機だった。
離陸から着陸まで僅か35分のフライトは、私の人生で最短記録。あっという間に福岡空港に到着し、託送の荷物も割と早く出てきた。ここから国際線ターミナルに移動して太宰府行きのバスに乗る予定でスケジュールを組んでいたが、予定より1つ早いバスに乗ることができたという順調ぶりだった。
しかし――悪い方に転じたのは、バスに乗ってからだった。
一般道から都市高速に入って間もなくのことだった。突如、先行する自動車たちがブレーキランプを光らせてノロノロ運転を始めた。
――渋滞である。
暫く進むと、対向車線でトラックが横転していて、積み荷の砂利が辺り一面に散らばっている。これは復旧に時間がかかりそうだ。
1つ早いバスに乗れて予定より20分早く着くことができると思っていたのだが、バスは渋滞で1時間遅れ、結局予定より40分遅い時間での太宰府駅到着になってしまった。急いで駅で電動アシストサイクルをレンタルして、この街での100名城巡りに繰り出す。

この日はかなりの分刻みなスケジュールを組んでいたので、40分のロスとなると、何かを削らざるを得ない。
ここでまず目指したのは、対馬の金田城同様、7世紀の白村江の戦敗戦を機に建てられた大野城(100名城No.86)だった。
しかし、100名城のスタンプは大宰府政庁跡に隣接する大宰府展示館で押すことができるが、城そのものはその背後にそびえる四王寺山の上にある山城で、太宰府側から見て一番手前の遺構でも往復2時間ほどかかりそうだ。
時間の問題もあったが、私の体の問題もあった。昨日のやや無茶な金田城往復サイクリングで、少々膝を痛めていたのである。明日以降も徒歩は続くので、ここで無理に山道を歩いて悪化させる訳にもいかない。
そこで、苦渋の決断だったが、大宰府展示館でスタンプを頂いて、大宰府政庁から大野城のある山を望むことで大野城登城「見なし」ということにすることにしたのだった。
写真
大野城のある四王寺山と大宰府政庁(手前)
今回の100名城巡りには含まれていなかった大分の100名城もいつか回る機会を作らなければならない。大野城登城はその折に1日かけてリベンジすることにしよう。

太宰府エリアにはもう1つ、訪れるべき城がある。これもまた白村江の戦敗戦を機にできた水城(続100名城No.182)だ。
水城は、現在の大野城市と太宰府市の市境に、四王寺山と牛頸山の間の「回廊」を塞ぐ形で1.2kmにわたって築かれた土塁で、私は太宰府駅からのアクセスがいい福岡県道112号・574号三差路近くの部分を訪れた。
写真
水城
「水城大堤之碑」を従えるようにして聳える土塁は幅77m、高さ9mあるということで、なかなかの規模だ。
土塁をくり抜いて設けられた水城館で、続100名城のスタンプを頂く。土塁の上には展望台が設けられていて、南西の方角に延びる水城の姿を望むことができる。
写真
展望台から望む水城
こうして現在の姿を見ているだけでもその防御力をイメージすることができるが、かつては博多側に堀もあったというから、徹底した防備ぶりだ。
写真
太宰府天満宮
写真
梅が枝餅
せっかく初めて太宰府を訪れたのだ。太宰府天満宮を散策し、参道で梅が枝餅を食べて楽しむ。

次の城を目指して、西鉄太宰府駅を出発。大野城の遺構に到達することを断念したことで、出発時間は50分近く前倒しとなった。
まず西鉄二日市駅へ。そこから歩いてJR二日市駅へ移動し、今度はJR鹿児島本線に乗車する。
基山駅で下車し、次に向かうは佐賀県基山町の基肄城(続100名城No.184)。これもまた、白村江の戦敗戦を機に建てられた城である。
ただ、基山駅にはコインロッカーも無ければレンタカーもレンタサイクルも無い。一番手前にある遺構・基肄城水門跡近くまで行くコミュニティバスがあるのだが、この日に限って運休だった。仕方が無いのでひとまず、ボストンキャリーをガラガラ転がしながら20分弱歩いて、続100名城スタンプのある町民会館へ向かう。
スタンプを頂いた後、ボストンキャリーを事務室で預かってもらって(本来は預からないが今回は特別に)、町民会館で頂いたアクセスマップと道の途中にある案内板を頼りに、歩いて水門跡へ出発。往路は上り坂基調で時間がかかり、40分かけてようやく着くことができた。
写真
基肄城水門跡
水門跡は幅26m、高さ8.5mほどの石塁の下部に4か所の排水口が開けられている。
基肄城の南の入り口になることから、このエリアは「南門」とも呼ばれる。基山の上、面積63万平方mにも及ぶ大規模な山城で、山の上にも数々の遺構があるが、私は遺構の端にでも行きつけばこれでよしとして、水門跡だけ参観して来た道を引き返した。
復路は下り基調で歩きやすい、と言うよりは時々走ることすら可能で、30分で町民会館に到着。ボストンキャリーを受け取って基山駅へ向かう。
当初はこの日運休だったコミュニティバスを使うスケジュールを組んでいたが、バスの時間に左右されない徒歩にすることで、却って基山での所要時間を30分ほど短縮することができた。

この日の城巡りはこれで終わりにして、福岡・久留米で1泊後、翌早朝に久留米城(続100名城No.183)を訪れる、という予定だったが、太宰府と基山で思いがけず時間を短縮できたおかげで、久留米到着が1時間以上早まった。これなら、今日の営業時間中に久留米城の続100名城スタンプを押せる施設に赴くことができる――ということで、列車を下りるや否や、久留米城へと急いだ。
写真
久留米城石垣
久留米城は豊臣秀吉の天下統一後に毛利秀包によって大改築が行われ、その後一度は江戸時代初期の一国一城令により廃城となったのを有馬氏が建て直した城だ。明治時代の廃藩置県で再び廃城となり、今の本丸跡は有馬記念館と神社があるばかりで大名の居城だった名残は殆ど無いが、石垣はその当時の雄姿を見事に留めている。
城内を本丸跡の背後の石垣縁まで歩いてみると、筑後川と宝満川が合流する絶景が見えた。
写真
筑後川と宝満川の合流地点
この光景を見ているだけで、この地が水運の要で、だからこそこの場所に城が築かれたのだ、ということを想像することができる。

九州北部100名城巡り(3)――金田城 ほか対馬

2022年5月2日

午前4時すぎ、福岡・博多で乗船したフェリーちくしが長崎・対馬の厳原港に到着した。
この時にすぐ下船するか、7時まで船内で休んでから下船するかの2つの選択肢があったが、下船しても9時まで暇を持て余すだけだったので、7時まで待って下船する方を選んだ。
写真
フェリーちくし

下船してまず向かったのが、この日泊まる宿。港を出て程なくしてすぐ目に入る高層ホテルだった。
大きなキャリーボストンだけフロントで預かってもらって、リュック1つの身軽さになって、いざ、対馬での行動開始。
写真
厳原の中心街
厳原は、対馬の南の中心地。大きなスーパーマーケットあり、高層のホテルありで、イメージしがちな「離島の街」に比べるとはるかに開けている印象だった。
対馬はレンタサイクルで巡る予定にしていた。500円で1日中借りることができるホテル対馬のタクシー営業所を最有力候補にしていたのだが、営業時間は9時から。まだ早いが、下見がてら赴いてみた。
すると、既に職員の方がいて、営業時間開始前ではあるが自転車を貸してくれるという。思いがけず、9時行動開始の予定が7時40分に行動を開始することができた。

対馬で目指したのは、金田城(かなたのき)(続100名城No.186)。
7世紀、倭(日本)は唐・新羅連合軍と白村江の戦を争って敗れ、九州北部各地で防備の増強を迫られた。その最前線的なものが、九州本島の沖に浮かぶ対馬に築かれたこの城である。
厳原から金田城登山口までは18㎞。しかも相当なアップダウンがあるようだ。借りることができたのは変速機の無いシティサイクル(いわゆる『ママチャリ』)だったので、片道1時間以上かかることは間違いない。この旅2日目にして早速、一番のハードコースのお出ましだ。

金田城へのルートは、トンネルを5つ越える山がちな道だった。しかし、トンネルがあればまだ平らで済む。時には激しいアップダウンに見舞われる。
実はこの時、私の脚は2週間前に走った長野マラソンのダメージがまだ抜けきっていなかった。膝と太腿に時折痛みが走り、特に右の太腿は痙攣寸前の痛みに見舞われることもあった。そういう状態だったので、急な上り坂に差し掛かったら無理はせず、素直に歩いて自転車を引いたので、予想以上に時間がかかってしまった。
写真
県道24号から金田城跡登山口への分岐
国道382号から長崎県道24号へと移り、厳原を出発してから1時間20分、ようやく「金田城→」の標識にたどり着いた。しかし、こことてまだ金田城登山口への入り口にすぎないのだ。急登は更に続く。しかも、ここから先は木々に覆われた山道で、幅は自動車がすれ違うことも難しい狭さ。金田城を目指す人は通常、ここを自動車で行き来するというのだから、結構な技術が求められる。
自転車をこいだり、下りて手押しで歩き進んだりを繰り返し、ようやく金田城へ向かうと思われる山道の入り口が見えたかと思いきや、本当の登山口はまだ先とのこと。しかもそこからの道は、急激な下り坂だった。軽快に下っていったが、気持ちは全くポジティブにはなれなかった。
[これは、帰りもまた急登に苦しめられるな…]
という思いが先だったのである。
下り坂を終えたあたりで、遂に路面の舗装が無くなり、土むき出しの緩やかな上り坂に差し掛かった。しかし、ここまで来たらもう到着したも同然だった。程なくして、自動車が何台も停められた金田城跡登山口に到着した。時刻は9時20分。想像以上に時間がかかり、厳原から自転車で1時間40分を要した。
写真
金田城跡登山口
到着して間髪入れず、徒歩で登山開始。10分ほどで、湖のようにも見える黒瀬湾を眼下に望むことができるビューポイントに到達した。
更に少し先へ進むと、右手に黒瀬湾の方へ遙か先まで延びる石塁が威容を放つ光景を眺めることができた。
写真
金田城石塁。奥に黒瀬湾も見える
その地点の分岐から山側の道を更に先へ進むと、ビングシ土塁を経て、二ノ城戸、一ノ城戸を見ることができる。いずれも当時の様子を残す立派な石塁だ。
写真
二ノ城戸
写真
一ノ城戸
二ノ城戸から、今度は海側の道を進むと、沢のほとりに建つ三ノ城戸に行き着く。
更に進むと左手に黒瀬湾を見渡す地に東南角石塁に出た。この石塁はかなりの長さがあり、辿って坂を上っていくと、行き着いたのは先ほど石塁と黒瀬湾を同時に臨んだ分岐点だった。
写真
三ノ城戸
写真
東南角石塁
山頂にも何か遺構があるようだったが、時間・体力・飲料水と3つのハードルがあり、これ以上は難しいと判断。それに、これまで見てきた遺構がいずれも、当時の城の姿や、白村江の戦敗戦という時代背景を物語るに十分な見事なもので、私の心を既に満足させていた。城巡りは明日以降も続くことだし、体力を温存しよう――頂上はあっさりと諦めて、私は登山口へと引き返した。
11時50分、自転車で登山口を出発。帰り道もアップダウンが厳しかったが、トータルでは下りだったので、行きのアップダウンよりも容易だった。
写真
根曽古墳群
厳原の街中に帰り着いたのは13時30分。途中、根曽古墳群(5~6世紀の古墳群)という案内板に気持ちを引かれて寄り道しながらも、かかった時間は行きと同じ1時間40分だった。

ところで、金田城には到達したものの、続100名城のスタンプは現地には無い。スタンプは厳原の観光情報館 ふれあい処つしまの観光案内所で頂くことができた。更に金田城へ行った証となる写真を見せることで、金田城の御朱印を頂くこともできた(オンラインで頂くこともできる)。
写真
金石城跡
写真
東南角石塁
古代の金田城以外にも、対馬南部には対馬藩藩主・宗氏の居城だった金石城跡や、宗氏の菩提寺・萬松院などの名所がある。また、対馬は朝鮮通信使(室町時代~江戸時代に李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団)の通り道であり、宗氏が通信使に対しての交渉役の任を担っていたこともあって、街の至る所に「朝鮮通信使~の地」という碑が立っている。
写真
厳原の街中の石垣
その他、厳原の街中にはいたる所に石垣を見ることができる。城のものではない。一般の住宅の塀のような感覚で見ることができるのだ。それらは武家屋敷の名残りだったり防火壁の名残りだったりするのであるが、いずれにしても、対馬の歴史深い趣きを街全体で感じることができる。

九州北部100名城巡り(2)――福岡城 ほか福岡市

2022年5月1日

この日のうちに回れそうだったので、門司港から在来線・新幹線・福岡地下鉄を乗り継いで、大急ぎで大濠公園駅へ。そこから先も大急ぎで動く。
大濠公園は、かつて福岡城(100名城No.185)があった場所だ。復元された下之橋御門から城内に入る。
写真
福岡城の下之橋御門

福岡城は黒田孝高(官兵衛・如水)の子・黒田長政が築いた城だ。明治の廃城令で取り壊され、今ではほぼ公園と化しているが、公園の名の由来である大きな堀や石垣、そして高台の上にある天守台が、往時をしのばせる。
写真
福岡城天守台

もう一つ、100名城とは関係ないが、福岡城から比較的近い場所でどうしても訪れておきたい場所があった。最終日に訪れることも可能だったが、ギリギリ滑り込めそうだったので地下鉄→歩いたり走ったりでどうにか時間内に着くことができた。
その場所は、福岡市立博物館
見たかったのは1つだけ。志賀島で出土した「漢委奴国王」の金印である。
金印は、常設展の最初の部分に展示されていた。2000年もの時を経ているにもかかわらず、輝きは微塵も失われていない。
展示されているのは実物だが、撮影OKだ(逆にレプリカの方が撮影不可)。しかし、展示室は真っ暗で、しかも金印は恐ろしいほど小さいので、撮影は難しい。カメラ任せにしてしまうと、周りの暗さにつられて必要以上に明るく写そうとしてしまう。そうなると、明るすぎる写真になるばかりでなく、シャッタースピードが長くなってブレが発生してしまう。
ここで威力を発揮するのが一眼レフカメラだ。露出を少しずつアンダーにしていって、最適な露出とシャッタースピードを探る。
その結果、取れた写真が以下だ。
写真
志賀島出土の「漢委奴国王」の金印(実物)

博多で夕食(一人モツ鍋)を終わらせた後、ゆっくり博多ふ頭に向かう。
空はすっかり暗くなっていて、博多ポートタワーが綺麗にライトアップされていた。
写真
ライトアップされた博多ポートタワー

この日は宿には泊まらずに、船内で1泊する。港には20時ごろに着いたが、私が必要とする対馬行きのチケットが発売されるのは21時30分。結構待った末にチケットを購入できたが、出港は更に後で、日が変わって午前0時5分だ。ちょうどいいことに、船内では享受できない風呂の施設がすぐ近くにあったので、そこで時間を潰した。

23時半すぎ、フェリーちくしの船内に案内される。
私が取ったのは、2等指定の船室。16人定員だったが、この日案内された部屋にいたのは5人ばかり。快適な一夜を過ごすことができそうだ。
写真
フェリーちくしの2等指定

九州北部100名城巡り(1)――小倉城 ほか北九州市

2022年5月1日

2022年ゴールデンウィーク。
昨年は新型コロナウィルス(以下『コロナ』)の状況が落ち着かず、旅行に行きたいところを断念せざるを得なかった。
今年もまだコロナは元気だが、重症化の懸念は下がり、緊急事態宣言も蔓延防止措置も無い状態だ。私自身も、3度目のワクチンを接種し、先日長野マラソン参加の際に抗原検査で「陰性」のお墨付きを頂いた。

よし。

行くか。

ということで、今年のGWは久々に、JALもANAもマイレージ賞味期限切れが迫っていたこともあって、飛行機に乗って国内旅行に出かけることにした。

5月1日午前8時。羽田から久しぶりに旅客機のシートに身を委ねて、空へと飛び立つ。

向かったのは、福岡
上空にいる間は雲で何も見えなかったが、着陸寸前、雲の上から抜け出すと、眼下に、玄界灘に浮かぶ志賀島などが見えたかと思うと、すぐに博多の街が見え、やがて博多から程近い福岡空港に着陸した。
写真
玄界灘に浮かぶ志賀島(左上)など

今回の旅の主な目的は、やはり日本100名城巡り。福岡市を起点に、福岡・佐賀・長崎北部の12城を目指す。

まずは、それらの目的地の中で福岡市から見て逆方向にある北九州市を目指す。
写真
小倉城

北九州にある城は、小倉城(続100名城No.181)。基となる城を築いたのは毛利元就ら毛利氏だが、現在の姿のもの(再建。本来は破風が無かったのだが破風ありで再建されている)を造ったのは初代小倉藩主となった細川忠興(細川ガラシャの夫として有名)だ。天守閣最上階の、せり出すような窓が特徴的だ。100名城のスタンプは
場内で築城に関する展示を見た後、天守閣から下りた場所にある観光施設しろテラスで続100名城のスタンプを頂戴した。

せっかく北九州まで来たことだ。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されていることもあり、比較的近くにあるゆかりの地を目指すことにした。

まず、列車で鹿児島本線終着駅の門司港へ。港に出てみると、海の向こうにそこまで広くもない海峡とそこにかかる橋が見える。関門海峡関門大橋だ。
写真
門司港と関門大橋

ランチに名物・焼きカレーを頂いた後、門司港レトロと呼ばれる昔懐かしい風景を楽しみながら北へと足を進める。
写真
レトロな門司港駅
写真
門司港レトロの街並みと門司港レトロ展望室

歩くにつれ、関門大橋が大きくなってきた。門司港から眺めた時は「そんなにも広くない」と感じた関門海峡も、近づくとやはり広々としている。
写真
関門大橋

目指すは、この海峡の向こう。自動車と列車は関門大橋を渡るが、人と自転車は海の下に敷かれた関門トンネル人道を歩くことになる。
写真
関門トンネル人道の、福岡県・山口県県境

関門橋東側のたもとにある入り口からエレベーターで地下まで潜ると、そこから延びていたのは、路面を黄色く塗装された、片側1線のみの狭いトンネルだった。距離は780m――1kmもないのか、と思うと、やはり関門海峡はそんなに広くはないのかな?と思えてくる。
中間点に到着。路面を見ると、こちら側には向こうから来る人に向けて「福岡県」、反対側には、こちらに向けて「山口県」と書かれている。そう。ここが、このトンネル内の福岡・山口県境なのだ。子供連れの中には、ここを元気よくジャンプする姿も見られた。
10分ほど歩いて、下関側に到着。門司側と同様のエレベーターで、地上へ。
エレベーターを出てすぐに海辺の道路を渡ると、長州砲(八十斤加農砲)のレプリカがある。ここは、1863年に長州藩がアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊を砲撃し、無様に返り討ちに遭った現場なのだ。
しかし、今回私が求めているのは、これではない。大砲のレプリカから関門橋方面へ少し歩くと、源義経・平知盛像があり、更にそこから関門橋に寄ったところに、それはあった。
写真
「壇の浦古戦場址」の碑

「壇の浦古戦場址」の碑
12世紀後半、源氏と平氏との間で繰り広げられた源平合戦の、ここが終末の場だったということだ。先に書いた源義経・平知盛も、ここで対峙した2人だ。
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、この戦は描かれるはずだ。このドラマでは少々腹黒に描かれている義経のほか、この合戦を彩った人々が、そしてこの合戦そのものが、どのように描かれるのか、楽しみだ。

長野100名城巡り(2)―上田城、小諸城、龍岡城

前日参加した長野マラソンは、制限時間5時間20分を何とかクリアする4時間57分36秒で完走。
長野でもう一夜を明かしたこの日、まだ痛みが残る脚を引きずりながら、今回の遠征でマラソンと同じ位楽しみにしていた長野の100名城巡り第2弾に、早朝から出発した。

長野駅からしなの鉄道線で南下し、上田へ。
ここにあるのは上田城(100名城No.27)。「幸村」の俗称で知られる真田信繫ら戦国大名・真田家ゆかりの城である。
写真
上田城・東虎口櫓門

東虎口櫓門の手前の石垣に、一際大きな石が組み込まれている。「真田石」と呼ばれ、信繫の父である真田昌幸が上田城を築いた時に据えたとされる。
写真
上田城・真田石

建築物の多くは再建で、唯一現存するのが17世紀に建てられた西櫓である。
写真
上田城・西櫓

大河ドラマ「真田丸」等を見て真田家の歴史を知る人なら、徳川家康軍を苦しめた上田合戦の舞台として知るところだろう。もしかしたらここから徳川軍を攻撃したのだろうか――などと想像しながら歩くと面白いかもしれない。

上田から更にしなの鉄道線で南下。終着駅の小諸で下車する。
駅の西側すぐに、小諸城(100名城No.28)がある。武田信玄の時代に山本勘助らが縄張りとされ、豊臣秀吉の時代に仙石秀久によって築かれた城だ。
線路をくぐる歩道を過ぎると、目の前に三之門が出迎える。
写真
小諸城・三之門

その向こうに二の丸・南の丸と続いた先に本丸があり、その一角には天守台がある。石垣が残るのみだが、その大きさから往時の立派さを窺い知ることができる。
写真
小諸城・天守台

「懐古園」として整備されたこの駅西のエリアはそれ程広いものではないが、線路の反対側の少し離れた場所にある大手門の存在が、小諸城本来の規模を物語っている。
写真
小諸城・大手門

小諸から、今度はJR小海線で更に南下。無人駅・龍岡城駅から徒歩で龍岡城(続100名城No.129)へ。
写真
龍岡城

北海道・函館に「五稜郭」と呼ばれる有名な城があるが、この龍岡城も、上から見ると星型である「五稜郭」だ。函館のものと同じく、幕末期に築城されている。
近くの高台から望むとその形がよく分かるようだが、今回の私はそれだけの時間は無かったし、マラソン翌日でそこまで上るだけの脚力も残っていなかった。それでも、周りを歩いているだけでも星の角の堀からその形を思い浮かべることができる。
写真
龍岡城の「五稜郭」の角

敷地内は現在、小学校の校舎と校庭になっているが、片隅に建つ「御台所」は、廃藩置県の解体を逃れて位置を変えて現存する唯一の建築物だ。
写真
龍岡城御台所

今回の城巡りは、これで終了。前々日に訪れた松代城を合わせて、今回は4つの城のスタンプを頂くことができた。

長野100名城巡り(1)―松代城 ほか

コロナウィルスがまだまだ元気だが、これまで幸いにも感染することも無く、3回目のワクチンも接種した。自分に関してはもう、旅行を解禁してもいいだろう。
ということで本日、長野へ。メインの目的は長野マラソン参加だったが、長野にはまだスタンプをゲットできていない日本100名城・続100名城が結構ある。といういことで、土曜日にマラソン大会のために前入りして、日曜日にマラソンを走って帰る、という当初の予定に、月曜日も休みにして幾つか城を巡ることにした。

本日は、東京から長野への高速バスで長野市へ――しかし、私が下車したのは長野の中心街ではなく、長野インターチェンジのバス停。実はここから20分ほど歩いた所に、100名城の1つがあったのだ。
松代城
その城は、松代城。「幸村」の俗名で知られる真田信繫の兄・真田信之に始まる真田氏松代藩の居城だ。以前長野に来た時に訪問済みではあったが、100名城のスタンプがまだだったので再訪した。
松代城
堀に架かる橋を渡って2つの門をくぐって場内へ。以前は「外から見た石垣や城門は立派でしたが、中に入ってみると広場があるだけで少々がっかり」などと感じていたようだったが、今回は散りかけではあったものの、桜の花が目を楽しませてくれた。
松代城
立派な石垣の高台があった。戌亥隅櫓台という、事実上の天守台だったらしい。

この近くには、
文武学校
文武学校
真田邸
真田邸
真田宝物館
真田宝物館

があり、真田氏松代藩に関する知識を補ってくれるので、是非合わせて訪れたい場所だ。
私も、以前来た時には真田や松代について全く知らなかった(だから松代城をもの足りなく感じたのかもしれない)のだが、大河ドラマ「真田丸」でかなり知ることができ、今回は前回の何倍も城やそれにまつわる施設を楽しむことができた。
最後にあらためて松代城を訪れ、戦国時代の真田と松代に対してしばしイマジネーションを働かせてみた。

松代から長野駅行きのバスに乗車。途中に長野マラソンの受付会場であるビッグハットがあったので、途中下車して手続きをしに赴く。
ゼッケン等を受け取る前に、コロナウィルスの抗原検査を行う。これをパスしないと大会に出ることができない。コロナ蔓延以降、私は発熱等の症状は全く出ず、これまで検査はしてこなかったが、無症状ということもあり得る。結果が出るまでの15分をやや緊張しながら待った。
結果は、「陰性」。よかった。これで心置きなくマラソンを走ることができる。

大会のシャトルバスで長野駅へ。予約していた宿にチェックイン後、すぐにまた出かける。長野に来たからには絶対に訪れたい場所があった。
善光寺
善光寺
前回来たときは7年に一度の御開帳の年だったが、折しもそれから7年。今回も御開帳の年で、大いに賑わっていた。
ここで明日のマラソンの必勝祈願。「勝」のお守りも買って、お祈りは万全。

さあ、明日のマラソンに備えて、今夜は鋭気を溜め込もう。

今年の100名城-愛媛

今年の100名城巡り。夏にはGoToを利用して愛媛へ。
松山には以前来たことがあり、松山城はその時訪れたが、それ以外は今回が初訪問になる。

松山城(100名城No.81)
2度めの訪問。
松山市内中心の城山の上に佇む平山城。
江戸時代初期に加藤嘉明によって築城が開始され、その後を受け継いた蒲生氏・松平氏によって築城が継続された。
市電県庁前駅から徒歩。もしくは同大街道駅から徒歩5分の城山ロープウエイでアクセスすることもできる。
松山城
過去に何度も火災があり、現在のものは再建になるが、立派な石垣や天守閣が目を引く。

湯築城(100名城No.80)
道後温泉近くにある、豪族河野氏が室町時代初期に築いた平城。
市電道後公園駅下車すぐ。
湯築城
外堀、内堀、土塁などが残り、当時の様子をしのぶことができる。再現された武家屋敷に設けられた湯築城資料館で当時のことを詳しく知ることができる。

河後森城(続100名城No.179)
高知県との境近くにある山城跡。永禄・天正の時代には河原渕家が居城としていた。
JR予土線松丸駅から徒歩15分ほど。徒歩のコースはこちら
河後森城跡
山の上の曲輪をたどって歩き、山の北から南に抜けるコースがお勧め。

宇和島城(100名城No.83)
宇和島市にある、藤堂高虎が築いた平山城。
JR予讃線宇和島駅から徒歩30分ほど。
宇和島城
現在の天守閣は17世紀に伊達宗利が再建したもの。江戸の平和な時期に築かれたものなので、軍事性は無く装飾性が強い。

大洲城(100名城No.82)
大洲市の肱川ほとりに鎮座する平山城。
16世紀末に藤堂高虎によって近世城郭へと改築が始まり、天守が築かれた。(現在のものは再建)
JR予讃線伊予大洲駅から徒歩30分ほど。
大洲城
天守閣、台所櫓、高欄櫓の組み合わせが、均整が取れていて美しい。

能島城(続100名城No.178)
広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶしまなみ海道の、最も今治寄りの大島北部の海辺から400mほど沖の能島に築かれた、日本海に浮かぶ砦。村上海賊の一派能島村上氏によって築かれた。
JR予讃線今治駅からバスを乗り継いで宮窪桟橋下車。上陸するにはクルーズに参加することが必要。しかし、私が訪れたお盆休み期間はクルーズが休みで、上陸は叶わず、近くのカレイ山展望公園や海辺からその姿を遠目に見るに留まった。
能島城
クルーズに参加しない場合、100名城のスタンプは村上海賊ミュージアムで。ここでは村上水軍や能島城について詳しく知ることができるので、この地に来たなら必見。

今治城(100名城No.79)
今治市の港近くにある「海城」。藤堂高虎が関ヶ原の戦い後に築いたもので、当時は城のすぐ近くの「舟入」まで軍船が乗り入れ、堀は今も海と繋がっている。
JR予讃線今治駅から徒歩25分ほど。私は能島城からバスを乗り継いで今治バスセンターに到着し、そこから港を経由してアクセスしたが、港経由で行った方が「海城」であることをより実感できるかもしれない。
今治城
天守閣をはじめとする建造物のほか、藤堂高虎の銅像も見もの。

今年の100名城-尾張・美濃

今年はコロナ禍の下、殆ど旅をすることができませんでしたが、細々と2回だけ、国内100名城巡りの旅をしてきました。
こういう状況下なので、リアルタイムで公表することは憚られて、報告していませんでしたが、幸いにもそれが原因で感染することも無かったので、年末のタイミングで事後報告させて頂きます。

今回は、2月某日に訪れた、尾張・美濃の4城。名古屋に用事があったついでに巡ってきました。
ただ、名古屋は以前住んでいたことがあったので、既に訪れていてスタンプだけ貰いに行った所が殆どでした。

小牧山城(続100名城No.149)
ここは初めての訪問。
名古屋空港に程近い小牧山の上に佇む、織田信長が美濃攻めのために築いた山城。
名鉄小牧線小牧駅から徒歩20分。
小牧山城
天守閣(模擬天守=実際には無かった)は工事中だったが、中に入ることは出来た。その周りでは折しも、発掘調査が絶賛実施中だった。

犬山城(100名城No.43)
(多分)2度めの訪問。
長良川を背に、小高い丘の上に建てられている。小高い応仁の乱の時期に織田広近が築いた砦がはじめとされる。
名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩15分。
犬山城
江戸時代初期に建てられた天守閣は当時のものが現存し、国宝に指定されている。比較的小ぶりな天守だが、それを考えると輝いて見える。

岐阜城(100名城No.39)
何回か訪れたことのある城。
岐阜市内の金華山の上に佇む、典型的な山城。折しも雨天で、城の下に雲がかかっているという位置の高さ。かつては稲葉山城と呼ばれ、斎藤道三など斎藤家が居城としていたが、織田信長が斎藤龍興を追い落としてこの城を居城とし、「岐阜城」と改名してここを天下取りの足がかりにした。
JR岐阜駅、名鉄岐阜駅からバスで岐阜公園歴史博物館前まで乗り(15分)、岐阜公園内を出発する金華山ロープウェーで山頂に上り(3分)、山頂駅から徒歩10分。
岐阜城
信長の天下取りの始まりの地ということで、天守閣は模擬天守であるとはいえ、私にとってかなりお気に入りの城だ。

名古屋城(100名城No.44)
もう何度訪れたことか。スタンプを貰うためだけに訪れた。
名古屋市内にある平城。江戸時代に徳川家康によって築かれ、尾張徳川家の居城となった、言わずとしれた名城。天守閣や本丸御殿(いずれも再建)等が見どころ。
名古屋地下鉄市役所駅から徒歩10分。
名古屋城

100名城巡り・小机城、石垣山城、小田原城

2019年8月31日

この夏は青春18きっぷを使って静岡、東京、山梨の日本100名城を巡ってきたが、きっぷがまだ1日分残っている。
現在の地元・神奈川の城にまだ行けていない。青春18きっぷで巡るのにちょうどいい電車賃になるので、行くことにした。

まず、目指したのは、JR横浜線小机駅から徒歩10分ほどの小高い山の上にある小机城(続日本100名城No.125)。15世紀に関東管領上杉氏が築き、長尾景春の乱の際に攻城戦の舞台となった城だ。その後いったん廃城となり北条氏の統治下で再建されたが、徳川家康の関東入府後、再び廃城となる。現在は小机城址市民の森として保存されているが、第三京浜道路の建設で一部壊されてしまっている。
駅南口にある「城郷小机地区センター」で100名城のスタンプを頂いた後、北口に回って、そこから歩いて公園入口へ向かう。
小机城本丸入り口
小机城本丸入り口
小机城本丸
小机城本丸
坂道を上った先の門をくぐると、そこが本丸。他にも二の丸、土塁、井楼跡、櫓台など、ここが城であった痕跡が幾つも残っている。
小机城の空堀
小机城の空堀
特に印象的なのが、深くえぐられた「空堀」。この場所が戦いの要塞であったことを最も雄弁に物語っている。中でも本丸~二の丸の北側の空堀は現在、両側に竹林が茂る小道になっていて、非常に風情がある場所だ。
小机城の空堀
竹林の中を抜ける小机城の空堀

小机から横浜線、京浜東北線、東海道線とJR路線を乗り継いで、1時間20分ほどかけて、小田原へ。この街で最も有名な城は後に回すことにして、私はまず別の城を目指した。
向かったのは、石垣山城(続日本100名城No.126)。小田原攻めの際、豊臣秀吉勢が笠懸山の山頂に秘密裏に建て、突如その姿を見せて北条方の士気を失わせたことで有名な、「一夜城」の異名を持つ城だ。土日祝日なら小田原駅から出ている小田原宿観光回遊バス「うめまる号」で直接行くことができる(1日乗車券がお得)。
石垣山城の南曲輪石垣
石垣山城の南曲輪石垣
その名の通り、今も残る石垣が特徴の城で、入り口そばの南曲輪をはじめ、馬屋曲輪(二の丸)、井戸曲輪などに立派な石垣が残っている。
石垣山城の井戸曲輪
石垣山城の井戸曲輪
入り口から暫く坂を上ると、広々とした二の丸に行き着く。そこから更に坂を上った先に本丸があり、その一角には天守台もある。「一夜城」という異名から簡易な城を想像していたが、実際には80日かけて築城したもので、かなり本格的な城だったことが覗える。
石垣山城馬屋曲輪(二の丸)
石垣山城馬屋曲輪(二の丸)
石垣山城の天守台
石垣山城の天守台
本丸のへりの方に展望台があった。小田原の街と駿河湾を一望することができる。
ビルが立ち並ぶ中に埋もれて少し分かりにくいが、小田原城の姿も見えた。秀吉もここから、小田原城に向けて睨みをきかせていたのだろう。

石垣山城からの眺望
石垣山城からの眺望。小田原城も見える(クリックで拡大)
石垣山城の駐車場で100名城のスタンプを頂いた後、循環バスで小田原の市街地へ移動。向かうは勿論、先程石垣山城からもその姿を捉えた小田原城(日本100名城No.23)である。北条早雲をはじめとした北条氏の本拠となった城だ。9kmもの総構えで知られる難攻不落の城だったが、先述した秀吉の小田原攻めで遂に落ちる。明治になって天守閣や櫓は一旦解体されるが、1960年に天守閣が再建され、その後門が復元された。
小田原城天守閣
小田原城天守閣
天守閣入り口で100名城のスタンプを頂き、展示物を見ながら最上階に向かう。
廻縁から西側を眺めると、箱根の山が見えるが、その手前に見えるのが笠懸山――そう、石垣山城が築かれた山だ。石垣山城から小田原城を眺めた時は結構遠く思えたのだが、小田原城から笠懸山を眺めるとかなり近く感じられる。この感覚が、北条方を降伏へと向かわせたのだろうか。
小田原城から見る笠懸山
小田原城から見る笠懸山。赤丸の辺りに石垣山城がある

これで、今回の名城巡りは終了。神奈川県の100名城制覇となった。

<新着記事>

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索