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雑記ブログ

追悼 「08憲章」の父・劉暁波氏死去

2017年7月13日…

中国の民主化への願いを訴えた「08憲章」の父・劉暁波氏が死去した。61歳という若さだった。

まず、彼の略歴を振り返ると、

・1955年 吉林省長春市で出生。
・1982年 吉林大学文学部卒業。
・1984年 北京師範大学修士課程修了。
・1989年 海外で就学の後、帰国。天安門前での民主化運動(六四天安門事件)に参加、投獄される。
・2008年 「08憲章」を起草するも、発表直前に拘束される。
・2009年 国家政権転覆扇動罪で懲役11年の判決を受ける。
・2010年 刑が確定。ノーベル平和賞を受賞するも、受賞式に出席できず。
・2017年 末期がんの診断を受け、仮出所。がんで死去。

波乱万丈の人生だった。

<08憲章について>
発表直後の時期に、私はこのサイトで全文翻訳を試み、チベット問題とも絡めて考察・批評もした。

「民主主義に触れたことのない人々にとって、同憲章の内容は大なり小なりインパクトを持つものといえる」
「理念はよく表現されているが、全体的に抽象的で、具体的にどのような政体、どのような政治運営を目指しているかが見えてこない」
「<人権について><宗教について>については、ダライ・ラマ法王及びチベット亡命政府の立場と完全に一致し、歓迎すべき方針と言える」
「結局のところ、08憲章派も「中華思想」からは一歩も抜け出せてはいないのではないか」

と、結構辛口に批評させていただいたが、それでも彼が、そして08憲章が、中国共産党支配下の中国に大きなインパクトを与えたことは疑いの余地はないだろう。
ただ、中国共産党という巨悪の壁は余りに分厚すぎた。ソ連が、東欧の共産主義体制が崩壊したあの1989年に中国にも起きた民主化のムーブメントをものともせずに武力でねじ伏せた強権・カルトぶりの中国共産党はゴキブリ以上にしぶとく、その後も30年近く独裁体制を崩さない。ついに劉暁波氏は存命のうちにその理想が実現するのを見ないまま他界してしまった。
しかし、彼の死によって08憲章は再び見直されるに違いない。不完全ではあるものの、彼の理想は崇高で実現されるべきものだ。必ずや、誰かが引き継ぐことだろう。
来世でその日が来るのを待っていていただきたい。

<彼の出所について>
「死ぬ間際の出所」という点に、私はチベット問題を描いた映画「風の馬」を思い起こした。
この映画では「チベットに独立を」と公衆の面前で叫んだ尼僧が逮捕され、ボコボコに拷問を受けた挙句に刑務所を放り出され、家族らや外国人訪問客が見守る中で前でチベットの惨状を訴えながら死んでいる。
劉暁波氏は家族の要請があった後で出所しているらしいが、それでも「死ぬ間際の出所」という点に、私は「獄死されると面倒だから出しておこう」という中国共産党当局の意図が垣間見えるような気がしてならない。

<彼の人柄について>
彼は中国共産党に歯向かい、中国共産党に投獄された。あの連中を恨んでも当然のことなのだが、
「私に敵はいない、憎しみもない」
というのが彼の信念だったという。
何という寛大さだろう。これこそ、彼のノーベル平和賞の受賞者たるゆえんだろう。同じノーベル平和賞受賞者であるあのダライ・ラマ14世にも引けを取らない慈悲ぶりだ。

信念・人柄とも立派であること極まりなかった彼の死に、心の底より哀悼の意を示したい。

合掌。


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