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雑記ブログ

チベット亡命政府主席大臣ロプサン・センゲ氏来日

中国共産党に祖国を蹂躙され、現在インドのダラムサラを拠点としているチベット亡命政府。そのトップに立つ人物が主席大臣であるロプサン・センゲ氏だ。チベットの“聖”のトップがダライ・ラマ法王ならロプサン・センゲ氏は“俗”のトップということになる。そのロプサン・センゲ氏がこの度来日し、東京の護国寺で講演を行った。

ロプサン・センゲ氏

初めて間近に見るロプサン・センゲ氏は、「首相」という肩書から勝手にイメージしていたよりも随分お若く感じられた。それもそのはず。私と同年代の1968年生まれ、まだ47歳というお若さなのだ。

講演ではまず、チベットの歴史や地勢について話され、チベットが中国共産党に侵略される以前は間違いなく独立国であったことを強調された。
そして今回は特に、「環境」に力点を置いたお話があった。
そのほんの一部を抜粋すると、

「チベットは『世界の屋根』であり、アジアの大河の多くが、チベットの氷河を水源に流れ出している。しかし、近年の地球温暖化、チベットでの森林破壊、チベットの都市化、チベットへの中国人流入人口の増加、チベットでの鉱物採掘等の影響でチベットの氷河が融けつつあり、アジア全体が脅威にさらされている」
「こうした『水の危機』の中、中国(チベットを占拠している中国共産党)は国連による水の共有の協定に参加していない。これにサインをしていないということに中国の思いが表れている」

即ち、チベットがならず者の集団に占拠されている現状は、チベット自身のみならず、アジア全体に良い影響を与えない、ということだろう。やはりこの不幸な侵略・支配の現状は早急に打破されなければならないと言えるだろう。

それにしても、ダライ・ラマ法王は年を重ねた安定感があるのに対し、ロプサン・センゲ氏には若さゆえの安定感と勢いが感じられる。チベットはいい指導者に恵まれたものだ。

その後開かれた記者会見では以下のようなことを話されていたようだ。

14世後継で中国けん制 チベット亡命政府首相(共同通信)
http://this.kiji.is/58533491560252925?c=39546741839462401
※毎日新聞は上記の記事を「ダライ・ラマ『生まれ変わる場所は亡命の地』センゲ首相」の見出しで報道
チベット亡命政府首相 中国政府に対話再開求める(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160109/k10010366541000.html
チベットに「真の自治を」=来日中の亡命政府首相(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016010900251

「チベット自治区」50周年

1965年9月1日。
独立国チベットを土足で踏みにじった侵略者である、「中華人民共和国」を名乗る中国共産党がチベット中央部のウ・ツァンを中心に「チベット自治区」をでっち上げた。
今日2015年9月1日はそれから50周年に当たる。

中国共産党当局はチベットの経済発展を強調してチベット統治が正しかったというプロパガンダに終始するが、その実、中国共産党はチベット人が経済的な豊かさよりも大切にするチベット仏教をないがしろにし、チベット人が心より尊敬する聖人ダライ・ラマ14世に汚い罵声を浴びせ続ける。当然のように、彼らの統治は、チベット人の支持を全く受けていない。

昨今の相次ぐ焼身抗議などが示すように、中国共産党のチベット統治は疑いなく誤りであり、既に破綻している。

チベットの1日も早い「解放」を、あらためて心の底より願う。

チベットの現状を訴える映画「ルンタ」

チベット問題を扱った映画「ルンタ」が本日初日公演。中国共産党の抑圧に対する焼身抗議が相次ぐチベットの原状を、インド・ダラムサラでチベット支援活動を続けている中原一博さん(私もダラムサラに行った時お世話になった方だ)の視点で追うドキュメンタリー映画だ。監督の池谷薫さんと中原さんが舞台挨拶を行うということで、私も東京・渋谷に駆けつけて鑑賞させていだだいた。
私が行ったのは14時45分からの2回目の上映だったが、入場時に並んでいると1回目の舞台挨拶を終えて外に出てきていた中原さんと4年ぶりに再会。ちょいワルで豪快なキャラクターは健在だった。

映画は、中原さんがチベット人焼身抗議の現場写真をインターネットで見ているところから始まり、中原さんによる焼身抗議をしたチベット人の身近な人物や中国共産党の支配に抵抗した「政治犯」として拘束された経験のある人物などへのインタビュー、ダラムサラにおける人々の抗議の様子、中原さんによる焼身抗議の現場巡り、焼身抗議をした人々の遺言などで構成されていた。劇中、私が2011年に訪れた場所に100人を超える焼身抗議者の遺影が飾られてるのを見た時などは胸が痛くなる思いだった。

実は、この「焼身抗議」、チベット問題をサイトで扱っている私だが、どうしてもコメントすることができなかった部分だった。なぜなら、
[チベットの人々がそこまで追い詰められている、もう他に抗議の手立てがないというのは理解できる。しかし、その生命の使い方は正しいのか? もっと有効な生命の使い方は無いのか?]
という疑問が常にまとわりついていたからである。
その疑問に今回の映画は答えてくれるか――期待を胸にスクリーンに目を注いだ。

そして、その疑問に対するヒントは随所に見ることができた。

「焼身は、他に害をなさず、自分だけを犠牲に実現できることが可能」
「自分の苦しみを、他人が受けないように」
「一切衆生の幸せのために、私は自らを犠牲にする」

――仏教国と言われている私たち日本の国民の想像を遥かに超える仏教の信念が、そこにはあったのだ。
また、映画では明言されていなかったが、彼らが「輪廻」を真剣に信じていることも、彼らが「命を灯心にする」ことを厭わなかった理由の一つではなかったかと、私は勝手に想像した。

命を大切にして、生きることで闘うことの方が正しいに決まっている、という気持ちは、今も変わらない。しかし、「焼身抗議」に懐疑的だった私にもようやく、彼らがそこに至った心境が少しだけ、この映画で理解できるようになったように思う。

映画の終了後、池谷さんと中原さんの舞台挨拶。中原さんは、ご自身がチベット支援に関わるようになるに至った経緯などを話してくれた。
また、池谷さんは、
「チベットの映画を作りたいとずっと思っていたが、難しかった。自分たちの身の危険は覚悟の上だが、インタビューに答えてくれたチベット人に危害が加わることが一番怖かった」
「今日本でも安保法案の件などあるが、チベット人の『非暴力』に何かのヒントがあるのではないか」
といったことも話していた。

チベットの人々を焼身に追い込んでいるのは何か、何故彼らは「焼身」という行為に走るのか――そんな疑問に対するヒントを、この映画は提示してくれることでしょう。
「ルンタ」は東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムにて上映中。ぜひ足をお運びになって、チベット問題について一緒に考えましょう。

ダライ・ラマ法王来日法話―映画館でライブ・ビューイング(2015年)

尊敬するダライ・ラマ14世猊下が今年も来日された。今回は東京の昭和女子大学で4月12~13日にかけて法話が行われるのだが…

私はそのチケットを買いそびれてしまっていた…

しかし、今回は粋な計らいがあった。
ダライ・ラマ法王法話ライブ・ビューイング
全国各地の映画館でライブ・ビューイングが行われたのだ。
その映画館の中に、私の地元である川崎のチネチッタが入っていたので、この日の午後の部のチケットを買って参加した。
(今回の法話は日曜日と月曜日の午前・午後の計4回あり、それぞれ違う内容になるのだが、私は平日は無理だし、日曜の午前も都合が悪かったので日曜の午後の部だけの参加となったが、映画館のライブ・ビューイングならバラでチケットが買えたのがありがたかった)

13時半。映画館のスクリーンに法皇様が入場する姿が映し出された。現地ではスタンディングオベーションで迎えているというのに、映画館では皆ひっそりとしている。このへんに現地と遠隔地との温度差がある。

法話の内容は、これまでの法話でも何度も挙がっていた、「空(くう)」についてが中心。
「世の中の全ては実体があるように見えるが、名前をつけられてそう思われるだけで実際は「空」なのである。実在にとらわれず、空の理解を育み、菩提心を育むのが修行者のあるべき姿」
などというお話をされた。
最後の方にはナーガールジュナの経典の紹介があったが、ここで現地と遠隔地との“格差”が明らかになった。この部分は現地で配布された資料を見ながらのお話になったのだが、ライブ・ビューイングではその資料が配布されなかったのである。

15時半すぎ、法話は終了。現地ではやはりスタンディングオベーションで法皇様を見送っていたが映画館の方はやはり、一部の人が拍手するだけでひっそりとしていた。

ライブ・ビューイングはバラでチケットが買えたことや、現地で見ていては豆粒程度にしか見えない法皇様のお姿がスクリーンに大きく映し出されて、左右に体を動かす様子や「頭上の照明が暑い」と頭におしぼりを乗せる様子(笑)がよく見えたことなどは良かったが、やはり臨場感に欠ける。

次の機会は生でお話を拝聴したい。

チベット本土の矛盾を垣間見る――映画「オールド・ドッグ」

軽食の屋台やライブのステージで活気を帯びる、11月初頭の早稲田大学。
「早稲田祭」で賑わうキャンパスの一角で、アカデミックな映画上演と講演会が行われていた。

その映画は、「オールド・ドッグOld Dog)」。中国共産党に不法占拠されているチベット本土に在住するペマ・ツェテン氏によって撮影された作品だ。

舞台は、アムドと呼ばれるチベット北部(中国に『青海省』と呼ばれている地域)のある場所。そこに暮らす遊牧民のチベット人老人は、中国でもてはやされるようになっていたチベタン・マスティフの老犬を飼っていた。一方、彼の息子はそのチベタン・マスティフを高値で売ろうとする。老人は「犬は遊牧民の命綱」と頑として売ることを拒むが、犬の仲買人も老人にまとわりつき、犬泥棒も出没し、老人は重苦しいプレッシャーに悩まされる。そして彼は…

中国の占拠下で撮影・上映される映画なので露骨には表現できないが、そこに垣間見えるチベット本土の矛盾を、同大学の石濱裕美子教授が上映後、解説して下さった。

  • 馬にのる老人 VS バイクに乗る若者
  • 高原で遊牧するチベット人 VS 町で教師や公安の職につくチベット人
  • ブローカーはチベット犬の値段を相手によって変える。犬の時価は?
    →チベット人には最低額を提示=チベット人を二級市民として軽んじている
  • なぜ町はいつも暗く人気がなく曇天なのか?
    →チベット本土の重苦しい、どこにも出口がない状況を暗示
  • 老人はなぜタバコを断るのか
    →中国においてタバコはコミュニケーションツール。それを断るということは、中国人とのコミュニケーションを拒んでいるということ
  • 老人の息子はどちら側の人か?
    →両者の境界の人
  • 不妊のチベット人
    →チベット人に対しては意図的な不妊治療が往々にして行われている(チベット民族を絶やすため?)
  • テレビから流れる貴金属の宣伝
    →中国に蔓延する拝金主義
  • テレビを見る無気力な視線
  • そして・・・マスチフ犬は何を象徴しているのか?
    →チベット独自の伝統や生活の終焉

結末はここでは書かないが、とにかく、重苦しく、救いの無い悲しい映画だった。
そして、この重苦しさ、救いの無さ、悲しさこそが、現在のチベット本土を覆っているものなのだ

いつかDVDが発売されることがあるだろうか。決して明るい映画ではなく、「問題作」とも言える作品だが、その時は上記のようなことを踏まえた上でぜひ見ていただければと考える。

※参考サイト:チベット文学と映画制作の現在「オールド・ドッグ」

Tibetan Uprising Day(チベット民族蜂起記念日)

1959年3月10日、チベットの首都ラサのノルブリンカ(ダライ・ラマの離宮)周辺に、観劇にかこつけた拉致からダライ・ラマ14世を守ろうとチベット人たちが集結し、中国共産党の支配に「No」を突きつけました。
しかし中共当局は丸腰のデモに武力による弾圧を加えます。そして砲弾飛び交う中、ダライ・ラマ14世はインドへの亡命を余儀なくされました。

今日3月10日はチベットにとって特別な1日、Tibetan Uprising Day(チベット民族蜂起記念日)です。

あれから55年。チベットの自由・平和・人権は今も完全に奪われたまま。人々はもはや文字通り「命を燃やして」抗議するしかない状況にまで追い詰められています。

彼らが、巨悪による支配から抜け出して、
自由と、
平和と、
人権と、
命の安全と、
心の安らぎと、
安住の祖国を取り戻すことができるよう、

皆さん、
祈って下さい。

そして、
彼らの現状を理解し、
手を差し伸べて下さい。
力になって下さい。

チベット独立宣言101周年

3月10日はチベットにとって、1959年に中国共産党の支配に“No”の意思を示した大規模デモが発生したという重要な日だ。今年もその日まであと1か月足らずとなっている。

ところで、2月14日も実はチベットにとって重要な日だ。1913年2月14日、当時の最高指導者だったダライ・ラマ13世により、チベットの独立宣言が発せられたのである。
既にあれから100年以上の月日が流れ、昨日は独立宣言101周年の記念日だった、ということになる。

独立宣言が出された経緯はこうだ。

18世紀以降のチベットは、東アジア大陸を支配していた満洲国清朝の事実上の保護領とされていたとされている。
しかし勘違いしてはいけないのは、「満洲国清朝がチベットを支配していた」という図式ではないということだ。チベットと満洲の関係は言わば寺と檀家に比される「チュ=ユン」と呼ばれる関係だったのである。
(蛇足だが、上記の関係はあくまでチベットと満洲の関係であり、当時満洲国に滅ぼされて世界地図上から消えて無くなっていた中国は一切関係無い)
その一方でチベットは、南は当時インドを支配していたイギリスやネパール、北はロシアの脅威に晒されるなど、外交的に極めて不安定な位置にあった。
そんな中、第1次、第2次アヘン戦争で国力を弱めていた清朝はチベットに対する影響力を弱めるが、イギリスとの戦いで敗れたチベットの賠償金を肩代わりすることで再び宗主国としてふるまい、そして1910年、趙爾豊率いる清軍がラサに侵攻し、ダライ・ラマ13世がインドへ亡命するに至る。
ところが1911年、趙爾豊が暗殺され、翌1912年には中華民国が成立し、満洲国の領土が中国にそのまま乗っ取られる形で清朝が滅亡する。そんな中、鍾頴に引き継がれた清軍はチベットから撤退を始める。
1913年、ダライ・ラマ13世がチベットに帰還。2月14日、
「今や『施主と高僧の関係』を口実にチベットを奴隷化しようとした中国の陰謀は、塵のごとく、または虚空の虹のごとくに消えた。命あるものが、再び仏教と富によって幸福な新たな黄金時代を享受し始めている」
などと宣言。国旗を決め、外務省を設立し、独自の切手や通貨を発行するなど、近代的な手法も採り入れて独立国家としての色彩を強める。
雪山獅子旗
▲チベット国旗となった雪山獅子旗

(宣言が出された経緯については以上だが、更に1914年にはインドのシムラでチベット、イギリス、中華民国による会議が行われ、シムラ条約でイギリスとチベットの国境が確定し、中華民国が批准を拒否したことでチベットが国の宗主権を否定し、チベットの独立は国際法上にも確定する)

ただ、チベットが満洲国や中国に“臣従”した歴史はさらさら無いので、研究者の中にはこの宣言を「独立の再確認宣言」あるいは単に「13年布告」と呼ぶ方もいらっしゃる。

以上のことから言えるのは、(今更言うまでもないことではあるのだが、繰り返させていただくと)
東アジアを支配するカルト集団が幾ら「チベットは中国の一部」などと妄言をほざこうと、それには何の根拠も無く、
あるのはチベットが中共の侵略以前に独立国家だったという厳然な証拠のみ

ということだ。

チベットに自由を!

 

参考:白雪姫と七人の小坊主達「ダライラマ13世の国民への布告(1913年)」
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-652.html

【講演】春のカワカブ(梅里雪山)とカイラス

東京・市ヶ谷のJICA地球広場で開かれた、チベットの山に関する講演会に行ってきました。
今回の講演は、東チベットのカワカブ(カワ・カルポ、中国語で『梅里雪山』と呼ばれる山系の主峰)で遭難した、私の大学時代の友人を含む登山隊(詳細はこちら)の遺骨・遺品の捜索を続ける小林尚礼さんを中心に開かれたもの。ゲストに、チベットを自転車で駆け巡ってきた安東浩正さんを迎えてW講演が行われました。

まずは、小林さん。シャクナゲやサボテンの花などで彩られた美しいカワカブの写真の数々を見せていただきました。
実は、私もカワカブの見えるはずの場所に行ったことがあるのですが、折悪く雨季で山の姿は見られずじまい。小林さんの写真は何度も見させていただいてその度に「もう一度行って、今度こそカワカブの雄姿をこの目で見たい」と思わされるのですが、今回の講演ではそれを上回る別の「見に行きたい」の思いにかられることになります。
それが、安東さんの講演のテーマとなったカイラス(カン・リンポチェ)。西チベットにそびえる、チベット仏教とは勿論のこと、ポン教やヒンドゥー教の信者にも神聖視されている聖山です。
前半は、雲南留学中にラサから冬の東チベットを自転車で横断して麗江、大理、昆明に抜けたという驚愕のエピソードを語っていただきました。後半は、やはり自転車でウイグルのカシュガルから西チベットのアリを経由してカイラスに辿り着き、周囲を巡礼したエピソードなども語って頂きました。カイラス巡礼のコツや宿の場所なども語っていただき、いつかカイラスへ行く時が来れば必ずや役立つであろう知識を得ることができました。
もう一つ興味深かったのは、高山病を予防するコツでした。
「呼吸する時は、ゆっくりと息を吐くことはしない。息を吐いて肺が縮む時間を極力短くする」
「チベット鉄道に乗る場合は、ゴルムドを過ぎた先の最大の山越えの際に寝ることはしない。起きて高地順応に努めること」
「ゆっくり歩く」
「荷物は軽く」
などなど。なるほど。これもチベット再訪やカイラス行きの時に必ずや役立つ知識になるだろう。

カイラスは私にとって憧れの地。しかし人里離れた場所にあり、行くには困難を伴うまさに秘境。よしんば到着できても、4500mもの高地を歩いて巡礼しなければならないのでそこで更に苦労が待っている。
しかし、そんなカイラスにも変化が起きているようだ。

舗装こそされていないものの、自動車で走ることができる道ができているという。
インド人がカイラス巡礼路の中でもとりわけ厳しい難所にロープウェイを造ろうとしているという。

神とあがめる山を巡礼するのに横着をしてどうする? やはりカイラスの巡礼路は自分の足で歩いてナンボだろう。

「カイラスは、今はまだ“秘境”と呼べます」
安東さんが言う。確かに、今ならまだ間に合う。何としてもカイラスが“秘境”と呼べる間に巡礼を実現させたいものだ。

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