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雑記ブログ

旅のこと、写真のこと、チベットのこと――日々の雑感をつれづれなるままに書いています。
最近は長文を書くゆとりが無く、更新が滞っています・・・短文ならTwitterでつぶやいていますので、右サイドナビのTwitterパーツをご覧下さい

チベットの人道的侵害でスペイン最高裁が判決

「普遍的管轄権」という言葉をご存じだろうか。私はつい最近になって初めて知った。

国際法によれば、国家は、国際法上の犯罪の加害者を訴追することが可能であり、場合によってはそれを要求されている。この管轄権は、どこで、いつ犯罪が起きたかに関わらず、また被疑者あるいは被害者の国籍に関わらず、また、法廷が設置されている国に何か特別な関係、例えば当該国家の安全保障など、があるかどうかに関係なく存在する。
普遍的管轄権は、国際法上もっとも重大な犯罪として、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪、拷問、超法規的処刑および「失踪」に適用される。国内法の犯罪である、殺人、誘拐、暗殺および強かんなどにも同様に適用される。

(アムネスティの資料より
PDFファイル:http://www.amnesty.or.jp/modules/mydownloads/visit.php?cid=13&lid=35

これまでに、ピノチェト事件(後述)で普遍的管轄権によってチリのピノチェト元大統領がスペインでの判決に基づきイギリスで逮捕された例や、グァテマラの虐殺や拷問に対しスペイン憲法裁判所が普遍的管轄権を認めた例があり、日本でも日本の法輪功愛好者が中国大使館と江沢民・前中国国家主席らに対し集団虐殺罪と名誉棄損で損害賠償を求めて大阪地裁に訴えたことがあった(これは却下された)。

先日、ロンドン在住の日本人チベットサポーターのWさんから興味深い情報が流れてきた。
またもスペインで、チベットの虐殺・拷問の問題で最高裁が中国法務部代表8人に判決を通達したというのである。(これが、私が『普遍的管轄権』という言葉を初めて知ったきっかけだった)

以下、WさんからTSNJメーリングリスト経由で送られてきた内容を引用。

スペイン最高裁の裁判官はチベット自治区党,張慶黎書記長を含む、中国法務部代表8人に最高裁決定を通達した。決定は2008年3月以降続いているチベット人に対する厳しい取り締まりに関し、チベットの人々に対する犯罪についての調査を懸案事項に含む。
裁判官は中国外務省に対して、もしスペイン国内の裁判所での被告人に対する質問が拒否された場合には、中国国内で行われることができるよう許可の申請をした。
Santiago Pedraz裁判官はまた、チベット内の刑務所と抗議行動の起こった主要地を視察する許可を申請し、インド政府にもダライラマと亡命政府の拠点であるダラムサラでチベット人目撃者に証言をとる許可も申請。

この訴訟は現在スペイン最高裁判所で” 普遍的管轄権” に基づき現在進行中の2つのチベットに関する訴訟のうちの一つで、これによって最高裁はテロや戦争犯罪、拷問の関連が認められた場合には国境を越えてアクセスが可能になる。

特に昨年の武力鎮圧を含む、2006年以降に関するこの訴訟はTibet Support Committee of Spain (CAT) と Fundacion Casa Del Tibet, Barcelona(バルセロナ、チベットハウスファンデーション)から起こされ北京オリンピックの開幕わずか数日前に、裁判所に受理された。

Judge Pedraz裁判官は中国当局に、 AFP通信社 (May 5, 2009)によって指摘され提出された、今訴訟に関する裁判の参考書類によると、2005年に中国はスペインと二国間の司法協力協定に署名したことについて指摘し”私たちのそれぞれの二国間の友好関係を考え,私の要求に対して良い回答をしてくれることを望む”と書面で発表。

裁判官はさらに、これらの告訴内容が実証されれば、人道侵害の罪でスペイン法と国際法の両方で裁かれることになると発言。

”チベット住民は政治的、民族的、文化的、宗教的、国際法のしたで世界的に認められないとされているその他の動機などによって迫害されてるグループのように見えるだろう”と同氏は、書いたとAFP通信の報道。

裁判所によって公表された判決内容では Pedraz裁判官は”現在訴訟手続きの経過で調査中である、チベットの人々に対する人道侵害の犯罪の関与”について” 中国の指導者を質問することの必要性を強調.
また同様の書面の中で訴訟に関する書類のコピーが同封されている事にふれて”スペインの刑事法
と刑法775に乗っ取って弁護する権利を行使するためには、
もし被告人がこの(スペインの)最高裁でそうするのを拒否した際には、中国国内にて中国法務部から中国への被告人質問を行う司法許可を得るため、
スペイン国内で連絡が可能な指定されたアドレスをもつことが必要です。”と
ある。

起訴状によると8名の中国当局関係者、被告人の中には以下の3名も含まれている。

●- チベット自治州チベット自治省の共産党書記Zhang Qingli(張慶黎)
ダライラマに対する悪意に満ちた声明や、チベットにおける愛国教育のキャンペーンなどで知られ、チベットにおいて反感や不安を招いたとされる。

●- 新疆自治区ウイグル自治区トップの共産党委員会書記、
ウイグルの人々に対して、一連の強硬政策の指揮をとった
中国共産党中央政治局Wang Lequan(王楽泉)

●- 前中国少数民族?外交流教会会長、チベットを含む中国の西部地域全体の経済政策の指導計画の実施にしていた Li Dezhu(李匇洙)
  

ICT*International Campain for Tibet も、2週間に渡る裁判の経過で

昨年の動乱後からの経過についてまとめられた資料(2つとも英語、以下からダウンロード可能)
http://www.savetibet.org/media-center/ict-press-releases/a-great-mountain-burned-fire-chinas-crackdown-tibet

‘Tracking the Steel Dragon’,中国政府によるチベットにおける経済、社会的政策についてまとめた資料を、最高裁裁判官に提出した。

http://www.savetibet.org/media-center/ict-news-reports/tracking-steel-dragon-how-chinas-economic-policies-and-railroad-are-transforming-tibet)

今回の訴訟の指揮を執ったのは、
Jose Elias Esteve Moltoバレンシア大学国際法学科教授と、Alan Cantos のSpanish Tibet Support Committee(スペインチベット支援委員会)で海洋学の研究者は、今回の訴訟についてこう語った。

「我々は国際法を用いてチベットの人々に正義を求めると同時に、中国政府指導者に対してはっきりと責任をとうことの出来る方法を調査しました。現段階ではまだわかりませんが、起訴された中国指導者らの証言要求に従うことが彼等によって拒否された場合には、スペインと犯罪者引渡条約を結ぶ国の国内で、彼等を逮捕することができます。これはインターポール(国際刑事警察機構)による規約であり、個々の政府によるものとは関係なく施行されるものです。

スペイン マドリッド訴訟のブログは以下で(英語)
ICT blog on the Madrid lawsuits: http://weblog.savetibet.org/2009/04/30/in-search-of-justice-testifying-on-tibet-in-madrid/
メディアの方などで、もっと詳しく知りたい方は、ICT広報担当までご連絡下さい Kate Saunders ;Communications Director, ICT

Tel: +44 7947 138612
email: press@savetibet.org
press@savetibet.org

ICT広報担当官で今回の裁判にも、スペインに出向いて証言資料等の提出をしたケイト サンダーズの語る所では、

スペインにはチリの独裁者ピノシェ(ピノチェト)逮捕を可能にした裁判官Baltasar Garzonなど参加する『Group of Progressive Persecuters』という司法家の団体があります。
(裁判官Baltasar Garzonについて参照;http://en.wikipedia.org/wiki/Baltasar_Garzon

裁判官Baltasar Garzonはピノシェの” 普遍的管轄権” の行使を可能にしたパイオニアで、1998年にインターポールを通した国際逮捕状の発布により、治療目的でロンドンを訪れたピノシェを逮捕に至リました。この件に関してはアムネスティとメディカルファンデーションがピノシェのスペイン最高裁出頭に対して、かなり運動をしましたね。
(ピノシェの逮捕について参照;http://en.wikipedia.org/wiki/Augusto_Pinochet
==========
※カズ補足
ピノシェの逮捕について参照(日本語):http://www.chunambei.co.jp/pinochet-1.html(中南米新聞)
==========

今回のチベットに関する裁判を担当しているSantiago Pedraz裁判官も、その『Group of Progressive Persecuters』のメンバーの一人で、今回の訴訟の指揮を執った、Jose Elias Esteve Moltoバレンシア大学国際法学科教授と、Alan Cantos の二人は自国の法の枠を越えて普遍的な人道に関する罪を” 普遍的管轄権” の行使によって可能にすることこそが、ダライラマの説く「中道」アプローチだと共感し、10年の歳月をかけて訴訟を起こしました。

現在スペインではチベットに関する2つの個別の訴訟が起こされています。
一つが、この記事に関する去年3月動乱以降に関するもの。
と、もう一つは過去50年にさかのぼって、チベットにおける中国の「人道に関する罪」を問うものです。(労働改造所への強制収容、漢族との通婚の強制などを含む)
なお、2006年9月30日に起きたナンパラ峠での少年・尼僧射殺事件についても、現在準備中だそうです。

この国際法によるアプローチの優位性は、国際法というインターポールを通した刑の行使によって個々の国の法律を乗り越えことを可能にする点です。
ロンドンでピノシェを逮捕可能にしたように、スペインと犯罪者引渡条約を結ぶ国の国内で、起訴された8人の中国人被告人を逮捕することも可能になります。

これに触発されて、様々な国で現在話し合いが始められているようです。

日本でもどのような運動の可能性があるかなど、模索してみたいですね。

日本がスペインとどのような司法協定をもっているか、今回のスペイン最高裁決定に関して、今後どのような運動することが可能かなどについて、日本の司法家でご協力、アドバイスをいただける方、是非とも、ご連絡下さい。

スペインは日本と司法共助条約を結んでいる(参照:外務省公式サイト『スペイン王国』)。その内容によっては上述の被告の身柄を日本からスペインに引き渡すことも可能な訳だ。
「インターポール(国際刑事警察機構)による規約であり、個々の政府によるものとは関係なく施行されるものです」ということだから、つまり、中国の顔色ばかり窺っている腰ぬけ日本政府がどう思おうとインターポールの権限によって施行できるということである。

いずれにせよ、今後の動きに注目。面白いことになるかもしれない。

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チベットの声を聞いてください

mixiで、抑圧を受けるチベット人の痛ましい声が掲載されていました。ここに転載します。

はっきり言います。これを読んで心を痛めない人は人間ではありません。

チベットを愛しているみなさんへ
私はチベット人の代表として日本全国のみなさんに心から感謝いたします。これからもよろしくお願いいたします。

日本のみなさんへ、本当にありがとうございます。たくさんの人がチベットのために今までいろんなことやってきました。これからももっとやっていく人まだ
まだたくさんいると思います。

私は中国の中で育ったチベット人でございます。黒暗の社会です。これを思うたびに涙が出てきます。私の家族だけでいっても、59年私のお爺さん政治犯で刑務所に入った。当時私のお父さんは2歳になっていない。家全部壊され、財産、家具すべて持ち出されました。残されたのはお婆さんと二人の子供だけでした。食べ物、着るもの一切なし。そのとき何を食べてきたのか、草です。私の家族は59年から草をたべって育ってきました。私のお父さんは自分のお父さんの顔も知らない。刑務所から帰ってきて、すぐなくなりました。生まれる前の年になくなりました。それからお婆さんは私が21歳のときになくなりました。
わたしが子供のときお婆さんは毎日泣いて当時のことを話しました。

残った三人の生活、なくなったお爺さんの刑務所での生活、これを考えると私の心臓動かない。この悲しみは一生消えない。

昨日テレビを見ました、中国の大使館の人と中央テレビのアナウンサ、大学の教授ら三人いました。最初は日中関係を話しましたが、途中からチベット問題をはなしました。そのときのあいつらの発言は私の心を射しました。何であんな発言するのか。その場で殺したかった。日本人に”あなた達はチベットのことわかっていません。もっと勉強してください”こんな自慢の発言もしました。一人だけじゃない三人とも、これで見ると、中国人が傲慢な人間なのがわかります。自分の上には何もないと思っています。本当にありえないですよね。中国人には人権があります、自由を知っています。

私はひとつの例を挙げます。中国のすべての番組で毎日日中戦争が放送されています。今でも放送しています。中国の13億の人の中で半分以上の人は日本という国の事はわからないと思いますが、日本語というと「馬鹿やろ」これは誰でもわかります。何でこんなことになるの、これは中国教育問題です。

じゃ それでは チベットは?何でチベットと中国の戦争は放送できないの。なんで、理由は????これは自由ですか。これは人権あるのか。こんな例はたくさんあります。

中国は世界に”チベットは発展しています”って言っています。本当にそうですか。日本のみなさんそう思いますか。もし思っていれば大間違いです。”チベット鉄道はチベットのためです。”いいえ、違いますよ。チベットを漢化させるための第一歩です。中国の資源の50%はチベットにあります。それの運送のためです。または今回のように軍人移動のためであります。それでチベット鉄道を建設のためにその周辺と駅だけ、観光客の目の前だけきれいにしているだけです。それを世界に大きく広げています。中国のやり方を見ると心が止まらない。

チベットのみんな苦しんでいます。助けて下さい。

Free Tibet !!

殺生戒を踏みにじるチベットの文革―「看不見的西蔵」より

チベット問題を訴えるサイトやブログは数あまたあるが、中国発(サーバはアメリカに置かれているが)の中国語によるという、稀有なブログがある。

看不見的西蔵 ― Invisible Tibet (見えざるチベット)

作者は、ツェリン・ウーセル
北京にいながらチベット現地とコンタクトを取り続けて真実の情報を収集し、世に訴えるチベット人女流作家である。
ウーセル女史の詳しいプロフィールはこちら

前々から存在は気にしていたが、今や衰えを隠せない私の中国語力では読むのがしんどく、きちんと読まずに過ごしてきた。
ところが先日、「チベットNOW@ルンタ」さんでこのブログの翻訳をお願いする記事が掲載されているを見かけ、「ここは一肌脱ごう」と考え、「看不見的西蔵」のある記事の翻訳に取り掛かった。
今年1月に「08憲章」の翻訳をやって以来の中文和訳となったが、あの時よりも文章がやや難しく、辞書に首っ引きとなった。また、チベット人の名前について漢字からなかなか正確な発音が掴めず、苦労した。いずれも、mixiで交流のあったチベットサポーターの方の多大な協力もあってようやくクリアし、翻訳を完了させることができた。

既に「チベットNOW@ルンタ」さんに全訳が掲載されているが、折角なのでここでも紹介することにする。

記事の内容は、文化大革命時におけるチベットでの迫害の様子を描いたものである。

2009年4月9日
殺生戒を踏みにじるチベットの文革

ここに掲載した文と写真は、以前のブログ「深紅色の地図」で発表したことのあるものである。あれは昨年の4月24日のことだった。
今回、再度ここに掲載する。歴史は忘れてはならない。なぜなら、歴史は繰り返されているのだから…

ウーセル:

1957年―1959年の間にチベット全土で絶えることなく発生したチベット人による反中国共産党政権武装反抗が鎮圧された後、文化大革命の期間中、中国共産党軍は各地で殺生戒を踏みにじる。

当時、まず行われたのが「反乱分子」の殺害だった。例えば、1969年3月に端を発した、チベット・チャムド地区、ラサ市近郊の県、シガツェ地区、ナクチュ地区等の地で相次いで発生した暴力事件がある。これらの事件は「反革命暴乱事件」と呼ばれ、当時「再叛」(1957年―1959年の反抗が第1 次”叛乱”とされる)と位置づけられた。これは「再叛」ではなく文革期間中の造反派組織間の武力闘争だとする見方もあるものの、軍隊は「叛乱平定」の名の下で鎮圧を行っていた。いわゆる「再叛」平定は実際のところ、殺戮の軍事行動が終了した後、即ち大規模な逮捕・拘禁・処刑だった。ニェモ県でのチベット人抗争を指導した尼僧ティンレー・チュドゥンはチベット人に知らぬもののいない「反動分子」とされた。1970年2月上旬あたりだったか、この日ラサ中の人々が公判大会の「会場」と南郊外の川原の処刑場に連れ出され、目も覆わんばかりの「階級教育」を受けさせられた。暗い赤色のプル(チベット産毛織物)のチベット民族衣装をまとったティンレー・チュドゥンは、体はやせ衰えていた。彼女は批判闘争にかけられ、その後彼女と17人のチベット人に第1回の公判判決が言い渡された。この写真はまさにその時の公判と処刑の現場のものである。

公判大会
(『看不見的西蔵』より)

「ラサ競技場」の名を持つ「ポ・リンカ」。その広大な空き地は数万人を収容できる公判大会会場となった。殺人の刑場は幾つもあった。セラ寺の鳥葬場、シェンド発電所隣の鳥葬場、蔡公塘の鳥葬場、グツァ刑務所隣の鳥葬場、南郊外の川一帯だ。説明しよう。鳥葬場近くで死刑を実行するのは死者をチベット伝統の葬儀の習慣に則って鳥葬に付すことができるからではない。なぜなら、鳥葬の習慣は「四旧」の一つとされてとうに禁止されていたのである。解放軍軍人による銃声の中、彼らが前もって掘っていた穴の中に一人の「先発反革命分子」が倒れ、その後土で蓋をされる――即ち土の下に埋葬された。中には足の裏が外にむき出しになっていて野良犬に食いつかれた者もいた。

公判大会
(『看不見的西蔵』より)

当時、「叛乱分子」殺害のほか、「叛国分子」殺害も行われていた。当時、文革の恐怖と貧困に耐えられず近隣国に逃れる人々が少なくなく、不幸にして捕まり「叛国分子」の罪名で罰せられる者がいた。トゥプテン・ジグメという名の若者――ラサ高校66班の学生――とその恋人の華小青(チベット人と漢人のハーフ)が逃亡の際に捕らえられた。華小青は獄中で所員に強姦され、その夜自殺した。トゥプテン・ジグメは公判にかけられ処刑された。彼の同級生の一人は当時の目を覆いたくなる光景を今も忘れられずにいる。「トゥプテン・ジグメが銃殺されたあの日、私たちは見ました。彼が街中を引きずり回されている時、私たちはこの目で、彼ががんじがらめに縛り上げられ、背中にプラカードを掛けられ、首に縄をかけられて今にも絞め殺されそうになるのを見てしまったのです。その実、彼はもう絞め殺されていました。処刑場に着いた時にはもう死んでいたのです。顔は膨れ上がって青白くなっていました。あの時の彼は、まだ20歳になったばかりぐらいだったのに」

かつては中国共産党の協力者だったのが文革時には「妖怪変化(文革時に旧地主や旧資本家、学会の権威などがこう例えられた)」におとしめられた貴族官員サンポ・ツェワン・リクジンの息子も「叛国」の罪で銃殺された。彼は20歳前後の足の不自由な青年だった。彼と一緒に逃亡を試みた2人の若者も銃殺された。やはり「ラサ競技場」で公判にかけられた後判決を受けた。聞くところによると、彼は銃殺前に既に撲殺されていた。ある者は自殺だと言う。いずれにせよそれにもかかわらず、彼の遺体はなお銃殺にかけられたのである。

いわゆる「叛国分子」の中には、海外に逃れようと計画しただけで殺害の憂き目に遭う者もいた。ロカ地区ギャツァ―チュスム間のポータンラ山での道路工事の際、「領主」或いは「代理人」に属する家庭出身の何人かの若者が苦しい生活と精神への圧迫に耐えられず、国境を越えてインドに逃れようかという考えを会話の中で吐露したところ、一人の同僚に密告され、道路工事班の指導者が即座に上へ報告し、ラサから派遣された解放軍軍人がその何人かの若者を全員逮捕した。程なくして、ドンジュ(16歳)とツドゥ(14歳)が公判にかけられて銃殺され、ソナム・ロツァ(18歳)が獄中で撲殺された。1950年代の間、中国共産党に「愛国上層人士」と讃えられた活仏ツァワの外甥(16歳前後)は20年の判決を受け、のちに釈放された後インドへと去り、それ以来戻っていない。

見せしめの様子
(『看不見的西蔵』より)

一人を殺して大勢の見せしめにする効果を挙げるため、当時盛んに行われていた方法に以下がある。
1. 死刑判決の布告を至る所に貼り出し、判決を受けた者の写真或いは名前の上に人の目を引く赤い×印を描く。
2. 群衆の面前で公判大会を行い、判決を受ける者の親族は必ず最前列に立たせ、公判後は警察と兵士の手でトラックに乗せられ沿道にさらし者にされ、それから刑場に戻って銃殺に処される。中には刑場に着く前に首にかけられた縄でしめられて死んでしまう者もいた。親族は遺体を引き取ることを許されず、それどころか銃弾代を支払わされ、挙句には党が「階級の敵」を消滅させてくれたことに対して公開で感謝の意を表しなければならなかった。多くの人は虐待に耐えられず獄中で自殺し、また酷い刑罰を受けて死ぬものも多くいた。

1970年及び1971年に銃殺された人の人数について、私が以前取材したチベット造反派「造総」司令の陶長松が語った。銃殺された人のうち1969年のいわゆる「再叛」で法廷から銃殺の判決を下された者は295人。後にその295人のうち、誤って殺されたと認められた者が出て名誉を回復され、その家族に 200元、800元の「慰謝料」が支払われた。これについて、元「造総」司令の陶長松は聞くに悲しい話を語った。

「チベット族の人々は極めて従順で、彼らを銃殺した時、『トゥジェチェ』(チベット語で『ありがとう』)と言い、200元を支払った時にも『トゥジェチェ』と言い、800元を支払った時もまた『トゥジェチェ』と言っていた。彼らチベット族の人々は実に可哀想だった」

私が以前取材した「再叛」調査グループの責任者ドルジェは、この数字をはるかに越えていると考えていた。彼が言うには、1970年に「毛沢東思想学習班」をやっていた時に多数の人々が殺された。「バンパル、テンチェン2県だけで100人以上に上った……これが第1弾の処刑で、既に死刑判決が下されていたために本来なら2度、3度の処刑でその度に数百人が殺される予定だった。ところが第1弾の処刑後、第2弾は認められなかった。拡大化の傾向が見えていたのかもしれない。73年に私たちが政策を実施しにバンパルに赴いた時、死刑執行を待つ者、既に獄に繋がれて無期懲役の判決を下された者、15年、18年、最低でも10年の判決を下された者は、私が訪れたあの郷だけでも多数いた」。その他、現地で働いていたあるチベット人もこう語っている。「バンパルの再叛と言えば、1回の公判で銃殺されたのは90人以上だった」

しかしながら、銃殺された大多数が未だ名誉回復をされていない。当時の「赤の恐怖」を経験したあるチベット人はこう吐き捨てる。「こんなにたくさんの殺人事件で、私たちチベット人の心は恐怖に打ちひしがれている。私たちが受けた傷は深く、共産党への信頼も無くなった。だから、87年、89年のいわゆる“騒乱”も実際のところ、これらの傷害と関連しているのだ」

文革の酷さは既にいろいろな所で読んでいるので、今更驚きはしない。
ただ、冒頭に書かれている「歴史は忘れてはならない。なぜなら、歴史は繰り返されているのだから…」という一言[※]が意味深長である。

そう。チベットでは同じ位酷い抑圧が今でも続いているのである。
中国共産党の人の命を重んじない体質が今も当時も変わっていないことをこの一言がさりげなく示しているのだ。

チベットだけではない。1989年の天安門事件もその表れだろう。あの事件は既に20年前のものだが、同じようなことが中国共産党政権下で再び行われれば、また「歴史は繰り返される」のではないか。

今の政権の体質を、或いは政権そのものを変えない限り、チベットの、また東トルキスタンの、南モンゴルの、そして中国そのものの人々の前途に光は見えない――あらためてそう思わされた。

 

今回の作業で、ウーセル女史のブログをもっとじっくり読みたい、そして、もう一度中国語を頑張ってみるか、という思いがわいてきた。
せっかく学んだ中国語だ。生かせる所で生かさなければ。

 

[※]白状すると、私は当初、この部分の「在」一文字を見落として「歴史は繰り返すのだから…」と訳していたが、上記の協力者のご指摘でとんでもない誤訳をしていたことに気がつかされた。たった一文字で文の持つ意味は大幅に変わるものである。翻訳するということ、文章を書くということは、げに難しい。

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チベット・アムド地区ゴロクでの騒乱

ついに衝突が起きてしまった・・・

チベットのアムド地区ゴロク(中国共産党が”青海省果洛”と称している街)でチベット人と中国共産党当局の間で大規模な衝突が起きたようである。

日本の各種メディアの報道を総合すると大体以下の通り。

新華社通信によると、ゴロクチベット族自治州で21日、僧侶約百人を含む数百人が地元の警察署と政府庁舎を襲撃、政府職員数人が軽傷を負った。
警察当局は22日、暴動に参加した6人を逮捕、ほかに89人が自首/出頭し「秩序は回復された」としている。

新華社電によると、当局者は今回の暴動について「チベット独立を支持した疑いで取り調べ中の男が警察署を脱走、行方不明になったとのうわさが広まり、騒動に発展した」と説明。

チベット亡命政府によると、警察署周辺には約4000人Phayulによれば2000人)が集結し、「チベット独立」などと叫んだ。
また亡命政府は(中国当局が『チベット独立を支持した疑いで取り調べ中の男が警察署を脱走、行方不明になったとのうわさ』について)「チベット旗の所持などで捜査中の若い僧侶が川に飛び込み、自殺を図った」と発表した。

要約を2つに分けたのは、既にお気づきだろうが、中国共産党御用通信社・新華社の言い分とチベット亡命政府の発表に分けたものである。

前半に纏めた部分だが、中国共産党にとって都合の悪いことは隠蔽・捏造・歪曲を当たり前のように行う不公正な通信社の記事を垂れ流しているだけである。
憶測の域を脱しないが、

 抗議行動(デモ) → 襲撃
 銃をつきつけられてホールドアップした → 自首/出頭

このくらいの捏造、やりかねない。
(ちなみに、各メディアが『自首/出頭』と報道する中、ロイター日本語版だけがかぎ括弧つきで『降伏』と報じている。まだこの方が真実に近いと思われる)

また、抗議行動を行った人数の差も大きい。
数百人中の95人と数千人中の95人とでは、意味合いが違ってくる。しょっぴいた人数が全体の2.5%程度だとすると「秩序は回復された」どころか相当火種が残っていることになるだろう。
新華社の報道には、事件の矮小化の意図がありはしないか。

あと「政府職員数人が軽傷を負った」とあるが、一方のチベット人側に負傷者が出なかったのかについて全く触れられていない。”衝突”が発生しながら全くいなかったとはまさか考えにくい。チベット人が何人怪我をしようが死のうが知ったことではない、当局側の人間が負傷したことが重要なのだ、ということか?

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【レビュー】映画「風の馬」(ポール・ワーグナー 監督)

<3月10日>
映画「風の馬」「雪の下の炎」プレミア上映会のレビュー、次は「風の馬」です。

 

1998年。幼い頃祖父を中国人に殺された兄妹はラサにいた。兄のドルジェ(ジャンパ・ケルサン)は職にも就かず、酒びたりの毎日を過ごしていた。妹のドルカ(ダドゥン)はナイトクラブで歌う歌手で、中国人の恋人の協力でスターへの道を歩んでいた。ある日、2人のいとこの尼僧・ペマ(女優名不明)が、当局の宗教弾圧に反発してバルコルの人だかりの中「チベットに独立を!」と叫んで拘束されてしまう。ぼろ雑巾のような姿で釈放されたペマを見た2人は・・・

 

この映画は、2つの実話を基に1998年に創作されたドラマですが、

 無差別の殺戮、伝統的な町並みの破壊、同化、洗脳、
 宗教弾圧、言論弾圧、監視、拷問、検閲、密告、亡命・・・

チベットのありとあらゆる問題が、そこには織り込まれていました。

ペマの「チベットに独立を!」という言葉、ダライ・ラマの写真を祭壇に飾ることに固執するドルジェとドルカの祖母の姿は、チベット人の心の内を代弁するものでした。

一番心が痛かったのは、この映画が11年も前に創られたものであるにもかかわらず、そこに表現されている当時のチベットの状況から現状が全く変わっていないことです。
この映画の内容が「過去のもの」になる日はいつ来るのでしょうか。

<予告編>

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