バス憧れの大地へ

雑記ブログ

テンジン・ドルジェさんを交えて「チベット支援」を考える

昨日トークを拝聴させていただいたテンジン・ドルジェ(テンドル)さんを迎えてのイベントがこの日も開かれた。

まずはテンドルさんのお話。初めに、拘束されていた5人の僧侶が逃げ延びてインド入りに成功した、という一報が紹介され、会場内が拍手でわく。
それから、昨日同様「中国の体制は長続きしない。チベットは必ず自由になる」ということを繰り返し強調。そして、文化的でソフトパワーなグローバルサポートを訴える。

第2部では、アムネスティ日本チベットチームの望月さん、ネパールでチベット人支援をしている貞兼綾子さん、チベット本土で支援をしている「I Love Tibet」主宰の長田幸康さんも交えて「チベット支援」についてディスカッションが行われた。
望月さんは、手紙や署名による圧力で囚人たちの待遇を改善させてきた、若しくは釈放させたアムネスティの成果や、今後は個別のケースから大型のケースへと変化させていく計画などについて言及。
貞兼さんからはネパールでの難民支援の変遷についてお話があり、「1990年に難民センターができてからネパールは第三国へ移住するために通過するだけとなり、居ついてしまったチベット人は『難民ではない』と処罰の対象になっている」「外国からの支援はダラムサラに集中していて、ネパールでは自分たちでサポートしているケースがある」などの問題点も指摘。
長田さんからは現地で信頼できるパートナーを探し、学校や職業訓練所設立の資金を提供するという活動の報告があった。一方、本土では住み込んでの支援が難しいこと、中国と付き合っていくことの難しさも指摘。
「中国と付き合っていくのは難しいが、利用できるところは利用する。役所や公安にも、党員にも『チベット文化を守っていかなければ』と考える人もいるのでその人を信用してやってみる。党員だからダメ、ということはない」
とのお話もあった。
そしてテンドルさんは
「自分にしかできない得意分野でサポートすることが大切。何が一番大事かは今は分からないので、あらゆる分野で努力する必要がある」
などと話した。

自分の得意分野・・・
何だろう、と考えてみた。

現状、私がやれている支援はデモなどに参加するか、このサイトでチベット問題を訴えることぐらい。
他に自分にできることは・・・

中国語。
これを生かすことができる場面は必ず出てくることだろう。

その他には、何かあるだろうか。

チベットサポート1年目は、「チベット問題を知る」ために費やされた。今後は、「何ができるかを考える」ための時期になるだろう。

 

さて、テンドルさんはこの日夜、東京・渋谷のUPLINKで上映中の「雪の下の炎」のトークイベントにも招かれていた。すっかりテンドルさんの人柄にひき付けられてしまった私は、ストーカー追っかけの如く予定外だったUPLINKにも出向いてしまった。
さすがにこの時のトークは既に聞いた内容が多かったが、
「日曜の夜にこんなに重い映画をご覧になって『パルデンさんはアンラッキーだった』とお思いになるかもしれないが、パルデンさんはむしろラッキーな方だ。なぜなら、釈放されずに未だ獄中で苦しんでいる大勢の人たちがいるのだから」
「パルデンさんは拷問の結果、今は病気を抱えていて毎日大量の薬を服用する必要がある。それでも彼は、病気を押して世界中を駆け回っている」
この話を聞いた時には、不覚にも涙腺が緩んでしまった。

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SFT事務次長テンジン・ドルジェさんを囲んで(詳細)

先に書いた、5/9に行われたアメリカ国籍のチベット人であるSFC事務次長テンジン・ドルジェ(テンドル)さんのトークイベントについて、詳しく書くことにします。

挨拶の後、まず2007年4月25日(パンチェン・ラマ11世猊下の誕生日を選んで行われた)にチョモランマベースキャンプにて行われたFree Tibetアピールの映像が上演された。
その3か月後に私自身が訪れたベースキャンプが、その時雲に阻まれて見ることができなかったチョモランマ峰が映し出され、その前で
 ONE WORLD
 ONE DREAM
 FREE TIBET 2008
 西藏独立

と書かれた横断幕が掲げられている。
「(ペテン五輪の聖火は)チベットに来ないでください。あなたたちの国の一番高い山でやってください」
「この地を中国にすること、チベット人を中国人にすることはできません」
「あなたたちは中国に住み、私たちはチベットに住みましょう。隣人として友人になりましょう。それ以外に道はありません」
テンドルさんの訴えが世界最高峰の前で響く。

続いて、テンドルさんのトーク。通訳つきの英語によるトークだったが、非常に聞き取りやすい英語だった。
テンドルさん
「アメリカ人として、アメリカのパスポートで中国に入国したが、チベット入りのパーミットをとる時、『あなたはチベット人』ということで断られた。中国人は自由にチベットに入ることができるのに、なぜチベット人が自由に入れないのだろうか? 結局、ツアーに潜り込んで飛行機でチベット入りすることができたが、本来はチベットが中国人にチベット入りを許可すべきであるはずなのに中国がチベット人に許可を与えることに理不尽さを感じた」
「ラサではプロテストを行った者と関わったとして迷惑がかかるといけないのでチベット人居住区に入ったりチベット人と話したりすることを避けていた。ポタラ宮にも行ったが主人が電気を消していなくなってしまったような印象を受けた。ラサ滞在は心苦しく、3日滞在しただけですぐにチョモランマベースキャンプに向かった」
「プロテスト当日、午前中は雲や霧でチョモランマ峰が見えなかったが、普段は唱えないマントラを唱えながら歩いていると、ベースキャンプに着く10分前ぐらいに雲が動き始めてくれ、寒さで使用が危惧されたコンピューター類も温まって使えるようになってくれた」
「アピールを始めて20~25分後、公安が来て取り押さえられ、所持品を没収されたが、映像は既にインターネットと衛星を通じて送られていた」
「初めは中国語やチベット語で怒鳴られていたが、アメリカのパスポートを見せると急に態度が変わった」
「(拘束されていた)ティンリー郡には何も決定権が無く、水や煙草を与えていいかという些細なことまで、ティンリー→シガツェ→ラサ→北京というルートで伺い、その逆ルートで決定が届くのを待たなければならなかった。ようやく北京から届いた決定は『できるだけ丁寧に扱うように』というものだった。既に映像がYoutubeなどで公開された後で、丁寧に扱わないと国際問題になりかねないことを考慮したのである。1年後には五輪が行われるために中国はイメージアップが必要だったこともあり、私たちはすぐに解放されて3日後にはネパールに抜けることができた」
「今回のことで中国政府の本質が分かった。外に向けては規律が整っていて力強いように見せているが、チベットで見た中国は腐敗し、効率が悪く、政府で働いている人は最も無知で腐敗していた。インターネットの規制も政府の人を無知にした一因だ。中国の統治は人を無知にすることで行われる。こんなことが長続きするはずがない。中国のチベット統治はいずれ崩壊する」
「チベットは必ず自由になる。その根拠は、
1. 高地のチベットで中国人が長期にわたって暮らすのは難しい。
2. 中国はnationではなくempireである。歴史的に見て、モンゴルやイギリスを見ても分かるように、帝国は50年から100年、長くても200年ぐらいしかもたない。中国帝国は既にピークを迎えている
3. 非暴力。中国は強大で、中国が勝つに決まっていると考える人が多いが、チベットと中国の対決は非暴力対暴力の対決。中国は非暴力とどう闘えばいいか知らない」
「チベットサポーターの皆さんは歴史を変えることに貢献している。皆さんのサポートは仏教をサポートすることにもなる。チベットを支援することは世界平和に貢献することにもなる。非暴力のプロテストが成功すれば暴力による戦いの続く世界の人々の意識が変わるかもしれない」
穏やかで腰の低い人柄の裏には、熱く強固な心があった。

トーク終了後も、テンドルさんは参加者と気さくに会話をする。私も拙い英語で話をさせていただいた。
「あなたたちのプロテストから2、3ヶ月後、私もチョモランマベースキャンプに行きました」
「本当?」
「でも曇っていてエベレストは見えませんでした」
「6月?7月?」
「7月でした」
「ああ、7月は一番見えにくい時期ですよ」
そこへ、別のチベット人が
「祈らないからだよ」
と一言。そうかもしれない。先ほどのトークの中でマントラを唱えていたら雲が動いてくれたという話を聞いた瞬間、私も同じことを考えていた。

夜にはテンドルさんや在日チベット人を交えて食事会。チベットの人たちとはデモなどの折に少しばかり話をさせていただいたことはあったが、こうして杯を交わしながら交流することで、彼らとの絆が一層深まった気がした。

お開きの後、テンドルさんは在日チベット人たちと一緒に会場を後にした。きっと、同胞同士で飲みながら祖国のことでも語り合ったことだろう。

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SFT事務次長テンジン・ドルジェさんを囲んで

アメリカから大物チベット人が来日!
Students for a Free Tibet(以下SFT)で事務次長を務めるテンジン・ドルジェ(テンドル)さんである。

彼は、かつてチベットのチョモランマベースキャンプにてFree Tibetのアピールを行って拘束された経験があるという・・・

あれ?
この話、どこかで聞いたことが・・・

そうだ。
2007年にチベットを目指した時、外国人旅行客にパーミットがおりにくくなっていたが、その原因になったのがそのアピールである。これしきのことで全く関係のない外国人までシャットアウトするなど、全くもっていい迷惑を被った外国人に少なからず出会ったことをよく覚えている。

この日、テンドルさんのトークイベントがあり、ちょっと早めに会場に着いたら、SFTJの皆さんが打ち合わせをしていた。前にアースデイ2008でSFTJのブースに居ついてしまったことがあったためか、スタッフカードを渡されてしまった。
    違うよ、今日は一般参加だよ!!

開場を待っていると、眼鏡をかけた男性が寄ってきて、握手を求めてきた。
ネームプレートには「Tendor」。

そうか、この人があのアピールの主・テンドルさんか・・・温厚でにこやかで、人当たりのよさそうな人だった。

午後2時すぎ、イベント開始。
まず、2007年のイベントの映像が上映され、それからテンドルさんのトーク。アピールの様子やこれからのチベットのことについて話があった。

夕方からは、テンドルさん、在日チベット人、日本のチベットサポーターを交えての食事会。初めてチベットの皆さんと酒を酌み交わす機会に恵まれ、自分の中でチベットの方々との連帯感を一層強くすることができた。

(詳細については本日はちょっと書ききれないので、明日の午前にでも追記します)

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砂曼荼羅

朝8時。高速バスで長野駅前を出発。渋滞が心配されたが極めて順調に走り、むしろ予定時間よりもやや早く12時30分前には東京・新宿駅西に到着した。

昼食後、そのまま西新宿にある仏寺・常圓寺に向かう。ここでこの日まで、チベット・シガツェのインドの[※]タシルンポ寺から僧侶を招いて「チベット・スピリチュアル・フェスティバル2009@新宿」が開かれていたのだ。

[※]シガツェのものではなく南インドで再建されたものでした。ご指摘くださった渡邊先生、ありがとうございました。

今回の目玉は、招待された僧侶たちによる砂曼荼羅の作成。作業は非常に細かく、5月1日から5日間にわたって行われており、この日午後の完成を目指し、常圓寺地下で詰めの作業が行われていた。
砂曼荼羅作成中
※写真クリックで動画を再生
(YouTube利用、別ウィンドウ表示)

暫く、別フロアのグッズ売り場などを見た後、1階に戻ってTVモニタを覗いてみたところ・・・
完成した砂曼荼羅
砂曼荼羅の周りに僧侶たちがいない。どうやら完成したようである。

ふと1階のホール部分を見ると、大勢のお客たちが座り始めている。
「何かあるんですか?」
と顔見知りのスタッフに尋ねてみたら、
チャムですよ! これが肝心じゃないですか! 早く入って下さい!」
実はイベント内容を細かくチェックしておらず、砂曼荼羅のことしか頭にインプットされていなかったのだ・・・。

チャムとは、チベット伝統の仮面劇である。話には聞いていたが、見るのはこれが初めてだった。
チャム チャム
※写真クリックで動画を再生(YouTube利用、別ウィンドウ表示)

チャムの他にも、

4対1の僧侶の問答
4対1による僧侶の問答
チベット僧の祈り&楽器演奏
チベット僧の祈り&楽器演奏

※写真クリックで動画を再生(YouTube利用、別ウィンドウ表示)

なども行われた。

そして、16時20分、訪問客らが地下に集まる。
ここで行われようとしていたのは・・・

砂曼荼羅の破壇(取り壊し)

何と、5日間かけて作業して先ほど作り終えたばかりの砂曼荼羅を早くも壊すのだ。
これは、仏教の「諸行無常(変化しないものは無い)」との考えによるものである。砂曼荼羅を使った灌腸の儀式(私は行けなかったが今回もこの日の午前中に行われていた)が終わればそれはもう用済みということで壊してしまうのだ。
祈りの後、砂曼荼羅が僧侶たちの手で取り壊されていく。

壊される前の砂曼荼羅
Before
壊された砂曼荼羅
After

※写真クリックで動画を再生(YouTube利用、別ウィンドウ表示)

しかし、壊された砂曼荼羅の砂粒は、川に流される(今回は隅田川)ほか訪問客たちに分けられ、ご利益のおすそ分けがされるという寸法だ。
そのおすそ分けが↓これ↓。
曼荼羅の砂
あの砂曼荼羅は、タシルンポの僧たちが精魂込めて作ったものである。
そういえば、私がチベット仏教に引き込まれた場所がまさに、2007年に訪れたチベット・シガツェのタシルンポ寺だった。
何か、深い仏縁が感じられる。

タシルンポ魂、受け取りましたぞ!!(って、それが何なのか分からないのが致命的 orz)

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長野紀行(3)

善光寺参拝の後は、長野駅の方向へ戻った場所にあるもんぜんぷら座地下BOX (長野県長野市新田町1485) にて開かれていた(5月5日まで開催)「チベットウィーク2009春 in 長野」の展示会場へ。会場近くで、東京でお目にかかったことのあるスタッフの方にお目にかかり、場所を確認して会場に赴きました。
会場会場
限られたスペースの中、チベット問題の説明、写真、子供たちの絵、関連書籍、リーフレットの展示や折鶴コーナーなどが効率よく設置されていました。

その後、バスで川中島古戦場へ。上杉謙信と武田信玄が激闘を繰り広げた場所が長野市だったことを今回初めて知りました(長野県であることは知っていたのですが・・・)。公園内の神社には、当時の一騎打ちを偲ばせる謙信vs信玄の像や首塚、当時の陣立てを説明するパネルなどが置かれていました。
謙信・信玄の像
その隣にあった長野市博物館を見学後、市内から更に離れた松代にある松代城海津城)跡へ。バスが一向に来ないのでしびれを切らし、40分ほど歩いて行ってしまいました(バスには目的地手前500mほどで追い抜かれた)。
松代城
松代城は、真田信之に始まる真田氏松代藩の居城。当時の石垣が残り、太鼓門(再現)や戌亥隅櫓台(事実上の天守台)が立派でした。

バスで長野市内に戻り、チベット問題アピールのリンカ(ピクニック)がしばしば行われる若里公園をウロウロした後、再びチベットウィーク2009の会場へ。東トルキスタンの核実験被害を訴える映像を見させていただきました。
その後もスタッフの方々と懇談し、気がつけば夜の飲み会にまで参加――長野の熱く、濃いチベットサポーターの方々と実りのある時間を過ごさせていただきました。

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アースデイ東京2009 2日目

「アースデイ東京2009」2日目。本日は午後から会場入りしました。

本日は晴天。日曜日ということもあって、昨日に勝る大賑わいとなりました。
チベットブースも昨日に引き続き元気で、歩道橋から見えるチベット国旗も大きなものにバージョンアップです。
アースデイ会場

この日はチベットブースだけでなく、いろいろなブースやイベントを
アースデイのブース アースデイのイベント
見たいと・・・
思っていたのですが・・・

結局、殆どは写真を置かせていただいたStudents for a Free Tibet Japanさんのお手伝いに終始しました。

私がお手伝いしたのは、2つの署名(死刑判決撤回とパンチェン・ラマ11世解放を求めるもの)への協力を道行く人たちにお願いしたり、チベット問題についての質問に答えたり、が主な内容。
最初は署名の趣旨がよく分からなかった人たちもスタッフや私(私は”スタッフ”ではなく”助っ人”)が説明すると快く署名に応じてくれていました。
中には「チベットでは何が問題になっているのですか?」「なぜチベットはこんなことになっているのですか?」「チベットってこんなに大きかったのですか?」といった――1年前の私を見ているような――基本的な質問もあり、それに答えることでチベット問題への理解を広げていきます。私もようやく、そうした質問に答えられるようになりました。

午後5時、撤収開始。2日間にわたったアースデイが終了しました。
署名も集まり、チベット問題に対する認識とチベットサポートの底辺を広げることもできたのではないかと思っています。

※参考ページ
 ⇒弊サイト「チベットの環境破壊

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アースデイ東京2009

4月18、19日の両日、東京・代々木公園で「アースデイ東京2009」のイベントが行われました。
この日はその初日。午前はまだ人もまばらでしたが、午後には大勢の人で賑わいました。

多くの団体がブースを出し、いろいろな形で「地球」「環境」をアピールしています。
アースデイ会場
・・・あれ?
何か見覚えのあるものが・・・
チベット国旗が
あ! チベット国旗

実は、チベット支援団体もアースデイに参加していたのです。

参加したのは、

Student for a Free Tibet Japan
Students for a Free Tibet Japan
チベット教育サポート基金
チベット教育サポート基金


チベットサポートグループKIKU
チベットサポートグループKIKU
チベコロ
チベコロ



の4団体。それ以外にも、チベット関連では、ジュレーラダック(インド北部ラダック地方のサポートをしている。ラダック地方はチベット文化圏のひとつ)、アップリンク(チベット関連の映画を上映中) が出展しました。

チベットブースには、こんな素晴らしい目印も・・・
素晴らしい目印

各ブースとも、グッズを販売したり、チラシを配ったり、写真を展示したりして「チベット」をアピール。チベット人死刑判決撤回とパンチェン・ラマ11世の解放を求める署名活動も行われました。
私はどの団体にも属していませんが、チベットで撮った写真の中からチベット問題をアピールできる写真を選んでA4に引き伸ばしたものを持参し、SFTJさんのブースに置いてもらいました。

アースデイのイベントは19日(日)も行われますので、ぜひチベットブースに足をお運び下さい。
チベットブースは会場北側、陸橋の西側になります。渋谷・NHKホール側からだとケヤキ並木が大変混雑しますので、JR原宿駅、東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前駅、千代田線代々木公園駅、小田急小田原線代々木八幡駅からのアクセスが比較的便利です。
(イベントは終了しました)

※参考ページ
 ⇒弊サイト「チベットの環境破壊

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チベットトーク―モーリー・ロバートソン&福島香織

以前お伝えしたチベット映画「雪の下の炎」「風の馬」が昨日10日から東京・渋谷UPLINKにて本公開されました。
本日は「風の馬」の上映+トークイベントがありました。

映画の内容は以前の記事を参照していただければと思いますが、何度見ても胸が痛くなります。

上映終了後すぐ、トークイベントが始まりました。

爆裂トークを展開したのは・・・

モーリー・ロバートソン
日米ハーフの米国籍だが、完璧な日本語でJ-WAVEやポッドキャスト(i-morley)でラジオパーソナリティを務める。
2007年2~3月、チベットに渡って現地から生情報をポッドキャストやインターネットラジオで発信するというプロジェクト・チベトロニカを展開。「3日ぐらいで規制が入るだろう」と思いつつ始めたらそのまま無事プロジェクトを全うする。

福島香織
産経新聞政治部記者。前赴任地は中国・北京総局で、ブログ・北京趣聞博客(ぺきんこねたぶろぐ) [1]でチベット問題に対して鋭い指摘を続け、アンチCNN(http://www.anti-cnn.com/)[2]で中傷を受けるほどの反響を呼ぶ。

トークはチベット問題の報道について、モーリー氏が話題を振って福島氏が報道の表裏について語るという流れが基本で行われました。

福島氏は
「2008年3月の騒乱の時に、チベット人女性とコンタクトから情報をもらうが、余りにもCCTVなどの報道と違い、何が本当なのか分からなくなった」
「公式発表と現場の情報が食い違っているが、調べがつかない。新華社などがはっきりと報道されているのを見ると『一面あり得るかな』と思ってしまう」
「日本の記者は取材妨害に遭っても『中国だから』と諦めてしまうが、欧米人は屈しない」
「圧力を受けた現場の人はそれを報道してほしいが、上層部の判断で報道されないことがある」
「(コキントウが来た時に日本のメディアがチベット問題に触れずに傍観していた、というモーリー氏の指摘に答えて)コキントウが来たとか何をしたとか、公式に発表されることが優先的に報道される。よく分からないチベット問題は後回しにされる」

など、いろいろな問題点を指摘。

モーリー氏が
「報道で『mixiの○○さんによると・・・』とか『i-morleyによると・・・』とかもあってもいい」
と言うと、福島氏が
「そういうのがあっても面白い。『APによると・・・』『ロイターによると・・・』『新華社によると・・・』とかいうのはよくやるけど、『ラジオFree Asia[3]によると・・・』はやらない。でも、情報はこっちの方が早いんですよ。昔は、そんな所からのクオートはできない、という思いがあったけれと、いつか(最初は飛ばしが多かった)『大紀元[4]によると・・・』というニュースが流れる日が来るかもしれない」
と話すなどの一幕もありました。

思わず爆笑の渦となってしまうような裏話もありました。

<本日の最大爆笑>
福島氏
「(中国では)電話の盗聴は基本的には私たちのような仕事には24時間にやっていると思う。(盗聴の結果)ブチッと切れるようなことはしょっちゅうあって、時々盗聴している人から『そんな下らないことを話すな!』という罵声を浴びた後に切られたことがあった(笑)」
(福島氏によると、そうすることで『盗聴しているぞ』という圧力をかける効果もあるのだとか)

話は白熱する一方でしたが、残念ながらあっという間に時間となって終了。

ラウンド2はi-morleyで!!(モーリー氏)

本当ですか?? 期待してますよ!!

※            ※            ※

いやー、痛快だった(^o^)

[1]現在のブログ名は「北京・平河趣聞博客(ぺきん・ひらかわこねたぶろぐ) 」
[2]チベット騒乱をきっかけに、北京市民が自主的に立ち上げたとされるウェブサイト。西側メディアの“誤報”を微に入り細をうがち、中には写真までつけて詳しく説明している。西側の報道姿勢を激しく批判する論調は中国政府の最近の主張と、まったく同じだ。(産経新聞)
[3]米国議会の出資によって設立された短波ラジオ放送局。放送局は民間の非営利法人が運営しているが、放送理事会(BBG)の管理下にある。「国内メディアを通じて、完全で均衡のとれた報道へと定期的に接することができないアジアの聴衆者に対し、ニュースとその関連情報を放送する」こと、及びに「放送と聴衆者参加プログラムを通じて、RFAは多くの各アジア人民に欠乏している、ある事物に対する批評意見への見聞きを充足させる」ことを目指している。(Wikipedia
[4]ニューヨークに本部を置き、主に中国語で新聞を出版しているメディア。 大紀元は「気功」などで知られる新興宗教「法輪功」(筆者註:中共当局から『邪教』呼ばわりされて迫害を受けている)と関連した報道機関であり、 同社が発行する大紀元時報新聞では、中国共産党の言論統制に従うことなく、同党に批判的、反体制的な記事を多く掲載している。報道内容は法輪功の主張に沿ったものであり、中国共産党に肯定的な報道は全くない。各国の主要メディアが引用する事は滅多にない。(Wikipedia

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チベットの“受難”―歴史と文化学習会

2月8日に続き、チベットの歴史と文化学習会に参加してきました。

今回の内容は、

(1)講座「チベット仏教の潮流」第2回「仏教のチベット的展開」
講師:吉水千鶴子(筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授)

(2)チベット報告「受難ということ」
報告:渡辺一枝(作家)

(3)緊急報告「国境線リポート」
報告:野田雅也(フォトジャーナリスト)

(4)基調報告「Tibet2009 vol.2…チベットの政変から60年」
質疑応答:長田幸康(ライター、I love Tibet! ホームページ 主宰)

といった具合。

吉水先生の講座は、チベット王朝分裂(842年)~ゲルク派の成立(1409年)のチベット仏教史について。この時期の仏教の復興と宗派の成立、仏教の多様化について分かり易く説明していただきました。
(『チベット問題』のコンテンツにいつか追加予定である『チベットの歴史』にこのへんの内容を盛り込んでいく予定です)。

渡辺一枝さんのお話は、今回も印象深かったので締めで紹介することにします。

野田さんの「国境線リポート」は、チベットの人たちが亡命する際に通過するネパール国境を現地取材したリポート。私も通ったことのあるダムコダリの国境の様子や凍傷で足の指や膝から下の脚を失った人たちの話や2008年3月を境に国境を越える人が激減したことなどを交えて国境を越えることの困難さを、またネパールでマオイスト政権が成立したことでネパールのチベット難民たちが危機にさらされていることやチベット人強制送還の”ビジネス”が成り立っている可能性など、亡命後もなお困難が続いている状況を話して下さりました。

そして、質疑応答やTake Actionへの参加呼び掛けなどを行った後、今回の学習会は締めくくられました。

次回は夏ごろに行われるとのことです。

最後に、渡辺一枝さんのお話の一部を要約して紹介させていただきます。

 

あなたの一番大切なものが蹂躙されたということを想像してみて下さい。

チベットでは各地に山や湖など、その地の産土神として崇拝されているものがあります。
それらが今、次々と壊されているのです。

チベット人にとって最も苦しいのは信仰を禁じられていることです。
仏壇を置くな、ダライ・ラマの写真を持つな・・・「~するな」は手を変え品を変え、何とかすることもできます。
しかし、

ダライ・ラマの写真を踏みなさい、破りなさい、燃やしなさい
ダライ・ラマを批判する作文を書きなさい

これを強要されたら死ぬしかない、という、やりたくないことをやらされている、ということが日常頻繁に行われているのです。

これを”受難”と言わずして何と言うのでしょうか!

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花祭り ピース・キャンドル

花祭りの時期にはまだちょっと早いのですが、神奈川県平塚で行われた「花祭り ピ-ス・キャンドル」と題したチベットイベントに参加してきました。

<スケジュール>
「もっと知りたいチベット」
「ヒマラヤを越える子どもたち」上映
チベットの歌 ソナムさん
(休憩)
法要(日本語とチベット語)+キャンドル+交流

 

「ヒマラヤを越える子どもたち」―何度見てもぐっとします。
ソナムさんの歌―澄んだよく通る声でチベットの歌を4曲。胸に響きました。
休憩―お茶と桜餅を頂きつつ、出席者同士で歓談。
   私が飲んだお茶は・・・バター茶
   でもこれが、意外と桜餅と合いました。
法要―静かな心でチベットの安寧を祈りました。
キャンドル―キャンドルアーティストの方によるキャンドルを前に、
   各自キャンドルを手にしながら全員で「真実の祷り」を斉唱。
   チベットを支援する皆の心が一つになりました。

どれも良かったですが、個人的に一番得るところが大きかったのが、KIKUのMさんによる、チベットの歴史を解説する「もっと知りたいチベット」。
「チベットの歴史ならもう大体分かってるよ」と開始前は思っていたのですが、どうしてどうして。あれほど分かりやすく、よくまとまったチベット史の解説は初めてでした。
ちょうど、当サイトの「チベット問題」コンテンツで次はチベットの歴史に取り組みたいと思っていたところで、かなり多くのヒントをいただくことができました。

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