2009年5月 のアーカイブ

米・キャベツバスに乗って・・・「憧れの大地へ」最終更新(5月31日)

2009年5月31日 日曜日

・「世界への旅(旅行記)アジア周遊カンボジア、ベトナム、ラオス」に「ニャチャン-1」「ニャチャン-2」「ホイアン-1」「ホイアン-2」「ホイアン-フエ」「フエ」「フエ-ビエンチャン」追加。(『エリア別ベトナムラオス』も連動)

アジア周遊旅行記はベトナム編があっというまに完了。次はラオスです。旅行前は名前しか知らず、印象の薄い国でしたが、行ってみたらかなり気に入った国でした。

ところで、今回のタイトルにピンときてmixi日記からいらっしゃったマイミク様――そうです、あなた方が登場しています!

・「チベット問題>Free Tibet宣言」を「チベット・サポーターになった私的経緯」と改め同コンテンツトップページで配置換え。

同コンテンツのトップページで一番前に掲載されていたのを末席に移動させました。一番読んでいただきたい「チベット問題とは」よりも、こちらの方が読まれている傾向にあったための措置です。
自分がチベット・サポーターになった経緯なんてどうでもいいこと、何で今まで一番前に置いていたんだろう・・・。

 

ところで、今あることを実行に移そうと計画中。随分前から「やりたいけれど自信が無いな・・・」と二の足を踏んでいたのですが、大胆にも、無謀にも、ついに立ち上がることにしました。
それは何か――近日中にこちらで報告しようと思っております。

【オンライン署名アクション】天安門にバラの花束を

2009年5月27日 水曜日

間もなく天安門事件20周年――もう20年になるのか。

そんな折、アムネスティ様が粋なアクションを展開している。

天安門にバラの花束を
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=2369

1989年6月3日の夜から4日にかけて、天安門広場で行なわれていた民主化を求める平和的なデモに対し、激しい弾圧が行なわれました。その結果、市民数百人が死亡し、数千人が負傷しました。

その後、数万人が逮捕され、数十人はいまだに拘禁されていると見られています。中国政府は、事件の真相究明を拒否し、加害者の処罰を行なっていません。それどころか、公の場で天安門事件について議論することを禁止し、「天安門の母たち」など犠牲者遺族に嫌がらせをし、逮捕・拘禁するなど、圧力をかけています。犠牲者の家族は、公の場で亡くなった娘や息子を追悼することができずにいます。

2009年6月4日は天安門事件20周年です。

あの日、平和的なデモに参加しただけでいまだに拘禁されつづけている人たちの釈放、徹底かつ独立した公正な調査、加害者への法的処罰、犠牲者やその家族への賠償を求めて、天安門広場をバラで埋め尽くすアクションに参加してください。

署名に参加していただくと、上の画像の天安門広場にバラが飾られます。
白いバラ(清らかな心)、または 赤いバラ(中国の民主化への思い)を、選んでクリックしてください。オンライン署名ページにジャンプします。

実際に天安門広場にバラの花が飾られる訳ではないのだが(そりゃ無理だって)、署名が増えればリンク先のページに掲載されている写真にバラの花が追加される(さすがにリアルタイムではないだろうが)という寸法だ。
見たところ、赤いバラ、即ち、「中国の民主化への思い」の方が多いようである。私も赤いバラをクリックした。

♪百万本のバラの花を
 あなたにあなたに あなたにあげる♪

てな歌があったが・・・

目指せ100万本!!
天安門広場をバラの花で埋め尽くせ!!

人権も犬権もなし――中国・黒河で「殺犬令」

2009年5月26日 火曜日

あきれてものが言えないニュースが・・・

見つけ次第撲殺! 突然の犬禁止令の背景は? 中国の地方都市
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090525/chn0905250941001-n1.htm

 【北京=矢板明夫】中国の地方都市でこのほど、「市内を犬禁止区域と指定し、犬は見つけ次第撲殺する」との強烈な内容の「犬類管理規定」が発表され、犬を飼っている市民が強く反発している。

 この都市は中国の東北部にあり、ロシアと国境を接する黒竜江省の黒河市。古くから犬を飼う習慣があるため、これまでに観光客や小中学生が犬にかまれた事件は時折あったが、野犬はともかく、当局が「飼い犬」を問題視することはとくになかった。今回は何の前触れもなく「犬のない町」を目指すことを宣言、市政府の男性職員らで構成し、犬を撲殺する「打狗(狗は中国語で犬のこと)隊」は今月中にも市内でパトロールを開始するという。

 多くの市民は戸惑い、農村部に親戚(しんせき)がある家は慌てて犬を避難させるなど混乱した。ある年配の女性は「子供はみんな遠くへ出稼ぎに行ったので、唯一の家族の犬がいなければ生きていけない」と、規定撤廃を地元メディアに訴えている。

 インターネットの書き込みでは現地政府を「独裁者」「ナチス」などとする批判が殺到する一方、この規定が突然発表された背景について多くの憶測が寄せられた。「市が観光都市の認定を国に申請したためだ。犬を一掃すれば認可が下りやすくなる」という説のほか、「市の指導者が最近、川の近くで犬にかまれた個人的な恨みからだ」との未確認情報も寄せられた。

別の報道によれば、背景にあるのは狂犬病。そのために「中国政府は無認可のペット犬の捕獲、殺処分を進めて」いるという。

おいおい・・・
余りに安直で短絡的。
仮に背景に狂犬病があったとしても、白か黒かも分からないのに「見つけ次第撲殺」とは乱暴にも程がある。

市が観光都市の認定を国に申請したためだ。犬を一掃すれば認可が下りやすくなる
市の指導者が最近、川の近くで犬にかまれた個人的な恨みからだ
これらの説が本当だとすれば、論外。カネほしさとか個人的な恨みとか、自然の摂理に反した人間の勝手な都合で奪っていい命など無い。

文革で、チベットで、東トルキスタンで、大勢の人を殺している中共に人権や人命を尊重する気持ちが欠けていることは既に周知の通りだが、ヒトに対してまでかくの如きであれば犬を殺すなど、そういう奴らにとっては何のためらいも無いかも知れない。
人権も犬権もあったものではない。

愛犬家だけではない。まともな感覚の持ち主なら反発して当然だ。「批判が殺到」しているのが救いである。文革の折には紅衛兵に好き勝手をさせてしまったが、「打狗隊」という名の紅衛兵は世論によって阻止されるか。

最後に、一言。

独裁者」「ナチス

現地政府だけでなく、北京政府にも言ってやってください・・・

「憧れの大地へ」最終更新(~5月24日)

2009年5月24日 日曜日

・「世界への旅(旅行記)エリア別」に「ベトナム」追加。
・「世界への旅(旅行記)アジア周遊カンボジア、ベトナム、ラオス」に「プノンペン-2」「プノンペン-3」「キエンスヴァイ、チョロイ・アンピル」「プノンペン―ホーチミン」「ホーチミン-1」追加。(『エリア別カンボジアベトナム』も連動)

アジア周遊旅行記はカンボジアから新たな国へ ―― ベトナムに舞台を移します。かつて泥沼のベトナム戦争を経験した国の現在は如何に・・・。

「チベット問題」について取り組んでいたコンテンツですが、今考えているやり方では今の自分には難しく、断念・・・。やり方を変えてもう一度取り組みなおそうと考えています。

宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会

2009年5月24日 日曜日

昨日(5月23日)のことになるが、「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」にボランティアスタッフとして参加。東京・護国寺に仏教各宗派のお坊さんや俗世間のチベットサポーターが参加し、チベットの平和を祈る。

本尊法楽、代表挨拶等の後、特別ゲスト・ダライ・ラマ法王特使ケルサン・ギャルツェン氏の講演。私は雑務や写真撮影に追われて断片的にしかお話を聞けなかったのだが、どうやら5月21日の講演とほぼ同じ内容だったようだ。とはいえ、21日にはいなかった顔ぶれの方が多かったので初めての方には貴重な話を聞く機会になったことだろう。
熱弁するケルサン氏
熱弁するケルサン氏(右から3人目)
続いて、早大教授・石濱裕美子氏のお話。こちらも断片的にしか聞けなかったが、欧米で仏教が、ダライ・ラマ法王がいかに受け入れられてきたか、などのお話をいただいた。

最後に、チベット語による読経。チベット人の若者たちも集まり、まさに「宗派を超えた祈り」が会場内に響く。
チベット語による読経
チベット語による読経

今回のテーマは「聞・思・修 ~学び、考える、行動する~‏」というものだった。今回のイベント告知のページによると、

三慧、聞・思・修 ―。学び、論理的に考えて、繰り返す瞑想実修により「正しい理解」を身につける。このプロセスから生じる仏陀の叡智が、慈悲(共感共苦)による「行動」へ、そして「社会参加する仏教」へ。宗派を超える思いが、今、一歩踏み出します。

とのこと。チベットのことを「学び、考える、行動する」こともまさに仏教的プロセスであるということになる。
この呼び掛けは仏教界にのみ向けられたものではないだろう。私のような俗人にも、仏教的アプローチで、チベット問題を学び、チベット問題を自分の頭で論理的に考え、また自分に何ができるかを考え、そしてそれを実践する、ということが求められる。
今回のイベントの質疑応答で、「正しい理解」が足りないまま全く的外れな質問をして参加者たちから大ひんしゅくを買った質問者がいた。
かくいう私も、「聞・思・修」―全てにおいてまだまだ全く不足している。今後も様々なアプローチで、チベット問題に関する「聞・思・修」の修養を重ねていく所存なので、何卒各方面からご鞭撻いただきたく思う。

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ダライ・ラマ法王特使ケルサン・ギャルツェン氏来日講演会

2009年5月21日 木曜日

先日告知したダライ・ラマ法王特使ケルサン・ギャルツェン氏の来日講演会を拝聴させていただいた。

あらためて、ケルサン氏のプロフィールを以下に掲載。

<ダライ・ラマ法王特使(使節員) ケルサン・ギャルツェン氏 経歴>
1951年 チベット・カム地方に生まれる
1963年 勉学のためスイスへ。ビジネスおよび事務管理を学んだ後、 1983年までスイスの大手銀行に幹部として勤務
1983年 インド・ダラムサラの中央チベット行政府の情報・国際関係省(外務省)において1年間のボランティアに従事
1985年 スイスにあるチベット事務所においてダライ・ラマ法王の代表者に任命
1992年 ダライ・ラマ法王の秘書官としてインド・ダラムサラにあるダライ・ラマ法王事務所に異動
1999年 ダライ・ラマ法王の駐欧州連合特使として再び欧州へ異動
2005年 スイス・ジュネーブにあるチベット事務所の代表となり2008年春まで兼任。現在は、ダライ・ラマ法王により任命されたチベット代表団特使のひとりとして中国政府との交渉にあたっている

<職責>
ダライ・ラマ法王の駐欧州特使として、チベット亡命政府と中華人民共和国との対話の促進を図ることを主要な職責とし、これを全うすべく、ダライ・ラマ法王の中道政策を欧州諸国に伝え広め、支援を得、チベット問題が平和的に解決するよう取り組んでいる。
ダライ・ラマ法王は、チベットの分離独立を求めているのではないことを明確に表明しておられ、中華人民共和国という枠組みのなかで名実を共にする自治権を得るべくご尽力されている。
これを伝えるための中国政府代表団との対話にあたり、ダライ・ラマ法王が委任された2名の高官特使のうちのひとりとして、2002年以降、中国指導部との8回の公式協議と1回の非公式協議に臨むとともにチベット交渉対策本部のメンバーも務めてきた。
ダライ・ラマ法王の特使という立場から、チベットに関する講演やインタビューにも精力的に取り組み、チベットの人々の悲劇に光をあてるべく尽力している。

会場は東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センター国際会議室。通訳機による同時通訳付きと、結構本格的である。

19時、ケルサン氏入場。TVニュースなどで既に登場しているのでご覧になった方もいらっしゃるかもしれないが、ケルサン氏は穏やかな表情をした、スーツの似合うジェントルマンだった。

講演が始まり、まず出たのがチベット問題に対する日本への期待感。
「日本はアジアで非常に重要な国です。日本は完全な民主主義、自由、開かれた情報、モラルのある国であり、大きな役割を果たすことができます」

それから、チベットの歴史において「最も闇の時代」である中共侵略以来の60年におけるチベットの問題を語った後、
「なぜ中国政府はこのような政策を用いているのか。それはチベットに対する理解が無いことに起因します。また、(中国とは違う)ユニークなチベットの文化・言語・地理、そしてアイデンティティが脅威になることを恐れているから、抑圧を続けているのです。現在の状況は中国人の利にもチベット人の利にもなっていません」
と語る。

そして、中共政府との交渉に携わってきたケルサン氏ならではのお話――交渉の様子に話が及ぶ。
ケルサン氏は独立を求めず、両者にとってメリットがあり同意できる中道のアプローチの姿勢を以て交渉に当たる。
亡命チベット人が帰省する、また亡命チベット人を家族に持つ本土のチベット人が亡命者と会うために海外に行くことを認めてください
ダライ・ラマ法王の写真を禁止することをやめてください
年に1度程度の対話の機会をもっと増やしてください
法王のチベット巡礼を許可してください
などのことを要求するが、視点・立場の違いから中共政府はそれらをことごとく拒否する。

そして、2008年11月。
前回の会談で「『真の自治』ということを言うのならそれがどんなものか見せてみろ」と言われたことから、代表団はチベット人にどのようなニーズがあるか、中国の憲法の枠内で実現できるか、を考慮した上で草案をまとめ、提出した。
しかし、中共側は
草案のタイトルさえも容認できない。ダライにチベットのことを語る権利は無い!!
と一蹴。
「ならなぜ提出しろと言ったのですか?」
と尋ねると、
これはお前らの中国に対する態度のテストだ。お前らはテストに無残に落ちたのだ

――何という傲慢。
――何という不誠実。
完全に上からの目線、自分たちが絶対であるという姿勢で語っている。

「中共政府は最初の交渉の時から変わっていない。政治的な意志も、勇気も、問題を解決する気持ちもありません」
と、ケルサン氏は批判する。

それでも、ケルサン氏は法王譲りの?オプティミズムでこう語る。
私たちはこれからも中道のアプローチを支持します
常に非暴力の道で行くべきです」」
北京政府からゴーサインが出ればいつでもチベット問題に関して話し合う用意があります
政府レベルにとどまらず、違ったレベルでのコンタクト――例えば、チベット人と中国人の学者・専門家との交流、若いチベット人と若い中国人が一堂を会するフォーラムの開催、中国の仏教徒とチベットの仏教徒の交流、中国語の出版物・Webサイトの発行――等の方法もあります。チベットの若者は、中国語・中国文化を学んで直接コンタクトできるようになってください。そして、チベットの視点を相手に分からせてください。
チベット人の声だけでは足りません。国際社会の協力が必要です。日本を訪問したのも、チベット問題がアジアの政治的問題であることを知ってほしかったからです

講演終了後も、質疑応答で会場の熱気はやまない。
質疑応答の最後の方が語った。
チベット問題を(中国の)国内問題として理解してはいけない。国際問題であり、人道問題である。日本人はもっとチベット問題に関心を持たなければならない
この言葉で、講演会は締めくくられた。

実際に中共との交渉に挑んだケルサン氏の言葉には重みがあった。
ケルサン氏はアジアの有力国として日本に対して大きな期待を寄せている。如何に小さなことでもいい。その期待に応える努力を続けようではないか。

注:文中のケルサン氏の言葉は、通訳者の言葉をそのまま書いたものではありません。「自分だったらこう訳出する」という思いで書いた部分が少なからずあります。

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南モンゴルの草原で黄砂発生 遊牧民政策の誤りが原因?

2009年5月19日 火曜日

本来なら昨日書くべき内容にもかかわらず、この日の更新となってしまったが・・・

昨年11月、ウイグル(東トルキスタン、侵略国=中国名『新疆』)での核実験の実態を暴いてくれた東京新聞・中日新聞ほかの「こちら特報部」(記事・紙面は中日新聞東京本社発)が、またしてもやってくれた。
5月18日の紙面で、今度は日本に毎年飛来する黄砂発生の中心が南モンゴル(侵略国=中国名『内モンゴル』)の草原地帯に移りつつあるという実態を報じていた。

以下、記事の内容。(見出しを除く本文中の太字や文字色変更などの強調はカズの判断によるもの)

草原から黄砂 中国・内モンゴルで発生

ユーラシア大陸中央部で発生する黄砂は、この時期、偏西風に乗ってしばしば日本にも飛来する。元来、黄砂はゴビ砂漠や黄土高原、タクラマカン砂漠などで発生していたが、その中心は今や中国・内モンゴル自治区の草原地帯に移りつつあるという。なぜ、草原から黄砂が? 原因を探ると、誤った遊牧民政策という「人災」の側面が浮かび上がってきた。 (外報部・浅井正智)

北海道への飛来が増加

近年、被害が顕著となり、国際的な関心が高まっている黄砂だが、北海道江別市の酪農学園大学で黄砂の発生メカニズムを研究するブホー・オーツル教授(44)=内モンゴル出身=は、ある事実に注目している。
「かつてはほとんど見られなかった北海道での黄砂が、今世紀に入ってたびたび見られるようになった」ことだ。
黄砂は九州や関西など西日本に降ることが圧倒的に多い。しかし、気象庁によると2000年以降、北海道でも計34日間の黄砂を記録している。
特に02年は17日間(延べ75地点で観測)という多さだった。
ゴビ砂漠や黄土高原は北海道よりも緯度が低く、黄砂が偏西風に乗っても北海道には達しない。衛星写真で黄砂の流れを分析したブホー教授は、意外な発生源を突き止めた。ゴビ砂漠や黄土高原よりも更に北に位置する内モンゴル、つまり自身の故郷だったのである。

「遊牧民族政策の誤り原因」

内モンゴルは砂漠を抱える半乾燥地帯だが、新たな発生源は以前から砂漠であった場所ではなく、本来は草原だったことも分かった。
この10年間、毎年現地調査を行った結果、教授が得た結論はこうだ。
遊牧民に対する誤った定住化政策のため、緑豊かな草原は砂漠に変わり、黄砂が起こるようになってしまった

ヒツジ移動できず・・・
定住化推進で急速に砂漠化

中国当局は内モンゴルや新疆ウイグル自治区、チベット自治区などで、「遅れた生活条件を改善する」名目で、遊牧民の定住化政策を進めている。その際、遊牧民に土地を分配し、それぞれの土地を柵で囲うという措置を取った。
草原は、砂の層に10センチほどの薄い表土が載り、その上に草が生えているという構造。ヒツジは新鮮な草を求めて移動する習性があり、広い草原で放牧すれば、草は一度ヒツジに食べられても、また、すぐ生えてくる。しかし「柵で自由な行動を制限されたヒツジは、同じ場所を掘り返し、草の根まで食べてしまう。すると、草は生えてこなくなり、草原は急速に砂漠化する。その砂漠からはやがて黄砂が発生する」とブホー教授は砂漠化のメカニズムを説明する。
なお悪いことには、人々は生産性を上げるため、より多くのヒツジを飼おうとする。「過放牧」が起き、草原の砂漠化に一層拍車がかかってしまう。

当局は人災認めず「過放牧」主張

特定非営利活動法人(NPO)「内モンゴル砂漠化防止植林の会」によると、内モンゴルで牧草地として使用可能な草原の面積は、1960年に82万平方キロだったのが、99年には38万平方キロに激減したという。
緑が消えた面積44万平方キロは、日本の国土(38万平方キロ)をはるかにしのぐ
草原の砂漠化は共産党による人災だ」と教授は断言する。しかし当局は失政を認めてはいない。逆に「過放牧が砂漠化の原因」として放牧を禁止し、遊牧民を草原から締め出している放牧を放棄させられた住民は7万人以上とされる。彼らは生きるために農業に活路を見いだしていく。草原がまた掘り起こされ、そこにもやはり草は生えなくなる
「草原を耕すな」―。遊牧民の間にはこんな言い伝えがあるという。ブホー教授は現地調査の際に地元の人たちを集め、「困難でも遊牧生活に戻る努力をすべきだ」と説いた。しかし、背に腹は代えられない地元の人々は矛盾を感じつつも、砂地でも育つ豆やトウモロコシを栽培し、生計を立てている。

「3000年の放牧文化 破壊」

モンゴル民族の放牧の歴史は3000年といわれる。遊牧民たちは自由に草原でヒツジを放牧していた。「放牧は自然の仕組みの上に成り立ってきた。しかし当局の政策は、少数民族の生活や文化、感情を考えることはない」と教授は批判する。「長い歴史を持つ遊牧民の文化は、共産党政権の数十年で破壊しつくされようとしている

開発で有害物質、付着し日本へ

近年、変化したのは黄砂の発生場所だけではない。黄砂の成分も変わってきた。とりわけ有害物質を含む黄砂が問題視されており、環境省が2002―05年に行った「黄砂実態解明調査」でも、大気汚染物質が黄砂に付着して日本に飛来している可能性を指摘している。

排煙や排水 垂れ流され

ブホー教授は現地調査の折、排水が放つ異臭に思わず鼻を覆ったことがある。南京市郊外から移転してきた工場が、未処理で垂れ流す有害な排水が異臭の“犯人”だった。
北京や上海など沿岸の都市部に比べて経済的に遅れている内陸部を開発するため、「西部大開発」の名の下、西部辺境地域に工場を次々に誘致している。教授によると、こうした工場のほとんどが、環境保護を考慮せず排煙や排水を野放図に流しているという。
排水が垂れ流された場所が砂漠化して黄砂になったり、上空の排煙が黄砂に付着すれば、有害物質が黄砂として飛んでいくことになる
教授は故郷を訪れるたびに「少年のころに見た草原が消えていく現状に深い悲しみを感じる」と話す。広がっていく砂漠を目の当たりにすると、絶望感と無力感にもさいなまれる。できるのは「これ以上砂漠を拡大させないこと」くらいだ。

国際社会が解決を迫れ

そのために何をすべきか。ブホー教授はこう強調した。「地球の自然環境は人類共通の財産であり、決して中国一国の問題ではない。国境を越えて出ていく黄砂の被害を抑えるため、国際社会が中国に圧力を強め、解決を迫ることが不可欠だ」

同地出身の研究者 酪農学園大・ブホー教授

ブホー・オーツル 64年、中国・内モンゴル生まれ。95年、中国科学院博士課程修了。中国科学院リモートセンシング応用研究所副教授、北海道環境科学研究センター特別研究員などを経て、現職。理学博士。07年に日本国籍取得。日本名は星野仏方(ぶほう)

デスクメモ
この原稿で、数字とグラフが好きなコンサルタントたちを思い出した。生産性を上げようと力んだものの、手法を間違え、とんでもないことに―というのは、なにも自然相手ばかりではない。果実を得る部門の陰に、種をまき肥やしをまく部門があることを軽視した「成果主義」がそうだった。 (隆)

南モンゴルの砂漠化についてはある程度は知っていたが、この記事でそのプロセスがあらためてよく分かった。また、このために北海道にまで黄砂が及び、野放図な工場運営によって汚れた黄砂が日本に飛来してきている可能性があることなどはこの記事で初めて知った。
チベットと全く同様に、「囲い込み」によって遊牧の伝統と遊牧民の生活が、草原が失われている。ブホー教授に言われるまでもなく、地球の自然環境は人類共通の財産である。この問題は中国と南モンゴル、そして同様のことが進行しているチベットだけの問題ではない。
「日本にも影響がある」という立場にとどまらず、地球人として、他者の批判に耳を貸さず見苦しい言い訳と責任転嫁と逆ギレばかりを繰り返す(この件だけでなく中共は常にそうである)中共に対しては、ブホー教授の言葉通り、国際的な圧力が不可欠である。

 

つい先週のことだが、私が先日モンゴルを旅行したことを知っている知人から、南モンゴルの植林プロジェクトの案内が届いた。
こうしたプロジェクトを展開することも極めて重要である。しかしながら――悲しいかな、「何で中共の失政の尻拭いを外国人が肩代わりしなければならないのだ?」という気持ちがあるのも認めざるを得ない。
中共はチベットや東トルキスタンなどを弾圧するのに膨大な人員を現地に送り、膨大な金をつぎ込んでいる(軍事費のみならず密告の報奨金などにも考えられないほどの金額を支払っている)が、そんな国際社会から非難を浴びている非人道的行為に資源をつぎ込んでいないで、他国のNGO等に頼らずもっと南モンゴルの植林に自分の国の人や金を投入すべきではないか?
完全に人や金を使う方向性を間違っている

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【告知】ダライ・ラマ法王特使の来日講演会

2009年5月18日 月曜日

チベット亡命政府特使ケルサン・ギャルツェン氏が来日され、東京で講演会が5月21日(先日告知した「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」)及び23日に行われます。
今回は21日の講演会について告知させていただきます。

◆ 日  時:2009年5月21日(木)
◆ 受付開始:午後6:30
◆ 講演開始:午後7:00~
◆ 会  場:国立オリンピック記念青少年総合センター 国際交流課 国際会議室
◆ 参加費用:無料 
◆ 定  員:200名
◆ 講演は英語。150台限定で翻訳機あり

〈内容〉
◆ ダライ・ラマ法王日本代表部事務所ラクパ・ツォコによるご紹介
◆ ダライ・ラマ法王特使ケルサン・ギャルツェン氏 講演
◆ 参加者とケルサン氏によるディスカッションタイム

<ダライ・ラマ法王特使(使節員) ケルサン・ギャルツェン氏 経歴>
1951年 チベット・カム地方に生まれる
1963年 勉学のためスイスへ。ビジネスおよび事務管理を学んだ後、 1983年までスイスの大手銀行に幹部として勤務
1983年 インド・ダラムサラの中央チベット行政府の情報・国際関係省(外務省)において1年間のボランティアに従事
1985年 スイスにあるチベット事務所においてダライ・ラマ法王の代表者に任命
1992年 ダライ・ラマ法王の秘書官としてインド・ダラムサラにあるダライ・ラマ法王事務所に異動
1999年 ダライ・ラマ法王の駐欧州連合特使として再び欧州へ異動
2005年 スイス・ジュネーブにあるチベット事務所の代表となり2008年春まで兼任。現在は、ダライ・ラマ法王により任命されたチベット代表団特使のひとりとして中国政府との交渉にあたっている

<職責>
ダライ・ラマ法王の駐欧州特使として、チベット亡命政府と中華人民共和国との対話の促進を図ることを主要な職責とし、これを全うすべく、ダライ・ラマ法王の中道政策を欧州諸国に伝え広め、支援を得、チベット問題が平和的に解決するよう取り組んでいる。
ダライ・ラマ法王は、チベットの分離独立を求めているのではないことを明確に表明しておられ、中華人民共和国という枠組みのなかで名実を共にする自治権を得るべくご尽力されている。
これを伝えるための中国政府代表団との対話にあたり、ダライ・ラマ法王が委任された2名の高官特使のうちのひとりとして、2002年以降、中国指導部との8回の公式協議と1回の非公式協議に臨むとともにチベット交渉対策本部のメンバーも務めてきた。
ダライ・ラマ法王の特使という立場から、チベットに関する講演やインタビューにも精力的に取り組み、チベットの人々の悲劇に光をあてるべく尽力している。

お申込方法
◆ FAXでのお申し込み
参加希望なさる方は、申込用紙にご記入の上、FAX(03-3225-8013)にてご応募ください。
◆ メールでの申込
以下の事項を明記のうえ、moriya_at_tibethouse.jp (_at_は@に変換ください)に送信してください。
1. お名前
2. お電話番号
3. 翻訳機をご利用されますか(はい/いいえ)
4. 今回のイベントはどこで知りましたか?
①ダライ・ラマ法王日本代表部事務所HPで、②その他のインターネットで、③チラシで、④友人・知人から、⑤その他

大物来日です。Don’t miss your chance!

⇒当日の様子はこちらから

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薬物依存のチベットの若者支える人

2009年5月18日 月曜日

こんなことをやっている人もいるんだ、という感想と同時に、こういう問題も起きているんだ、という悲しみを禁じ得ないニュースがあった。

ひと:ミシル千世美さん 薬物依存のチベットの若者支える
http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20090518k0000m070096000c.html

 「異国で自分を見失った若者に寄り添いたい」。6000人以上のチベット難民が暮らすインド北部のダラムサラで、薬物依存に陥る難民を支援するNGO「ツァンオ」(チベット語で「川」)を05年に結成した。チベット民族衣装の店を経営し、売上金で依存症の若者が暮らす施設を運営する。これまで約80人から相談を受け、15人を受け入れた。施設には24時間スタッフが常駐。酒、たばこ、単独の外出は禁止。若者たちの話に耳を傾け、共に料理や掃除をし、日常生活の中で自立へと導く。

 25歳の時、祖母をがんで亡くした。死について考え始め、西欧へ放浪の旅に出た。29歳で初めて教会に行き、「私があなた方を休ませてあげます」という聖書の言葉に、すべてを受け止めてもらえる気がして、肩の荷が下りた。

 01年、教会の活動を通して出会ったインド人のNGO職員(35)と結婚し移住。西欧の援助で建てられた若者の支援センターが、薬物入手の場所になっていることにショックを受け、活動を始めた。

 設立後間もなく駆け込んできた男性は、亡命政府発行の難民証明書まで薬物と交換していた。親身に話を聞くうち、若者が次々と相談に訪れるようになった。さまよう人たちの姿は異国を放浪していた昔の自分に重なる。「人生はいつでもやり直しができるということを伝え続けたい」。今日も若者がドアをノックするのを待ち続ける。【黒岩揺光】

 【略歴】ミシル千世美(みしる・ちよみ)さん。広島県尾道市出身。夫キンサイさんと2人暮らし。NGOのホームページはhttp://tsangwo.org。45歳。

毎日新聞 2009年5月18日 0時21分

記事の中で紹介されていたNGO「ツァンオ」のサイトを覗いてみた。上記の記事を読むと薬物依存の若者に特化したような印象を受けてしまうが、実際にはドラッグのほかにもアルコール依存症、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、HIVなどその他の悪癖・病に悩む人々も受け入れているようである。

こういう支援の仕方もあるのだな――先日の「チベット支援」をテーマとしたシンポジウムを拝聴して以来、どのような形のチベットサポートがあり得るだろうかと考えるようになったところなので、少しばかり感銘のようなものも受けた。

しかし、この記事を読んで真っ先に感じたのは、やはり「悲しさ」だった。
「チベット人のドラッグ問題」――恥ずかしながら殆ど聞いたことのなかった問題だったが、この記事を読む限りでもかなり深刻である。

西欧の援助で建てられた若者の支援センターが、薬物入手の場所になっている
設立後間もなく駆け込んできた男性は、亡命政府発行の難民証明書まで薬物と交換していた

本当なのか?

祖国を奪われ、抑圧され、厳しい生活を強いられ、祖国を離れることすら余儀なくされている人々である。私たちには想像もよらないストレスを抱えているということはよく理解できる。
しかし、亡命政府発行の難民証明書(ダライ・ラマ法王から直接手渡されたものかもしれない可能性すらある)を手放してまで、というのが信じられなかった。
日本でも薬物依存症やギャンブル依存症のために無理矢理金をつくるという話は聞くが、自由を求めて命がけでヒマラヤを越えて、やっとのことで手にした難民証明書を手放してでも、となると「想像もよらない」ストレスではもはや通用しない。

ここまでのストレスを抱えた人々の心のケアとなると、一筋縄ではいかないだろう。こんな大変なことを異国の地で何年も続けているミシル千世美さんには幾ら敬意を表しても足りない。”ダラムサラのマザー・テレサ”と呼ばせていただきたいほどだ。

 

それにしても、彼らにこれ程のストレスを植え付けた張本人たちに憤りを禁じ得ない。
思わず、こんな邪推が頭をよぎった。

まさか、チベット人を廃人にするために当局主導でチベット人に薬物を投与して彼らを薬物依存症にしてはいないだろうな??
――すみません。あくまで”邪推”です。(今のところそういう証言には接したことが無いので、全くの想像でしかない。やりかねない気はするが)

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