バス憧れの大地へ

雑記ブログ

「聖地チベット展」を参観して(5)

地図などにツッコミを入れ続けてブースを出たところで、1階部分は終了。2階へと移動する。

1階部分は金色の仏像を中心とした展示だった(中にはどう考えてもとってつけたように修繕したような不自然なものもあったが)一方、2階部分は金色のみにとどまらず、赤が印象的なタンカ(仏教画)や仏具などの展示も行われていた。

タンカの中には、宗教画のほか、チベット医学に関するものもある。
チベット医学――お世話になったことあるんですよね・・・
来年1月10日に、このタンカをテーマに講演会がありますので、興味があればぜひ

また、蓮の花を開くと仏像が出てくるという、装飾の細やかな仏具があったが、名前を見ると「蓮マンダラ」。
曼荼羅なら、上から見た図が分かるような展示をしてほしんですけれど
こういうところにも、仏様を信仰の対象としてではなくアートとしか扱っていない主催者側の態度が垣間見える。

仏具の中には「香炉」があったが、
チベット仏教の香炉ってどんな使い方をすると思います? 仏様を拝む際に、くさい息が仏様にかからないように、香炉から出る煙で息を清めるんです。でも、ここでは仏様にくさい息がかかってしまうような展示のし方がされてしまていますよね
この展覧会を参観したチベット人の方が感じたという違和感を、いいタイミングと感じて同行者に語り伝えた。

そして中には、どこかの壁からひっぺがしてきたかのような石仏などもあり、
寺を破壊しない限り、ここに在ることはあり得ないんじゃないか?
などと思わされた。

やはり、「信仰の対象」であるはずの仏様への敬意が感じられない展示である。

そして、仏教関連の部分が終わり、その先には――嫌な文字が目に入ってきた。
元・明・清との往来
中身を見るまでもなく、中国のチベット侵略を正当化する内容であることは明らかだ。

さて、まず元の部分でツッコミ開始。この部分では主に、クビライとパクパの関係に重点が置かれているが、
中国側は『元』と言っていますけれど、モンゴル帝国がチベットに影響力を及ぼし始めるのは、(モンゴルが中原を支配する以前の)オゴディの頃のことなんですよ。それにモンゴルとチベットの関係は支配・被支配というよりはお寺と檀家の関係でした。そもそもモンゴル帝国は(元も含めて)モンゴルであって中国ではないので、モンゴルとの関係は中国のチベット支配を正当化する根拠とはなりません

続いて、明との関係。ここではチベット人が明朝から封号を授けられたことと、チベットに明代の陶磁器(景徳鎮等)贈られたことの展示・・・
以上、終わり。
明国とチベットの関係がモンゴル帝国や満洲清朝のものと比べて希薄であったことを暴露しているようなものだった。
封号やら朝貢貿易ということなら当時の日本(足利幕府)と明国の間でも行われていました。これを以て『チベットは中国と不可分』という考え方の根拠になるのであれば、『日本と中国は不可分』ということも成り立ってしまうのです

最後は、清との関係。ここでは清朝皇帝の別荘地であり、外八廟と呼ばれるチベット寺院群のある中国河北省・承徳の蔵品が展示されている。
チベットと清国の関係も、モンゴルと同じお寺と檀家の関係でした。しかしその関係も、20世紀初めの一時期に清軍がラサを侵略し、ダライ・ラマ13世が亡命するに至って崩壊します。ところがその直後に清国は滅亡し、ダライ・ラマ13世が帰還して独立を宣言したんですよ

当サイトの「中国官製『チベットの50年』の虚構」でも既に論破しているが、中国サイドが主張する「チベットは中国と不可分」の根拠は余りに脆弱すぎる。

「聖地チベット展」を参観して(4)

多くの仏像が「展示」されている(本来仏像は『安置』されるべきものである、との思いからの皮肉)大部屋から1階部分最後のブースへ。ブースの壁には「チベット文化圏」の大きな地図が展示されていた。私に言わせれば「チベット文化圏」と言うよりは「チベット」そのものなのだが・・・。
「カズさんはこの地図のどこに行ったのですか?」
と、同行者に尋ねられ、
「えーと、2001年は西寧からゴルムド、ラサと行って、そこから(中国・四川省の)成都へ。2007年は(中国・雲南省の)昆明から・・・」
と指差しながら説明し、それから次の行き先へと指を動かした時、
「あれ?」
あることに気がつき、地図全体を見回してみた。
「ハハハ!」
思わず大きな笑い声が出てしまった。
「これって、『チベット―全チベット文化圏完全ガイド(旅行人ノート)』の地図丸写しじゃないか!
先ほど私が指でたどった先には「ギェルタン」そして「ジョル」と書かれていたのだ。「ギェルタン」「ジョル」はそれぞれ、中国側が勝手につけた「シャングリラ」「徳欽」の名前で知られているが、「旅行人ノート」では正しく「ギェルタン」「ジョル」と記載されている。一方、「聖地チベット展」の地図では「タルツェド」が中国名の「康定」と書かれているが、帰宅して「旅行人ノート」の地図を見るとやはり、なぜだかこの街に関しては「タルツェド」ではなく「康定」とのみ記載されているではないか。
その他にも、共通点はいろいろある。

・「チベット文化圏界」のラインが短い縦線を並べる形で表現されている。また、「チベット文化圏界」という呼称も全く同一である。
・青海省・西寧がチベット文化圏に含まれていない。(西寧は“青海省”がでっち上げられた際に甘粛省から編入された経緯があり、確かにチベット文化圏とは言えないが、近所のルシャル=クンプム寺のある街=はチベット文化圏である)

共通点が多いどころか、何から何まで同じではないか。パクリと言ってもいいほどだ。
これだけそっくりであるにもかかわらず、同展図録の「参考文献」中に「旅行人ノート」の記載は無い。同書筆者が自身のブログで「『旅行人ノート チベット』を参考にしすぎじゃないか」と苦言を呈していることからも、断り無く引用されていることが分かる。有名なチベットサポーターである氏の名前や著書名は掲載しづらい、という事情もあるのだろうが、ここは中国ではなく、日本なのだから、中国で横行する知的財産権の侵害を日本に持ち込まないでいただきたい。
まあ、私もチベット旅行記の地図を作成する際に同書の地図を参考にしてはいるが、ここまで露骨なパクリはしていないつもりである。

いや待て。「何から何まで同じ」ではないぞ。
「旅行人ノート」の地図には記載されていて、同展の地図には記載されていない文字がある。
ダラムサラ」という地名だ。
チベット亡命政府のある地の名前を(恐らく意図的に)記載していない点、明らかに政治的な意図が感じられる。

「聖地チベット展」を参観して(3)

前回の記事で書いたように、「聖地チベット展」で出品されている仏像等は中国共産党がチベットから略奪したものである。
では、どこから略奪してきたのか・・・。

・ポタラ宮(ラサ。ダライ・ラマ法王の宮殿)
  ポタラ宮

・ノルブリンカ(ラサ。ダライ・ラマ法王の離宮)
  ノルブリンカ

・ミンドゥリン寺(ロカ地区。ニンマ派総本山)

・シャル寺(ロカ地区ツェタン。サキャ派)

・タシルンポ寺(シガツェ。ゲルク派)
  タシルンポ寺

・サキャ寺(シガツェ地区サキャ。サキャ派総本山)

・ペンコルチューデ寺(シガツェ地区ギャンツェ)
  ペンコルチューデ寺

・チベット博物館(ラサ)
  チベット博物館

・ロカ地区博物館

・河北省承徳市避暑山荘博物館(中国河北省承徳市)

・承徳市外八廟管理処(中国河北省承徳市)
  外八廟

となっている。

まずお寺。タシルンポ寺を除き、いずれも中共の侵略に際して破壊の憂き目に遭った寺院である。しかし、それについては(当然のことながら)一切触れられていない。これらの仏像が侵略・破壊の血で塗られていることを、どれだけの参観者が理解しているのだろうか。

ノルブリンカも、1959年3月の騒乱の際に砲撃が加えられている。展示品の中でもとりわけ目を引く十一面千手千眼観音菩薩立像の出所が、ダライ・ラマ14世猊下の亡命劇の舞台となった悲劇の離宮であることをどれだけの参観者が知っているのだろうか。

そしてポタラ宮。ダライ・ラマ法王の宮殿は今や、博物館として貶められている。
本来なら門外不出の品々ですよ。日本で言えば皇居を博物館として見世物にして、(その文物を海外に持ち出して)金儲けしているようなものです
寺院の時と同様、ポタラ宮そのものの説明は一切なされていない。
ポタラ宮って何ですか?
ダライ・ラマの宮殿でーす
ダライ・ラマは今そこにいますか?
いまーせん
なぜいないのですか?
追い出されたからでーす
同行者と、かけ合い的にツッコミを入れる。

最後に博物館だが、出所を「チベット博物館」としている文物がやたらに多い。しかし、元はと言えばどこかの寺院に属していたはずなのである。
手当たり次第に寺院を破壊して手当たり次第に文物を略奪して、どこから略奪したのか分からなくなったんでしょうね
確信がある訳ではないのだが、恐らくそういうことではないのだろうか。

「聖地チベット展」を参観して(2)

さて、「聖地チベット展」は冒頭のあいさつからいきなりツッコミどころ満載だった。
いよいよ展示を拝見――と、その前に、あいさつの横に並べて貼られていた写真について触れることにしよう。

それらの写真はチベット文化に関するものだったが、2枚目が「聖地チベット展」にも出品物を多く出している、ラサにあるチベット博物館のものだった。今回の私も2007年に訪れている博物館だったが、当時は「チベットと中国の歴史が『不可分』であるという立場を示しており、不愉快極まりないが、それを除けば非常に秀逸な博物館だった」という印象を受けたものだ。しかし今では、「略奪品の殿堂」という評価である。

また、写真の中にはラサのジョカン寺のご本尊である釈迦牟尼像の写真が2枚あった。
「この写真覚えておいて下さいね」
私は同行者にそう言った。

さあ、いよいよ仏様たちとご対面だ。
但し、これらの仏様たちは1950年に始まる中国共産党の侵略の中で破壊された寺院から持ち出された、いわば略奪品なのである。
そして、一番問題なのは――この展覧会を見た複数のチベットの方たちが口を揃えて言っていることなのだが――これらの仏様が信仰の対象としてではなく、鑑賞して楽しむ芸術品としてしか扱われていないことだった。
「さっき写真で見た仏像は、服を着せてもらっていることが(僅かながら)分かりましたよね。それが、本来のチベット仏教での仏像の扱われ方なのですが、ここに展示されている仏像は丸裸でしょう? 信仰の対象として敬意が払われていません」
いやしくも宗教を扱う展覧会なら、神仏に対する敬意が払われてしかるべきだ。しかしここにはそれが無い。

「聖地チベット展」を参観して(1)

チベット展入場口
チベット展入場口(2009年10月撮影)

以前から書いていたように、ツッコミを入れながらの「聖地チベット展」参観を本日決行。
体調不良でドタキャンした人が出てしまって参加者2人という寂しい結果となったが、めげずに上野の森美術館に出陣した。

入り口こそ閑散としていたが、中に入ると結構な人出。
まずは主催者あいさつや祝辞が掲示されていたが、その中の「中国チベット自治区文物局」なるもののあいさつがまずツッコミどころ満載。

「私たち(筆者注:チベット人)の祖先は、中国文化の養分を吸収し・・・」
――チベットが中国文化の何を吸収したというのか? チベットが吸収したのはむしろインド文化の方が圧倒的に大だぞ。
「民族の文化を発揚し」
――チベットの文化を破壊し尽くしたのは一体誰だ?
「文明の成果を共に享受しあい」
――中国が現在やっていることは中国側の文明の一方的な押し付けにしか見えないが?

「中日の文化交流に・・・」
――日本語で書く時は「日中」とするのが常識だぞ。誰が翻訳したか知らないが、まず中国人だろう。

と、入場していきなりこれだけのツッコミが成立してしまう。
果たして、その展示内容はいかに・・・

※最初は本日分だけで一気に書いてしまおうと思ったのですが、長くなりそうなので連載で書いていくことにします。

【終了】「聖地チベット展」ツッコミツアー画策中

※下記のイベントはいずれも終了済みです。

上野で行われている盗品展示会「聖地チベット展」、一度は敵情視察しなければ、と思いつつ今のところ行けていない。
最大の理由は、
   入場料1500円
どう考えても、あの展示会に1500円もの大金を払うだけの価値があるとは思えないのだ。
せめて1000円以内で何とかならないものか・・・
と思っていたところに、某オークションサイトで出品されているチケットを発見! 試しに入札してみたところ、私以外に熱心な入札者はおらず、あっさりと960円で落札。4枚までOK、とのことだったのでありがたく4枚購入させていただいた。

20091206_1

え、そんなにたくさん買ってどうするんだ、って?
実は、希望者を募って「『聖地チベット展』ツッコミツアー」など画策中。
この展覧会を考える講演会で配布されている資料を基に、希望者を引き連れて私が周りの方々にも聞こえるように解説(ツッコミ)を入れながら参観する、というものです。
日程は未定ですが、年内いずれかの土日祝にでもやれたらと。参加費はチケット代プラスアルファで1000円(予定)。
今のところ募集参加者は最大5人まで参加可能です。

ご希望の方は、コメントもしくはメールフォームにてご連絡ください。終了しました

「さとりへ導く三つの心と発菩提心」―ダライ・ラマ14世猊下法話

1年前にダライ・ラマ14世猊下を招いて講演が行われた東京・両国国技館。

今年も猊下が御来訪され、10月31日には法話をしていただいた。

2007年のダラムサラから始まって、猊下のお話を拝聴させていただくのはこれで3度目となる。第1回のダラムサラでは仏教の難しい教義についていけず、第2回の昨年・両国国技館では「心の在り方」に関する分かり易い内容だった。
今回は、「さとりへ導く三つの心と発菩提心」というテーマでの仏教法話。ここ1年で仏教関連の講演を幾つか拝聴して2007年当時に比べれば少しはましになったのではと思われるが、果たしてどこまでついていくことができるか。

14時すぎ。両国国技館正面側に設置されたステージに、猊下が拍手で迎えられて御登壇。ありがたい法話が始まる。

今回は専門用語が多く含まれる仏教法話ということもあってか、英語ではなくチベット語でのお話となった。
まずは、一般的な仏教のお話から。今回は特に「自我」について時間が割かれ、「自我意識の強いものを無くし、他者を身近に感じるようになることで、他者に対する怒りが無くなり、恐怖や不安も減る」、「自我には始まりや終わりがあるのか」(神を受け入れる宗教では、自我は神によって生を受けた時に始まり、神のジャッジによって天国もしくは地獄に行った時に終わるが、神を受け入れない宗教=仏教=では、自我は継続性のあるもので始まりや終わりは無い)などといったお話が印象的だった。

そして、今回のテーマである「三つの心」。三つの心とは、

  1. 出離の心(輪廻から抜け出したいと思う心)
  2. 菩提心(一切衆生を救済するために自分自身が悟りを得たいと思う心)
  3. 正しい理解(空を理解する智慧)

である。これらの3要素を修行によって育むことで初めて輪廻の源を絶ち切る(解脱する)ことができる、というお話だった。
「空」の何たるかすらまだよく分かっていない私にはやはり難しいお話だったが、それでも今後仏教を理解するための大きな一助となることは間違いないだろう。

さて、この日の猊下はどうしたことか、いつもに比べてちょっと力強さやユーモアが足りないようにも思われた。途中でお薬をのまれるシーンもあり、「本調子ではないのかな?」と少し心配にもなった。
しかし、最後の最後、質疑応答のラストバッターとなった女の子を叱咤激励するシーンで、いつもの力強い猊下ご降臨! やはり猊下はこうでなければ。

<講演の様子>

話の本筋とは離れるが、上記の質疑応答に立った女の子が印象的だったので以下に。

20歳前後と思われる若い女性だったが、前の質問者が質問する後ろで順番待ちをしている時から、がちがちに緊張している様子がありありと分かった。震えながら両手で口を隠し、泣き出すのではないかとすら思われた。
そして順番が回ってきて発した質問が、

「私は自分に自信が持てません。どうすれば自分を好きになれますか? 法皇様はご自分のことがお好きですか?」

やはり――そういう子だったか。
それに対する猊下のお言葉は

「他者への慈悲心を起こすためには、まず自分を大切に思わなければなりません。自分を好きでなくてはいけません。あなたも幸せなときには自分を嫌いとは思わないでしょ。そのような状況を作るように、幸せになるように今日言ったこと(出離の心、菩提心、正しい見解)を行ってみましょう。
もし幸せでないときは、広い視野を持ってみましょう。まわりを見てみましょう。
そして、問題は勇気を持つための条件と考えましょう。問題が起きたら自分が克服する良い機会を得たと考えましょう。問題が起きても自分が克服できると強く思わなければなりません」

(※mixiの『【FREE TIBET】チベット』の書き込みより転載させていただきました)

私の知り合いがたまたま彼女の隣の席で、その時の様子を詳しく教えてくれた。
「彼女手を挙げている時からブルブル震えていたんですけど、前に並びに行った時はパーッと駆けて行って。(ステージ上部に設置された)画面でも震えていたのが分かったけど、(質問が終わって)戻ってきたら、表情が全然変わっていて――あれが彼女の人生を変えたんだな~って思いました」
さすがは猊下である。

私は彼女に、以下の言葉を送りたい。

「こんな大勢の前で自分の悩みを言えるなんて、そうそうできないぞ。
いい度胸してるやんか。
もう十分、自分に自信を持ってええぜ!!」

祝・ダライ・ラマ猊下「ラントス人権賞」受賞

訪米したダライ・ラマ14世猊下が米議会から、人権活動をたたえる「ラントス人権賞」を授与された。

オバマが猊下との面会を見送って株を下げる中、議会はよくやってくれた。

「ラントス人権賞」をキーワードに検索してみても今回のニュースがヒットするばかりで詳細はよく分からないのだが、時事通信の報道によると、「人権問題に取り組んだ故トム・ラントス元下院外交委員長にちなんで創設された」ものだということだ。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009100700033

上にも書いたとおり、この件に関しては報道各社が報じているが、ここではその中で以下の記事を取り上げたい。

米議会:ダライ・ラマに「ラントス人権賞」授与
毎日新聞 2009年10月7日 18時12分
http://mainichi.jp/select/world/news/20091008k0000m030021000c.html

 【ワシントン草野和彦】米議会は6日、訪米したチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世に対し、人権活動をたたえる「ラントス人権賞」を授与した。91年以降、ダライ・ラマは訪米の際に毎回、米大統領と面会してきたが、オバマ大統領との面会は見送られる。11月のオバマ大統領の訪中後に行うことで双方が事前に合意しており、人権派の議員から「中国への配慮」との批判が出ている。

 ダライ・ラマのロディ・ギャリ特使は5日、「より広く、長期的な観点から、ダライ・ラマは11月の米中首脳会談後の面会に合意した」との声明を発表。またギブス大統領報道官は6日、「中国とより強力な関係ができれば、米国はチベットの人々に関する懸念を伝えることができるようになる」と述べた。

 一方、ペロシ下院議長(民主)は「中国の人権問題をはっきり言わなければ、米国は人権を語る道徳的権限を失う」と警告した。

最後の一行を、日本の政治家たちは噛みしめてほしい。

チベットクラシックコンサート テチュンリサイタル2009

東京・サントリーホールにチベット音楽の第一人者・テチュンさんを招いてチベット音楽コンサートが開かれ、私も開演前と後はスタッフとして、開演中はオーディエンスとして参加した。
Techung
(写真はイメージ)
集合場所に行ってみると、テチュンさんご本人がまるでボランティアスタッフの一員かのようにごく自然にその場にいて、スタッフ一人ひとりと挨拶をかわしている。

指定席は全て売り切れ、自由席もほぼ満席という盛況の中、古くから伝わる歌、テチュンさんのオリジナル曲合わせて10数曲が演奏された。どの曲も目を閉じるとチベットの風景が思い出され、また映画「雪の下の炎」で挿入歌として使われた曲が演奏された時にはパルデン・ギャツォ師の顔が目に浮かび、涙すら浮かんでしまった。
前半はクラシックコンサートらしく、会場は静かに音楽を聴いていたが、後半に入ると、テチュンさんの呼び掛けもあってある時は手拍子が入り、ある時はステージと客席の間でかけ合いがあったりするなど、まさに演奏者と聴衆が一体となった、理想的な演奏会となった。
アンコール前の最終曲が終わると同時に、ルンタ(経文を印刷した小さな色紙)がステージにまかれる。シンプルに徹した演奏会がこの瞬間、華やかに彩られ、拍手の後、熱いアンコールの手拍子が沸き起こった。

そして、テチュンさんの演奏に負けず劣らず印象に残ったのが、チベット人の子どもたちの歌だった。
当日の解説によると、チベットでは日本でいうわらべ歌のような歌が極めて少ないそうで、テチュンさんは7年前から子どもたちに歌を通して民族のアイデンティティを育んでもらおうとプロジェクトを進めており、ようやくレコーディング可能なところまでこぎ着けたという。
この日舞台に上がった子どもたちは在日チベット人の子どもたちで、子どもらしいはにかんだ表情が初々しかった。司会の方が「お名前は?」と尋ねても「・・・」と声を出して答えられないちびっ子もいて、「おいおい、ちゃんと歌えるのか?」と心配したが、いざBGMが流れると、きっちり2曲歌ってくれた。
子どもたちにとってはいい経験、いい思い出となったことだろう。この子どもたちが歌を通してチベット人のアイデンティティを受け継いでくれることを願ってやまない。

ステージ終了後も、テチュンさんはサイン会をしてくれたり、記念写真に入ってくれたりと、来客の方々やスタッフと気さくに接してくれた。音楽だけでなくこの気さくさが、テチュンさんが人を引き付けるゆえんなのだろう。

チベット写真展”On The Way Home Vol.2″(所沢)

知り合いの方が所沢で2009年7月のチベット旅行の写真展をやっています。

写真展会場

チベット写真展”On The Way Home Vol.2″
マウンテンカフェ"~8月29日

マウンテンカフェ
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/yeitaro
埼玉県所沢市緑町1-17-11-1F 
西武新宿線・新所沢より徒歩5分
Tel/04-2928-2719 
日曜定休・13:00~23:00


私の社会派?写真展とは違い、(一部キャプションでFree Tibetをさりげなく訴えていますが)風景、寺院、動物、チベタンの笑顔など、純粋にチベットの旅の写真を楽しむことができる展示です。

オーガニック料理に舌鼓を打ちながらチベット旅行気分はいかが?

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