バス憧れの大地へ

雑記ブログ

2016年GW 青森市

今年のゴールデンウィーク(GW)の目的地は…

青森駅
青森

自分にとっての未到達県を1つ塗りつぶそうという思いと、震災の傷跡まだ癒えぬ東北に元気を、という思いから、昨年の福島に続いての東北訪問となった。

前日の夜に仕事を終えた後、飛行機で夜9時半に青森入り。一夜明けてこの日、本格的な東北巡りの開始となった。

朝の散歩がてら、
青森港
青森港近くの海辺をぶらり。ここから見える海は陸奥湾だ。

暫く歩いていると、白と黄色の船体の八甲田丸に近づいた。列車すらその胎内に収めて津軽海峡を往復したかつての青函連絡船だが、青函トンネルの開通でその役目を終え、今はメモリアルシップとしてその船内が公開されている。
八甲田丸

当時の情景を伝える模型(1)
当時の情景を伝える模型(1)
当時の情景を伝える模型(2)
当時の情景を伝える模型(2)
操舵室でちょっとクルー気分
操舵室でちょっとクルー気分
デッキからの風景
デッキからの風景
八甲田丸内部の列車
船の底には、何台もの鉄道車両
八甲田丸の機関部分
船の心臓部である機関部分

いや、貴重なものを見せてもらった。青函連絡船の歴史や船の仕組みなど、いい“学び”となった。
それにしても、外目からは気づきにくかったが、列車の車両を幾つも収納できるくらい大きかったんだ。

八甲田丸の近くには、青森名産のリンゴ関連商品などを売っているA-FACTORYや、ねぶたの家 ワ・ラッセもある。

A-FACTORY
A-FACTORY
ねぶたの家 ワ・ラッセ
ねぶたの家 ワ・ラッセ

ワ・ラッセはその名の通り、青森名物のねぶた祭りの博物館になっていて、照明を落とした管内には勇壮なねぶたが幾つも幻想的に浮かび上がっていた。
ねぶた
これが祭りの日には夜の青森の街を練り歩くと思うと、またテンションが上がる。

このあたりを回っているうちに、いい時間になった。私は、これらの施設と隣接する青森駅に向かい、次の目的地へ向かう列車に乗り込んだ。

宮崎・青島、日南

宮崎市・青島で迎えた朝。
青島の朝日
神々しい朝日に、青島が、青島神社が照らされる。

しかし、この島が本当の魅力を見せるのは昼頃のことだ。それまでは近場で別の場所を巡ることにする。

昨日は小雨が降る時も少しある生憎の天気だったが、この日はすっきりとした青空が広がり、日向灘も青々とした水面を横たえている。17kmも先のフェニックス・シーガイア・リゾートまでくっきりと見ることができた。
青島
この日の最高気温は25度ほどだったが、体感気温は明らかにそれ以上あり、半袖でも過ごせるくらいで「夏の日差し」と言ってもいいくらいの陽気だった。

青島からバスで30分ほど南下。鵜戸神宮へと赴く。
鵜戸神社は断崖絶壁の途中にある洞窟の中に造られた社だ。本殿に向かう参道は急な下り道を下らなければならない。伝説によると、ここは豊玉姫神という女神が主祭神を産む産屋を建てた場所だという。
鵜戸神宮
海辺には、ラクダか何かの動物のようにも見える巨大な岩が海から生えるようにして屹立している。この地形もまた、この場所を“神の住む場所”とする信仰のゆえんなのではないかと思われた。
鵜戸神宮の海岸

鵜戸神宮から少し北へ戻った丘の上にあるのが、サンメッセ日南。ここには本場イースター島公認というモアイ像が、本場同様海を背にして立っている。
しかし、モアイはやはり絶海の孤島のロマンであってほしい気がする…
サンメッセ日南のモアイ

日南海岸からの景色はどこから見ても海の眺めがいいが、お勧めスポットの一つが道の駅フェニックスだろう。バスに乗ったままでも、丘の上から遥か遠くまで見渡せる海の景色を楽しむことができる。
道の駅フェニックスからの景色

青島にはちょうど昼前に戻ることができた。朝に訪れた時には海の下に隠れていた青島周囲の海底が、この時は引き潮になってあらわになっていた。
波の侵食で一直線に削りだされた細長い岩が、何十、何百もの平行線になって連なっている。その様子は、まさしく洗濯板…
鬼の洗濯板
鬼の洗濯板と呼ばれる奇景である。
どうやら地層に沿ってこのように削りだされたようなのだが、これだけきれいな平行線が描かれるのは、まさに巨大な鬼が人工的に削り出したと信じてしまいたくなるほどの自然界の奇跡だ。これもまた、日向が「神の国」たるゆえんの1つなのだろう。

これで今回の宮崎訪問は終了。本当に駆け足な弾丸の1泊2日だったが、古き良き文化に触れ、自然の美しさと細やかさに触れることのできた週末旅行となった。

宮崎・飫肥

ANAのマイルが、羽田から沖縄以外の日本各地を往復できるまでに貯まり、そろそろ賞味期限切れが来る、ということで、ちょっと遠い所へ弾丸1泊2日の週末旅行に出ることにした。

行き先に決めたのは、できるだけ遠くで、しかも「行く」という明確な意図がないとなかなか行かない場所…
ということで、今回の行き先は、
宮崎空港
宮崎
これまで、鈍行列車で九州を縦断したことはあったが、いずれも交通の便がいい熊本経由で、宮崎にはついぞ訪れたことが無かったのだ。
これで、九州で唯一の未到達県だった宮崎に、ようやく足跡を残すことになる。

到着してすぐに、JR日南線に乗って宮崎県を南下する。
JR日南線
天気は生憎の曇り空だったが、途中「鬼の洗濯岩」と呼ばれる岩のゴツゴツとした海岸を車窓の外に見ることができた。
鬼の洗濯岩

列車を降りた場所が、今回のメインと位置づけていた街だった。
それは、飫肥(おび)。
江戸時代の情緒のある古めかしい町並みが残る街であり、ポーツマス条約締結や不平等条約改正に尽力した明治の政治家・小村寿太郎の生誕地としても知られている。
飫肥の町並み
メインストリートからしてこのように、重厚な白壁の江戸時代的な屋敷が立ち並んでいる。特に重要な建物は内部まで公開されていて、当時の生活をしのぶことができる。
豫章館
旧藩主伊東家の屋敷・豫章館

旧山本猪平家の内部
旧山本猪平家の内部

街を南北に貫く大手門通りを北へ進むと、そこにあるのは飫肥城
飫肥城大手門
飫肥城大手門

江戸時代の伊東家飫肥藩の城は、天守等は残っていないものの、大手門や石垣、そして飫肥城歴史資料館松尾の丸の展示からもその当時の様子を偲ぶことができる。
飫肥城の石垣

当時本丸があった場所にも上ることができたので足を運んでみた。
先述したように、そこに天守や本丸御殿などは残っていない。ただ、石垣の上に樹齢140年という杉の林が生えているだけだった。
飫肥城旧本丸跡
しかし、ちょっと階段を上っただけの場所なのに、それまでとは全く違う雰囲気がある。決して人里離れた山奥ではない。なのに、映画『もののけ姫』に登場する木霊でも出てきそうな静寂と、ヒーリングのような空気が流れている。この場所は別名「いやしの森」と呼ばれているらしいが、確かに体いっぱいに癒やしを受けることができる。

武家屋敷通りを通って駅へ向かい、飫肥散策は終了。この日の宿泊先である青島へと北上する。

8月には水戸、会津若松、佐渡を旅行したが、その時もいにしえの雰囲気が残る場所を巡った。コンクリートの建物ばかりと付き合っていると、こういう町並みを時々見たくなるものらしい。

駿府~家康公ゆかりの地

富士山頂の天気がいいという予報だったので、田子の浦あたりで富士山撮影を、と思って青春18きっぷ消費がてら東海道線で静岡・富士市へ。しかし、天気予報とはうらはらに、富士山には非常に残念な雲…
そのまま帰ろうかという思いも頭を一瞬よぎったその時、電車内の「家康公四百年祭」という中吊り広告の文字。そう。今年は徳川家康公没後400年の年だったのだ。
衝動的に行き先を富士市の更に先の静岡市に変更。家康公が少年期、円熟期、晩年期を過ごした駿府の地に建てた駿府城の跡を訪れてきました。

駿府城の巽櫓
東御門と巽櫓

天守などの当時の建物こそ残っていないものの、石垣や、再建された東御門(ひがしごもん)、巽櫓(たつみやぐら)、坤櫓(ひつじさるやぐら)などが、家康公当時の姿を思い浮かべる助けになりました。

駿府城の坤櫓
坤櫓

「今朝は富士山が見えてたんですけどね」
と、坤櫓の係員さん。
もしかすると、家康公がこの地を居に選んだのは、富士山がよく見えるからではないだろうか?などと勝手に想像してしまった。そう思うと、400年も前の偉人に、にわかに親近感がわいてしまいました。

徳川家康像
徳川家康像

青春18きっぷ旅~佐渡ヶ島

前日のうちにJR在来線で会津若松から新津を経て、新潟へ。
駅前の宿で一夜を明かし、この日は佐渡ヶ島を目指す。

行きはホバークラフト式の高速艇・ジェットフォイルで日本海を渡る。8時45分に出発して1時間で佐渡ヶ島に到着した。
佐渡ヶ島が見えてきた

最初の目的地に向かうに当たって、いきなり直行のバスがちょうどいい時間には無いことが判明。取りあえず相川という場所まで行って、そこから同じ場所へ向かう人たちとタクシーをシェアして向かうことにした。(ちなみに、7時55分に新潟港を出発するジェットフォイルに乗れば、着いたらちょうどいい時間に直行バスに乗ることができる)
道中、タクシーの運転手がいろいろと解説をしてくれる。その話によると、帰り道は下りばかりなので30分ほど歩けば先ほどのバスの終点に着くことができるという。帰りをどうしようかと考えていたので、これはいいことを聞いた。

やって来た場所は、佐渡金山。江戸時代に始まり、20世紀後半まで採掘が行われていた金鉱である。
まずは、トロッコが走っていたレールが残る坑道を歩く。太陽の光が届かない暗闇の中は、冷蔵庫のようにひんやりとしている。暗くて寒い、過酷な労働環境だ。
佐渡金山の坑道
坑道を出た途端――眼鏡が曇る。カメラのレンズが曇る。

地下から出た所にあったのは、大きな櫓と資料館。更に先には粗砕場跡もあり、往時の作業の様子がしのばれる。
佐渡金山の櫓
少し山道を上ると、大きな岩の裂け目が見える。道遊の割戸だ。遠くからでも見える佐渡金山のシンボル的存在だ。
しかし――穿った見方をすれば、この裂け目は採掘という人の営みが生み出した自然破壊の爪痕なのだ。
道遊の割戸

タクシーの運転手に言われたように歩いて山を下り、相川から路線バスを乗り継いで次の場所へ向かう。

次に訪れたのは、トキの森公園。私が子供の頃には7羽、そして2羽とどんどん減って、2003年には日本産の最後の1羽が死んで野生絶滅してしまった、「ニッポニア・ニッポン」の学名を持つトキの繁殖に尽力している施設だ。
最初の観察場所では全く姿を見ることができなかったが、ガラス張りの観察小屋ではしっかりと6羽、白い体に赤い顔のトキを見ることができた。
トキ
思っていた以上に小さく、華奢なイメージの鳥だ。これでは人間に狙われたらひとたまりも無いだろう。
トキ
今は中国生まれの個体で、ここでの繁殖を目指している。佐渡が再びトキが飛び交う島になる日は来るのだろうか。

帰りはカーフェリーでゆったりと新潟へ向かう。
佐渡ヶ島を離れる
佐渡金山でもトキの森公園でも、「人間と自然との共生」について深く考えさせられる訪問となった。

青春18きっぷ旅~会津若松

会津若松周遊バスに乗ってまず向かったのは、鶴ケ城。地元以外では会津若松城の名でも親しまれている名城だ。今ある天守閣は戦後復興建築された鉄筋コンクリート造りのもので、外観も真新しい。
会津若松城
この城は江戸時代から明治時代に移る時代に会津戦争の舞台となった場所で、城内では朝敵とされ敗戦した会津の苦悩の歴史が展示で語られていた。
天守に上ると、会津若松の城下町を四方に見渡すことができるが、その眺めの中にはあの悲劇の舞台となった山も見ることができた。
会津若松城天守からの眺め

天守閣から下りた後、近くにある県立博物館に赴くが、その近くに↓の銅像が立っていた。
新島八重銅像
新島八重
NHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれた人物である。先述の会津戦争では銃を手に明治政府軍と戦い、その後は同志社大学創始者の妻になったという数奇な人生を送った女性だ。

次に、何となく気になってバスを下りて会津武家屋敷を参観。会津戦争時の会津藩家老・西郷頼母の邸宅などを再現したもの(この場所にあった訳ではない)だ。西郷頼母と言えば、会津戦争時に妻や子供が集団自決を迫られた悲劇の人物だ。
会津武家屋敷

しかし、会津戦争最大の悲劇の舞台といえばやはり、先ほど鶴ケ城天守閣からも見えたあの山だろう。
飯盛山
飯盛山
あの白虎隊が集団自決を迫られた山だ。急勾配の階段を上った先には、彼らの墓があり、墓参の客が絶えることなく訪れる。
白虎隊の墓
墓所から少し下った所にある見晴らしのいい場所が、白虎隊自決の地だ。ここには慰霊碑が建てられ、その横には犠牲となった少年武士の像が置かれ、ちょうど鶴ヶ城を見つめる格好になっている。(私も鶴ヶ城を探してみたが、意外に遠くて分かりづらかった)
白虎隊自刃の地

白虎隊については先ほど鶴ヶ城でも展示を見たが、全員15~17歳の前途ある少年たちで、ずらりと並んだ似顔絵を見ていると胸が痛くなった。
権力者が始めた戦争で犠牲になるのはいつも庶民。特に未来ある若者がこんなことで命を散らせるなんて、余りに悲しすぎる。
やはり、二度と若者を戦地に送るようなことは絶対あってはならない
勿論、戦争なんかで命を散らせてはならないのは若者に限ったことではないが、白虎隊の悲劇に触れて思うことはやはり若者のことだった。

青春18きっぷ旅~猪苗代湖、会津若松

会津若松で一夜を明かし、いざ会津巡り。

まずは、会津若松からちょっと足を延ばして、猪苗代湖へ。猪苗代駅から徒歩30分弱で湖畔に到着した。
湖畔には葦が群生していたが、葦原の切れ目を見つけてその先に目をやると、そこは湿原。それ程数は多くなかったが、鳥たちの楽園になっていた。
猪苗代湖
そして、この猪苗代は日本が世界に誇ることができる偉人を輩出していた。
野口英世である。
湖から目と鼻の先の場所に彼は生まれたのであり、その場所には野口英世記念館が建てられていた。
記念館内には野口の生家が再現されていて、彼が幼い頃に手に火傷を負った囲炉裏も再現されていた。
野口英世生家(再現)
しかし、彼はこの火傷があったからこそ医学を志し、後の功績に繋がっていったのだから、人生とは数奇なものだ、
それにしても、海外に行くことがまだまだ一般的ではなかったあの時代に、世界を股に掛ける偉人が「海外」から一番遠い東北の内地ど真ん中から生まれようとは、奇跡に近いものを感じる。

猪苗代から会津若松に戻る。
会津若松市を巡るなら、周遊バス「ハイカラさん」「あかべぇ」が便利。運賃は均一210円なのだが、1日乗り放題切符が500円なので、これを買って3回乗れば元を取ることができることになるが、私はこの日計5回乗って「倍返し」で元を取ることができた。
会津若松周遊バス

さあ、本日のメインイベントに向けて、いざ出発!

青春18きっぷ旅~水戸、会津若松

職場が夏休み…
今年は5連休も夏休みがとれてしまった。

特に予定もないし、どこか旅行に行きたいところだが…

この時期、国内線も国際線も航空券は馬鹿みたいに高いし、マイルも使えない。
高速道路は混む。

しかし、この時期だからこそ使える安上がりな旅の方法がある。

青春18きっぷ!!

ということで、年末年始に続いて鈍行列車の旅に出る。
前回は西へ向かったので、今回は東の未到達県を攻めることにした。

ということで、まず向かったのは…

茨城県水戸市

こんな方々が出迎えてくれた。
水戸黄門

まず向かったのが、
茨城県立歴史館
茨城県立歴史館
貝塚やら水戸学やら尊皇攘夷などの展示が興味深い。茨城出身の歴史上の人物がずらりと並んでるコーナーもあり、平将門、間宮林蔵、二宮尊徳、横山大観など「彼らも茨城出身だったのか」と思わせられるような著名人が数多くいた。

博物館の近くには水車小屋や蓮の池を見ることができる公園も。
水車小屋
蓮池

そして、水戸と言えばやはり、
偕楽園
偕楽園

偕楽園の竹林
緑あふれる庭園に心を癒やしたり、
好文亭
好文亭で古めかしい建築や絵画に触れたり、
吐玉泉
吐玉泉に清涼感をもらったり、

いろいろな楽しみ方ができる公園だ。
ただ、ここに来るなら梅園の美しい春先がよかった。次に来る機会があったらぜひその時期を狙いたい。

そして、水戸の歴史を感じられる場所といえば
弘学館
弘学館
水戸学の総本山だった場所だが、見ることができるのは何もない部屋か当時の文物の展示室だけ。「学校」だったというイメージを膨らませるために、どこか一室で人形を使った講義の様子の再現などやってみてもいいような気がした。

昼食にはネタとしてこんなものを頂いたw
印籠弁当

茨城は以上。JR水郡線、磐越西線を乗り継いで次なる未到達県へ。

行き先は、福島。会津磐梯山が私を出迎えてくれた。
会津磐梯山

会津若松で下車。本日はここで宿泊だ。
会津若松駅

夕食は迷わすこれ。
喜多方ラーメン
喜多方チャーシュー麺
煮干しダシのきいたあっさり系で、太くて平たい縮れ麺が特徴。喜多方に行く時間が無さそうだったのでとりあえず会津若松で頂いた。

明日はじっくりとこの近辺を巡る予定だ。
ただ、この一帯は観光地であるだけでなく、東日本大震災の被災地でもあるのだ。そのへんを忘れずに歩きたい。

年末年始・青春18きっぷの旅(6)~エピローグ

さて、平等院を参観し終わったところで、あとは神奈川への帰途に就くばかりだ。
京都駅を14時に出発する新快速に乗れれば理想的だが、どうやら余裕を持って間に合いそう――
だったはずなのだが、宇治駅に着くと列車遅延のアナウンス
遅延の理由は・・・

無謀横断で安全確認のため…

ふ ざ け る な

自然現象やら急病人救助とかなら諦めもつくが、どこの馬鹿だか知らないが、たった1人のエゴのために何でこんなに大勢の無関係な人たちが巻き込まれなければならないのだ?
増してや、JR奈良線は基本、単線。片方が遅れればもう片方も線路が使えなくなるので遅れてしまう。

そんな訳で、京都駅に到着したのは14時を数分過ぎた後だった。たったそれだけの遅れで目当ての列車に乗れなかったか…
と思いきや、
今度は雪の影響で、その新快速が20分遅れになっているという。
上にも書いたように、自然現象には文句は言えない。暫く待っているとその新快速がやって来たが、京都駅を発車したのは結局14時28分――次の14時30分の新快速に乗ったも同然だ。

米原で乗り換えた次の列車も、遅れた列車の乗り継ぎ客をさばくために出発が遅れてしまう。
関ヶ原
天下分け目の関ヶ原も完全に雪に埋もれていた。

結局、この列車に乗っていれば間に合うはずだった大垣からの快速には乗れず、次の16:26発の快速に乗ることになった。
しかし、そこは時刻表とにらめっこして最適な乗り継ぎをアナログに検索。どうやらこの日のうちに川崎まで到着できそうだ。

その後は
 18:03 豊橋
 18:38 浜松
 20:03 静岡
 21:25 熱海
 21:25 小田原
と乗り継いでいく。ここまでくるともう雪の影響も無い。

そして、22:45

川崎着。
これにて、青春18きっぷ旅終了

列車に乗っている時間の方が長かったものの、4日間で石川、滋賀、大阪、和歌山、奈良、京都の6県を心の底から楽しむことができた。

思えば、自分にとっての旅の原点は学生時代の青春18きっぷの旅だった。この年になってあの頃と同じような体力勝負の旅ができるか、出発するまでは正直不安だったのだが、まだまだできそうだということが証明できた。
今年は「原点回帰」ということが私にとってキーワードの1つになりそう。

今年もいい旅しましょう!

年末年始・青春18きっぷの旅(5)~奈良、宇治

奈良の朝7時。
元日は過ぎたとはいえまだ正月2日。奈良で一番のお寺は込むだろうと考えて、早めに行動を起こした。

近鉄奈良駅近くのゲストハウスからぶらぶらと歩いて、まずお目にかかったのが・・・
奈良公園の鹿
奈良公園の住人
ハイ、またしてもまずは、ゆるキャラから入らせて頂きました。

そこから歩いてすぐの場所にある、奈良で一番のお寺といえば、言うまでもなく、
東大寺二月堂
東大寺
込むだろうと思って気合を入れて出向いたのだが、元日を過ぎると驚くほど人出は少なかった。
二月堂(上の写真)や三月堂も訪れたが、中でも一番の目当ては、勿論、
東大寺大仏
小学校の修学旅行以来の、大仏様
チベットで仏教にインパクトを受けて以来、チベットやラダックを中心に幾多の仏像を見てきたが、あちらの金ピカ仏様もいいけれど、やはり日本人の心にはこうした青銅の方がしっくりとくる。

そして、動物たちへの慈悲の心もまた仏道と、東大寺の南大門外で鹿せんべいを鹿たちに振る舞う。
鹿せんべいを振る舞う
「ちょ~だい♪」
と集まってくる鹿たちは一見かわいいですが、中にはギャングみたいな奴もいて、私のダウンの裾にかみついて引っ張ってくる。引きちぎられはしなかったものの、ダウンは鹿のよだれまみれ。

ビシッ!

次の瞬間、私のビンタがその鹿のおでこを直撃。
「お前にはやらん!」

オイオイ、慈悲の心と仏道はどこへ行った?

青春18きっぷはあと1回分だけ。この日で神奈川に帰らなければならない。
とはいえ、奈良からの帰りは京都にも立ち寄るコースになる。せっかくだからJRでの交通の便がいい中でまだ行ったことない、東寺(京都駅から近い)あたりに立ち寄りたい。そのあたりも考慮して、この時間なら余裕をもって帰れるだろうという電車に間に合わせるように東大寺参詣を終えて、JR奈良駅へ。

ところが、奈良からJR奈良線で京都へ向かう途中、ある場所での車内アナウンスが私の心を動かした。

「次は、宇治、宇治~」

――そうだ。
JR駅から近い名所の中で、東寺よりもっと訪れてみたい場所があるではないか!

ということで、殆ど衝動的に宇治駅で途中下車。
宇治といえば行き先はあそこしかないだろう。
平等院鳳凰堂
10円玉の模様にもなっている、平安時代の浄土信仰のシンボル・平等院だ。2012年から修復工事が行われていたが、約4か月前の2014年9月にそれが完了して全ての覆いが撤去されたのである。このタイミングで宇治を通りかかったのはもはや仏様のお導きとしか言いようがない。
導かれて中へ入ると、(両側の橋は除いて)これほどまでに見事なシンメトリー(左右対称)はタージ・マハル以外にないのではないかというくらい綺麗に均整のとれた左右対称の外観の鳳凰堂が、池にその姿を映しながらたたずんでいる。その名の由来となった屋根の上の鳳凰の像や、修復されて以前よりも鮮やかになったのであろう朱塗りの柱や壁が美しい。積雪で屋根瓦の色を見ることはできなかったが、これはこれで風情がある。
内部の参観には別料金が必要だが、それ以上に(正月だからか)参観希望者が多くて待ち時間が1時間以上になる。しかし、その間に外からお寺を見たりミュージアムをじっくり参観したりすれば時間は潰せるので、時間に余裕があればぜひ見ておきたい。私は帰りの電車の時間がやや気になったが、時刻表とにらめっこしたところ、まだ最終電車には十分間に合いそうだったので参観することにした。

案内された中央の部屋には、先ほどの東大寺大仏とは対照的に、木像に金箔を貼って造られた金色の阿弥陀如来像が座している。その周囲の壁にはその様式が9段階に分かれているという来迎図(仏様たちが死者をお迎えに来る様子を描いた絵)が、(1000年の時を経てかなりかすれてはいるが)描かれていて、当時の浄土信仰の様子を窺い知ることができる。
東大寺の大仏は三脚さえ使わなければ間近での撮影もOKだったが、ここは普通に撮影禁止だった。しかし、正面から鳳凰堂を見ると、中央部の入り口上に丸い覗き窓があって、外からでも阿弥陀様のご尊顔を捉えることができる仕組みになっている。(下の写真参照。写真をクリックすれば拡大できる)
平等院鳳凰堂

この2日間で和歌山、奈良、京都のそれぞれ代表的な古刹で仏様のご利益を体いっぱいに受けてきた。これでこの1年、無事息災に過ごせますように。

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