震災のジェクンドは、今・・・

昨日のことになりますが、第10回「チベットの歴史と文化学習会」に参加してきました。
モンゴルを軸にチベットについて語られた特別講演も聴きごたえがありましたが、今回心に突き刺さったのがジェクンド震災のその後の様子でした。
現地を訪問した作家の渡辺一枝さんが写真を交えて報告して下さった8月時点での現地の様子は・・・

  • 建物が倒壊し、政府が用意した青テントで生活や商売を営む人々。
    家の倒壊を免れた人々も、余震に警戒してテント暮らしをしているようです。
  • 学校・病院を優先的に再建しているようです。
  • 政府(漢人)主導で推し進められる復興計画。
    既にジェクンド空港が建設されていることから、観光客を誘致できるような再建がなされるのでは、という懸念もあります。
  • 救いを求める人々の心情からか、マニ塚(石に経文やマントラを彫ったマニ石が積み上げられてできた塚)の規模が大きくなっていたとのこと。
  • 小中学生は引き続き地元で授業を受けられるが、高校生は外の省で授業を受けることを余儀なくされている。(洗脳教育のため、ということでは必ずしもないようで、条件が整えばジェクンドに戻ることを前提にしているとのこと)
  • ここぞとばかりに社名をアピールする復興支援企業。

そして、必ず政府を通して行うこと、との前提となっている義捐金がどれ程現地に行きわたっているか不透明な現状、これまでにこの学習会等で募った義捐金の使途を明かすことができない現状・・・
「震災復興のために私たちができること」という課題の答えは、残念ながら今回も明確にはできなかったように感じられました。

何か、やり切れなくなってしまいます。

震災復興の方針といい、最近話題になっているアムド地方での漢語教育押し付け問題といい、漢人政府主導で有無を言わさずに推し進められる政策に対する憤り、そしてそれに対して何をすべきか答えが見出せない自らの非力さに、今少々凹み気味です。

そんな中にも、光は僅かながらありました。

実は、渡辺一枝さんとほぼ同時期にジェクンドを訪れていた知人(このブログにも度々ご訪問頂いています)に現地の写真を見せて頂いたのですが、見る前に
「この状況ではさすがに『笑顔』の写真は撮れなかったんじゃないですか?」
と尋ねたところ
「いや、それが意外と笑顔でしたよ」
とのこと。アルバムのページをめくってみると、瓦礫の山となった街や寺院、避難用テントの写真の中に、確かに笑顔を向けているチベタンたちの写真が少なからずあったのです。
「こんな状況でも笑顔になれるのは、仏教への信仰があるからですかね」
と、その知人。

――同感。

それに付け加えるとすれば、これも仏教への信仰から来ていることかもしれませんが、私がダライ・ラマ法王をはじめチベットの人々に常日頃感じているオプティミズム(楽観的主義)的な心の持ち様もあるのではないかと思いました。
そして、今回の悲惨な震災の中、命を落とさずに済んだことに対する喜びもあったのではないでしょうか。

纏めれば・・・
「命をお救い頂きありがとうございます。
命あっての物種。生きていれば何とかなる」

とでもなりますでしょうか。


より大きな地図で
チベット・カム地区ジェクンド を表示

今気が付いたのですが、google mapでジェクンドの写真画像が震災後のものになっています・・・

第9回「チベットの歴史と文化学習会」

いつも東京・春日で開催されている「チベットの歴史と文化学習会」に参加してきました。

今回の特別講義のテーマは「チベット“解放”の言説をめぐって」というもの。私が当サイトの「中国官製『チベットの50年』の虚構」で疑問を投げかけた中国共産党の「農奴解放言説」について社会人類学者の大川謙作氏が語って下さいました。

要点を言いますと、

  • 「農奴解放言説」とは、1959年の動乱後の「民主改革」の強行=ダライ・ラマ政権解体とチベット旧社会の崩壊 を指す用法
  • 中国共産党の言う「解放」とは1950~1959年の間は「海外帝国主義の解放」だったのが1959年以降は「封建農奴制からの解放」に変わり、1959年から意味が変化・混乱した。
  • 1951年の「17か条協約」(1959年に解消)では「チベットの現行政治体制に変更を加えない」「チベットに関する各種の改革は、中央は強制しない」と定められていて、1951年~1959年の間は今日の香港のような「チベット版一国家二制度」とも言うべき共存が存在していた

つまりは、中国共産党の言う「封建農奴制からの解放」という口実はチベット侵略当初から言われていたものではなく、完全な後付けだった、ということです。

では、「農奴」をめぐって

  • チベット語で「農奴」は「zhing bran(シンテン)」。但し、これは新しい造語で、「農奴」という漢字にチベット語の発音を当てはめたものにすぎない。
  • 旧社会で使われていた言葉は「ミセー」。これは人口の80~90%を占める貴族でも僧侶でもない平民を指していたが、中国共産党の理解ではこれが「農奴」だった。
  • ミセーは少額の現金を支払うことで好きな場所に赴いて好きな職業を選択することが可能だった
  • 当時のチベットは中央集権的で、封建制=分権的状況と見れば不適当。

ということ。即ち、従来言われている「農奴制」「封建制」とは異質なものだったということになります。

その後は、イギリスBBSが作成した1949年~1980年代のチベットの様子を映し出した映像を見たり、チベット漫談テカルや民族楽器の演奏でちょっと一息ついたり。

最後に、ジェクンド大地震の被災地映像を見ながら私たちに何ができるかについて考えました。
「現地で支援をしたい」と勢いで行ってしまっても結局は何もできずに足手まといになることも少なからずあるようです(阪神大震災の時にもそういうことがあったらしい)。現状で自分ができることと言えば、現地で救援活動をしている方々に送られる募金に力を貸すぐらいのことしか無いのだろうか――そう思うと、無力感に打ちひしがれもします。

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演 2010

平日の出勤時間よりも早いペースで、日本橋にて東京メトロ東西線から銀座線に乗り換える。銀座線の車内では、台湾のお坊さんの集団が瞑想するかのように静かに座っていた。

渋谷で東急東横線―みなとみらい線に乗り換え、横浜のみなとみらいへ。海辺にでんと横たわるパシフィコ横浜展示会場が・・・

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演

の会場だ。前回予告した通り、2週連続でダライ・ラマ14世猊下のお話を拝聴する。今回は午前の部・午後の部2回に分けて10:00~16:00という長丁場の法話・講演会だ。

10:00。司会・進行役の進藤晶子さんの紹介のあいさつで、ダライ・ラマ法王がご入場。万雷の拍手で出迎えられる。

午前の部は仏教法話「20世紀までは科学・技術の発展が重視されたが、それだけでは人の心を育むことができない、ということに皆気づき始めた※1。今の時代は心を高めることが重視されるようになり、その上で宗教が重要な役割を果たすことになる」という話をされた後、ツォンカパ(チベット仏教ゲルク派の創始者)の「縁起賛と発菩提心」について解説された(詳しい内容は省略――と言うか・・・今の私には書けないT_T)。

休憩を挟んで13:00。法王様のお話第2部――の前に、世界各国のお坊さんたちによる声明(しょうみょう)・お祈りが行われた。

インド
いでたちが仏教っぽくなく、声明の声の響きもインドそのものなのだが、何を言っているか分からない言葉の内容を聞けばきっと仏教なのだろう。

中華民国・台湾
って・・・

さっき銀座線で一緒になったお坊さんたちじゃん!!

今度は私の中で確立されている仏教のイメージぴったりの声明・お祈りだった。

韓国
こちらも、スタイルは極めてオーソドックス。
客席の応援団の人数・熱気の方が印象に残っていたりする。

モンゴル
こちらは音楽の披露。歌手の方がモンゴルのガンタン寺で法王様にお会いした時等の映像を流しながら2曲演奏してくれた。

チベット
これもオーソドックスな声明・お祈りだったが、チベット語だったのでダライ・ラマ法王も一緒に唱えられていたのが印象に残った。

日本
激しい和太鼓のリズムに合わせてシャープに唱えられる般若心経!!
あんなに熱い般若心経は初めてだ――日本仏教のともすれば暗いイメージを完全に覆してくれたぞ。

渡辺貞夫
高校時代ブラスバンドでアルトサックスをやっていた私にとっては嬉しいサプライズだったが・・・
なぜ、ナベサダ?※2
なぜ、サックス?

14:00。今度こそ法王様のお話第2部が始まった。
今回は比較的平易な内容なので、チベット語ではなく英語で話し始めるが、どうしたことか、第1部ほどの勢いが感じられない。心なしか、声もかすれて聞こえる。
[1週間で3回の講演というタイトなスケジュールでお疲れなのかな? 今回は更にロングランの講演だし・・・]
などと思っていたところ、法王様は最初の一節が終わるとすぐに
「今回は(同時通訳機による)英語の通訳もあることなので、ここからはチベット語で」
とお断りを入れ、そこから先はチベット語でお話しされた。
すると・・・

 復 活(笑)

いつもの法王様が戻ってきた。

その後は、
「心の平和を保てば体が健康になり、幸せや家族の平和も導かれる」
「全ての幸せの源は愛と思いやり」
「親の愛情を受けずに育った子供は、心の奥で他の人を信じられなくなる」
「以前は『私たち』『わが国』と『彼ら』『他の国』との間にバリアのようなものがあったが、国と国とが依存し合う今、自国のことばかり考えている訳にはいかない。『一つの人間家族』という意識が必要だ」
と、いつものように「愛」「利他」などをテーマにした内容をいつもの明調子でお話になった。

法王様がお元気だと聴衆も元気だ。最後の質疑応答にはいつもにも増して多くの人々が並び、日本人以外の姿も目立った。法王様が時間を30分延長してできる限り多くの方が質問できるようの計らってくださったが、それでも並んだ全員が質問、とはいかなかった。

講演、質疑応答を通じて少し印象的だったのが、ダライ・ラマ法王が
「仏教は『学ぶ』ことが重要。例えば般若心経も、唱えるだけでは駄目で、どのような意味なのかを学ぶところまで要求される」
と繰り返しおっしゃっていたことだった。そろそろ私も、本腰で仏教を「学ぶ」ことをしてみるかな。

16:30。講演終了。開始時と同じく、拍手に送られて法王様がステージを後にする。

いつもながら、ダライ・ラマ法王のお話を拝聴していると穏やかで温かな心になることができる。
ここ数年で、私の心は以前よりも穏やかに、でありながら強くなり、なお且つゆとりができてきたように何となく思われる(自画自賛?)のだが、2007年のダラムサラ以来、法王様の講演、法話を6度に亘って拝聴してきたことと無関係ではあるまい。

一つだけ、今回の講演で残念なことがあった。
「写真撮影はご遠慮ください」と主催者のお断りがあったにもかかわらず、写メを撮る連中が少なからずいたことである。特にひどかったのは、午前の部、午後の部各回の冒頭で報道関係者の方の撮影タイムが設けられたのだが、どさくさに紛れて一般の方が大勢前の方に出てきて写メを撮っていた一幕があったことだ。午後の部ではついに、進行役の進藤さんが「お写真はご遠慮ください」と皆に呼び掛けたのだが、それでも写メを撮る者は後を絶たなかった。
著名人の講演やコンサートでの写真撮影や録音はしない、というのは常識的な最低限のマナーではないのか? お心の広いダライ・ラマ法王だからまだよかったが、気難しいアーティストだったりしたら「もう日本には来ない」ということにもなりかねない。
私もカメラをやるので、撮りたい気持ちは理解できる。しかし、そこはTPOをわきまえて自重していただきたかった。
いや、カメラをやるからこそ、そう思うのである。


※1 未だに気づいていない国があるような気がするのは気のせいだろうか。ほら、日本の隣あたりに・・・
※2 コメント参照

ダライ・ラマ法王長野講演2010

(昨日の話になりますが、当日は帰りが遅くなったので本日の更新とさせていただきます)

2010年6月20日午前8時。新宿発の高速バスで長野へ。顔見知りも少なからずいる。どうやら目的は同じようだ。
長野に到着後、目指したのは長野五輪メモリアルアリーナのビッグハット。前日に善光寺を訪問されたダライ・ラマ14世猊下の講演がこの日ここで行われる。

午前2時。拍手に迎えられてダライ・ラマ法王がビッグハットの壇上に姿を現す。来場者に手を振り、壇上のタンカに向かって五体投地をした後、まずは般若心経を唱える。それが終わるといよいよ、法皇様のお話である。

「先ほど唱えた『般若心経』の中に『照見五蘊皆空』という一節がありますが、これは『実人間の心身を構成している五つの要素=五蘊がいずれも本質的なものではない』という意味であります」
と、まずは般若心経の一部の解釈についてお話しされ、その流れで「自我」と「無我」についてお話しになった。
その後も
「人間は社会の中で生きていく生き物であり、思いやりの心・慈悲が必要とされる」
「世界が経済危機にある中、自国のエゴではなく『普遍的責任感』を持つことが必要」
などのお話があった。
また、
「若い人にお願いがある。英語をしっかり学んでいただきたい。好き嫌いはともかく、英語は今や国際語である。下手でも気にせず、世界に飛び込んでいただきたい。私の英語もブロークンだが、こうして英語を介して世界各国の人々と交流ができている」
と、日本の若者たちに呼びかける一幕もあった。

昨年10月末に東京・両国国技館にお越しいただいた時には、どうしたことかいつもの元気さに欠けていたように思われた法王様だったが、この日はお元気そのもの。慈愛・力強さ・ユーモアを兼ね揃えたダライ・ラマ14世節全開のステージとなった。

2時間強の講演時間はあっという間に感じられた。法王様のお姿とお声に直に接するだけでも十分、という段階は私の場合、既に通り越しているようだった。

[もっとお話をお聴きしたい・・・]
これも煩悩?

しかし、すぐにもっとお話を拝聴することになるのである。

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演
2010年6月26日(土)会場:パシフィコ横浜 展示ホール

関東在住者としては行かずにいられる訳が無い!
中5日で駆けつける予定であるのは言うまでも無い。(6月22日には金沢でも講演があるが、さすがにこれは無理)

ロサル・パーティー~チベット料理の夜

ロサル・パーティー会場
ロサル・パーティー会場
2月14日に「本日はチベット正月ロサル」という記事を書いたが、この日は2週間遅れ(会場確保などの都合でこの日にずれ込んだとのこと)でロサル・パーティーが東京都内で開かれ、在日チベット人の方々がチベット料理を作って私たち日本人をもてなしてくれた。

会場に来てみると、祭壇が設けられてダライ・ラマ14世猊下のお写真が飾られている。来訪者は一人ひとり、その祭壇に相対してチベットの伝統的な作法で法皇様に祈りを捧げる。
そして会場中央のテーブルにはモモ(チベットのギョーザ)、チョメイン(チベット式焼きそば)、フィンシャ(春雨と野菜のスープ料理)、シャドクツォ(ゆで肉)、スウェン(肉団子)、カプセ(チベットのクッキー)、ツァンパ(麦こがし)、バター茶など、ロサルに欠かせないチベット料理の数々が並んだ。

モモ
モモ
チョメイン
チョメイン
フィンシャ
フィンシャ
カプセ
カプセ

立食式のアットホームな雰囲気の中、日本人とチベット人で、日本人同士で、楽しく会話を弾ませながらチベット料理に舌鼓。

立食形式で会話を楽しみつつ食事
立食形式で会話を楽しみつつ食事
盛り付け一例
盛り付け一例

中でも私が注目したのが、今回初めてお目にかかる「ザ・主食・オブ・チベタンツァンパだった。日本で言えばはったい粉みたいなもので、そのまま食べると粉っぽさばかりが感じられる。そこで、現地で行われるように、バター茶を混ぜて練りながら食べてみると、これがなかなかいける。
そんなマニアック?なことをやっているのを見た知人(女子)が、
きゃーーー!!
ツァンパをバター茶でコネコネするのが夢だったんですよ♪

――ここにもマニアが一人(-_-;

ツァンパ
「ザ・主食・オブ・チベタン」ツァンパ
バター茶でこねたツァンパ
バター茶でこねたツァンパ

ところがこのツァンパ、ゴルフボール1個分ぐらいの大きさだけでも満腹感がかなりくる。少量で満腹になるのは省エネ的でいいのかもしれないが、他の料理ももっと味わいたい今回の食事会ではちょっと障害になってしまった。
チベット風赤飯追加!
チベット風赤飯追加!

料理はたっぷりと出され、8時前ぐらいになると皆さん満腹気味。
そこへ・・・
チベット風赤飯(チベット名失念デシー*)炊けましたよ! 皆さんどんどん食べてください!
――いえ、お気持ちは嬉しいですが、もうお腹いっぱいです・・・
ということで、おにぎりにしてお持ち帰りとなった。

料理は勿論美味しかったが、それより何より、もてなしてくれたチベット人の皆さんの心遣いが嬉しかった。
「彼らをこれからも支援していきたい」
そんな気持ちを新たにさせられた、心の温まる食事会だった。

*ヌーhiron様、ツァンパコネコネまにあ様、情報ありがとうございました!

「聖地チベット展」最終日をチベット人と参観(2)

さて、「聖地チベット展」参観後の懇親会。時間ぎりぎりで到着してみたら私たちが最後だった。
「あれ? 人数増えてる?」
と、よく見たら、赤い袈裟を着たお坊さんたちが加わっていた。そう言えば展覧会会場で、口を何かでふさぎながら(なぜ口をふさいでいたかということについてはこちらの記事をご参照ください)参観していたお姿をお見かけした。
「ブータンの一番大きなお寺のお坊さんだそうですよ」
と、今回の主催者が言う。会場で見た時はチベット人かと思ったが、ブータン人だったか。ブータンの方とお会いするのはこれが初めてのことだった。
お坊さんたちは食事が終わったらすぐに引き揚げたが、私たちは食後が本番だ。「聖地チベット展」の感想を話し合う。

今回参加してくださったチベット人は、
・Around 30?の男性。インド・ダラムサラの亡命社会出身。
・Around 20の女性。中国支配下の“チベット自治区”出身。
の2人。チベット人以外にも、チベットを知り尽くした作家・渡辺一枝さんらが参加された。

男性の方は2度目の参観だったが、2度目となる今回は前回にも増して時間をかけたという(それより遅れた私たちって、一体・・・)。
彼の感想は
悔しい、悲しい
ということだった。
まず、このブログでも既に何度か書いてきたことだが、仏様が丸裸で展示されていたことが悲しかったという。
それ以外にも、
仏像があるのに、お坊さんがいなかった
並べ方がめちゃめちゃだった
展示の冒頭がソンツェン・ガムポのことから始まっていたけれど、チベットはいきなりソンツェン・ガムポから始まったのではない。チベットの歴史も仏教も、ソンツェン・ガムポより前からあったのです
「中国からお妃を迎えたソンツェン・ガムポを最初にもってくることで、中国と結び付けたかったのでしょうね」(一枝さん)
などと、悔しさをにじませながら語ってくれた。

女の子の方は、日本に来た経緯について話題が集中しがちだったが、その中で誰かが、
「今回見た仏像の中で、本土で見たことがあるものってありましたか?」
と彼女に尋ねた。彼女は「うーん・・・」と首をかしげる。と、一枝さんがこう言った。
「仏像の前に立ったことがあったとしても、見ていないかもね。チベットでは仏様の顔をまじまじと見たりしないから
――そう。
そこも「聖地チベット展」の問題の一つなのだ。
日本でも仏教徒なら仏様の前では手を合わせて頭を下げるが、チベットでは仏様のお顔を見ることすら避けるのである。
然るに、この展覧会では、展示する方は仏様を美術品としてしか扱わず、見る方もそれにまんまとはまって、仏様を展示品として、好奇の対象としてまじまじとガン見してしまう。そこにはやはり、信仰の対象に対する敬意が欠如してしまっている。

チベット展に対する印象のほか、亡命社会で育ったチベット人と中国支配下のチベット本土で育ったチベット人との微妙な差も感じられた。
例えば、
「こんな会に参加して大丈夫?」
「日本にも中国の公安が少なからず紛れ込んでいるようだけど、怖くない?」
と聞かれた本土出身の女の子は
「怖いです」
と認める。試しに私は、亡命社会出身の男性に「あなたはどうですか?」と振ってみたが、
「そういうことは全然ないです」
との答えだった。

思えば、私の知り合いのチベット人は、これまでほとんどが亡命社会出身者で、本土出身のチベット人と話したことは殆ど無かった。
今後は本土出身のチベット人と知り合いになることもあるだろうが、そうした微妙な差を考えつつ接する必要があるかもしれない。

同展に対するチベットの方の考え方を聞くことができたのも貴重だったが、今回は「チベットの方との親交」そのものが大きな収穫だった。男性の方とは既知の仲であるが、これまでよりも何倍も彼を「チベット人として」感じることができた。

そして、一番強く感じたことは、
チベット人の方に心が向いていないチベット支援などあり得ない。自己満足だけでやっているのならそんなものはチベット支援ではない
ということの再認識だった。至極当たり前のことだが、一番大切なことである。

自分がチベット支援をする上での大きな指標を確認できた思いだった。

     チベット人と共に・・・
     チベットと共に・・・

「聖地チベット展」最終日をチベット人と参観(1)

チベット人やチベット支援者を中心に大ひんしゅくを買った「聖地チベット展」がこの日、やっと最終日を迎えた。チベットサポート仲間の知人に誘われたこともあり、私は同展最終日をチベット人と参観する企画に参加した。

混雑はイベント最終日の常である。私が参加した企画は混雑のピークを避けるため?に午前10時という割と早い時間の集合で始まったが、それでも入り口には既に行列ができていて、中に入るまでに10分ほどかかった。午後はどのくらい混雑したやら・・・。
10人以上で入場したが、中に入ると人波の中、案の定バラバラに。私は上記の知人とペアでWツッコミ体制にて参観する。
会場内ではチベットの方とご一緒できなかったのが残念。

ツッコミ入れつつの参観はにもやったことがあり、知人も既に何回か参観していたのでツッコミどころは分かっており、人の多さもあって少しばかり端折りながらの参観になってしまったが、今回も新たなツッコミどころ(ということは、前回気づかなかった、見落としていた、気に留めていなかったということですね・・・)が出るわ出るわ。

『中国、インド、ネパールの影響』とか書かれていますけど、中国系の仏像って展示されてないですよね
「あ、この間来たときに音声ガイドを借りて聞いたら、『実は(この展覧会では)中国の仏像はとても少ないです』って白状していました(笑)」
(その他、知人は音声ガイドについて『何か』『どこか』という曖昧な言い方や、やたらと過去形が使われていたことにツッコミを入れていた)

よく見ると――この仏様の顔、厚化粧で胴体と色がアンバランスですね
(これに関しては、『チベット仏教ではお坊さんが仏像に寄進された金粉を上から塗っていく習慣があるが、塗るのは着衣が無く露わになっている顔だけなのでこうなった』との説明が後の懇談会であった。ちなみに、以前にも書いたがチベット仏教では仏像に衣服を着せるのが正しい安置のし方であり、丸裸のままという同展の展示方法はチベット仏教の伝統に反する神仏への侮辱である

おっぱい丸出しだし、お腹丸出しだし・・・
(上記参照)

“チベット仏教”ではなく“チベット密教”とばかり表現しているのも気になりますね。チベット仏教は顕密両面の要素があるのに、これでは来館者に『チベット仏教=密教』っていう誤解を植え付けてしまいませんかね
(ついでに言うと『父母仏』=男尊(父)と女尊(母)が抱き合って何かをしている=がやたら強調されているように思われたのも気になった)

(十一面千手千眼観音菩薩立像を裏から見ながら)
こうやって裏側から仏様を見るなんて、本来あり得ないですよね
しかも木のつっかい棒で支えられていますし・・・

そして例の「盗作地図」の前でほぼ前回同様のツッコミを入れた後、2階へ。

「元・明・清の往来」の部分では、またまた前回同様のツッコミを入れたほか、新たなツッコミ(=うかつにも前回スルーしてしまっていた)が!

ハ?? 何これ? 『明代の永楽帝はチベット仏教の各宗派を並立させて均衡を保たせる政策をとった』って!?
そう!!
あたかも明国がチベットをコントロールしていたかのような書き方だが、逆に永楽帝はモンゴルが実現していたような特定の宗派との結びつきを得られず、チベットに影響力を及ぼせていなかった、というのが真相では?

唯一2人してはしゃいだのが、チベット医学のタンカ「四部医典タンカ・樹木比喩図」の部分。というのも、前日チベット芸術フォーラムの講演会で長野のチベット医・小川康氏がこのタンカについて実に面白く、興味深いお話があったのだ(但し、私はスタッフとして写真撮影に集中していて断片的にしかお話を理解できずにいた)。
でも、こういうチベット医学が亜流のようにしか説明されていないのは問題ですよね」(知人)
同感・・・

最後に、前回は見なかったビデオ上演を鑑賞。知人がある話を聞いていて、それってどこだ?2人して目を皿にしていたが・・・
「あ、ここ!!」
ポタラ宮内部の映像が流れる中、そこにダライ・ラマ14世猊下のお写真が!!
現在、中国共産党の占拠下に置かれているチベット本国では法皇様のお写真は所持すら禁止されている。それが映っているということは相当古いフィルムである――いや、ツッコミどころはそこではない。当展覧会がひたすらタブーとしていたダライ・ラマ14世猊下のお顔が思わぬところで出てしまっているあたり、主催者側もおマヌケである。

ようやく全て見終わり、物販エリアへ。しかし、ここではもうツッコミをする余裕が無くなってきた。余りの人の多さに気分が悪くなってきたのだ(いや、気分が悪くなった原因は人の多さ以外にもあったに違いない)。人いきれからくる暑苦しさもあるが、それだけだろうか・・・
「酸欠ですか?」
企画参加者の知人(上記の方とは別の人)が言う。

――そうか。
天空の聖地チベットの展示を見ているうちに酸欠・・・
って、
    高山病ですか(笑)

(次回に続く)

「聖地チベット展」を参観して(まとめ)

6回にわたって「聖地チベット展」参観レビューを書いてきたが、ここでまとめを。

第6回の記事でアンケートに書いた内容が、私の率直な感想である。

 ・信仰の対象としての敬意が払われていない
 ・展示物があった寺院などがどうなったのか説明されていない
 ・チベットの現状について一切触れられていない

(1)信仰の対象としての敬意が払われていない

同展を参観した方々のブログには、
「(芸術品として)素晴らしかった」
という声が多く掲載されている。確かに、同展の出品物はどれも一級品であり、心を奪われる美しさがあることは認める。
しかし、繰り返し書いてきたように、丸裸で展示されている仏様にくさい息がかかってしまうような展示のし方がされているなど、チベット仏教を信仰する者にとっては考えられないやり方で展示されている。
そもそも、当の展覧会を持ち込んだ連中が「宗教はアヘン」という考え方なのだ。こういう風になってしまうのもある意味自然なことか。

この展覧会は、単純に美を鑑賞する、という態度で見ていいものなのか。
それでは足りないだろう。
なぜなら、同展の出品物は信仰の対象だからだ。ほんの少しでも構わない。信仰の心、もしくは神仏を敬う心、あるいは宗教的な関心を持って見る必要があるのではないか。
そうでなければ、信仰心を失った日本人(私もチベット仏教と邂逅するまではその一人だったが)が、この展覧会を持ち込んだ中国当局の罠にまんまとかかってお金を払ってしまった、という図式になりかねない。

(2)展示物があった寺院などがどうなったのか説明されていない

まあ、真実の通りに「人民解放軍はチベットに6000以上あった寺院の99.9%を破壊し、そこにあった仏像・仏具を破壊もしくは略奪していった。ここに展示されているのは、そうした仏像の一部です」なんて書けないわな(笑)。
有難みを感じさせる仏様たちだが、実はそうした侵略・破壊の血に染まっているという風にも言うことができるのである。

(3)チベットの現状について一切触れられていない

これに関しては、連載第6回で

「チベットは中国によって平和的に解放された。ダライ・ラマは悪者である」などと本気で考える者は日本人の中にはいない(真実をきちんと知っているか、チベットことを全く知らないかのいずれか)訳で、この展覧会を日本に持ち込んだ連中の歴史観でこの時代を語れば展覧会も信用を失ってしまう。そこで20世紀後半の歴史には一切触れないでおこうということにした――といったところか。

と書いたとおりである。
危ないのは、上記の「チベットことを全く知らない」方。チベット人とチベット仏教は中国共産党の侵略で虐げられているにもかかわらず、「チベット仏教は中国の統治下で手厚く保護されている」という誤解を植え付けられかねない。

ある方が「思ったほどプロパガンダ色が無くて拍子抜けした」という感想を述べていた。確かに、多くの部分は客観的なことを淡々と述べているように見える。しかし、「語らないことによるプロパガンダ」というのもあり得るのではないだろうか。

※            ※            ※

最後に、この展覧会は見るべきか見ざるべきか。

見に行きたいという方を無理やり止める権利はありません。見に行きたいのであれば行ってください。但し、行くのであれば上記の観点を心の片隅にでも置いていただければと思う。

「聖地チベット展」を参観して(6)

展示の最終部分は「チベットの暮らし」。しかし、展示されているのはチャム(チベットのオペラ)の衣装や楽器、装身具といったものばかり。
おかしいな――ラサのチベット博物館には衣服とか、もっとチベット人の“暮らし”が垣間見えるものがあったはずなのだが・・・
恐らくは、アートとしてビジュアル的に見栄えのあるものだけを選んできたのではないだろうか。
いずれにせよ、これでは「チベットの芸能・芸術」は垣間見えても、「チベットの暮らし」は全く見えてこない。

さて、参観を終えて出口へ。しっかりと物販に誘導される仕組みになっている。物販の売り子は皆、中国人だ。
物販スペースに入るとすぐに、書籍のコーナーがある。仏教に関するもののほか、地図を盗作(あれは『参考』で済むレベルではない)しておきながら図録の「参考文献」にはその書名が掲載されていない「チベット―全チベット文化圏完全ガイド(旅行人ノート)」もなぜか置かれていた。
でも、ダライ・ラマ法王に関する本は無いですね
この件に関しては、物販ばかりではない。展示でも、「ダライ・ラマ」というチベット指導者の名前は「ダライラマ1世坐像」のあたりで使われている以外は一切使われていない。図録の年表には「ダライラマの時代」という時代区分がされているものの、その年表も「ダライラマ14世生まれる(1935)」というよく分からない所で終わっている
「チベットは中国によって平和的に解放された。ダライ・ラマは悪者である」などと本気で考える者は日本人の中にはいない(真実をきちんと知っているか、チベットことを全く知らないかのいずれか)訳で、この展覧会を日本に持ち込んだ連中の歴史観でこの時代を語れば展覧会も信用を失ってしまう。そこで20世紀後半の歴史には一切触れないでおこうということにした――といったところか。

その他、仏像・仏具などが売られていたが、質の低いものが多い、チベット製ではなく中国製のものが多い、偽物が売られている、などと聞いていたので殆ど見向きもしなかった。

さて、これで参観終了。表に出て、抗議活動をしている顔見知りのチベットサポーターと言葉を交わす。
「アンケート書いてきましたか?」
「え?アンケートありましたっけ?」
「出口にありますよ! 戻って書いてきて下さい」
出口から再入場するのは本来、マナーに欠けた行為だが、やはりここはきちんと意見しないと、と思い、出口の内側に入ってアンケートに記入する。
まず、「この展覧会はどうでしたか?」という質問項目だが
  □とても良い □良い □普通 □良くない
なぜか「とても良い」はあって「とても良くない」は無かったので、私は「良くない」の上に「とても」と書き足した上でそこにチェックを入れた。
そして、「感想を具体的に書いてください」との項目には
  信仰の対象としての敬意が払われていない
  展示物があった寺院などがどうなったのか説明されていない
  チベットの現状について一切触れられていない

などと、同展を見て感じたことを率直に書いた。
そして、それを回収箱の中に・・・
いや、それでは面白くない。私は、記入済みの用紙を回収箱の中に入れることはせず、ここを通った人の目に入るように、回収箱の上に置いて会場を後にした

「聖地チベット展」を参観して(5)

地図などにツッコミを入れ続けてブースを出たところで、1階部分は終了。2階へと移動する。

1階部分は金色の仏像を中心とした展示だった(中にはどう考えてもとってつけたように修繕したような不自然なものもあったが)一方、2階部分は金色のみにとどまらず、赤が印象的なタンカ(仏教画)や仏具などの展示も行われていた。

タンカの中には、宗教画のほか、チベット医学に関するものもある。
チベット医学――お世話になったことあるんですよね・・・
来年1月10日に、このタンカをテーマに講演会がありますので、興味があればぜひ

また、蓮の花を開くと仏像が出てくるという、装飾の細やかな仏具があったが、名前を見ると「蓮マンダラ」。
曼荼羅なら、上から見た図が分かるような展示をしてほしんですけれど
こういうところにも、仏様を信仰の対象としてではなくアートとしか扱っていない主催者側の態度が垣間見える。

仏具の中には「香炉」があったが、
チベット仏教の香炉ってどんな使い方をすると思います? 仏様を拝む際に、くさい息が仏様にかからないように、香炉から出る煙で息を清めるんです。でも、ここでは仏様にくさい息がかかってしまうような展示のし方がされてしまていますよね
この展覧会を参観したチベット人の方が感じたという違和感を、いいタイミングと感じて同行者に語り伝えた。

そして中には、どこかの壁からひっぺがしてきたかのような石仏などもあり、
寺を破壊しない限り、ここに在ることはあり得ないんじゃないか?
などと思わされた。

やはり、「信仰の対象」であるはずの仏様への敬意が感じられない展示である。

そして、仏教関連の部分が終わり、その先には――嫌な文字が目に入ってきた。
元・明・清との往来
中身を見るまでもなく、中国のチベット侵略を正当化する内容であることは明らかだ。

さて、まず元の部分でツッコミ開始。この部分では主に、クビライとパクパの関係に重点が置かれているが、
中国側は『元』と言っていますけれど、モンゴル帝国がチベットに影響力を及ぼし始めるのは、(モンゴルが中原を支配する以前の)オゴディの頃のことなんですよ。それにモンゴルとチベットの関係は支配・被支配というよりはお寺と檀家の関係でした。そもそもモンゴル帝国は(元も含めて)モンゴルであって中国ではないので、モンゴルとの関係は中国のチベット支配を正当化する根拠とはなりません

続いて、明との関係。ここではチベット人が明朝から封号を授けられたことと、チベットに明代の陶磁器(景徳鎮等)贈られたことの展示・・・
以上、終わり。
明国とチベットの関係がモンゴル帝国や満洲清朝のものと比べて希薄であったことを暴露しているようなものだった。
封号やら朝貢貿易ということなら当時の日本(足利幕府)と明国の間でも行われていました。これを以て『チベットは中国と不可分』という考え方の根拠になるのであれば、『日本と中国は不可分』ということも成り立ってしまうのです

最後は、清との関係。ここでは清朝皇帝の別荘地であり、外八廟と呼ばれるチベット寺院群のある中国河北省・承徳の蔵品が展示されている。
チベットと清国の関係も、モンゴルと同じお寺と檀家の関係でした。しかしその関係も、20世紀初めの一時期に清軍がラサを侵略し、ダライ・ラマ13世が亡命するに至って崩壊します。ところがその直後に清国は滅亡し、ダライ・ラマ13世が帰還して独立を宣言したんですよ

当サイトの「中国官製『チベットの50年』の虚構」でも既に論破しているが、中国サイドが主張する「チベットは中国と不可分」の根拠は余りに脆弱すぎる。