多くの仏像が「展示」されている(本来仏像は『安置』されるべきものである、との思いからの皮肉)大部屋から1階部分最後のブースへ。ブースの壁には「チベット文化圏」の大きな地図が展示されていた。私に言わせれば「チベット文化圏」と言うよりは「チベット」そのものなのだが・・・。
「カズさんはこの地図のどこに行ったのですか?」
と、同行者に尋ねられ、
「えーと、2001年は西寧からゴルムド、ラサと行って、そこから(中国・四川省の)成都へ。2007年は(中国・雲南省の)昆明から・・・」
と指差しながら説明し、それから次の行き先へと指を動かした時、
「あれ?」
あることに気がつき、地図全体を見回してみた。
「ハハハ!」
思わず大きな笑い声が出てしまった。
「これって、『チベット―全チベット文化圏完全ガイド(旅行人ノート)』の地図丸写しじゃないか!」
先ほど私が指でたどった先には「ギェルタン」そして「ジョル」と書かれていたのだ。「ギェルタン」「ジョル」はそれぞれ、中国側が勝手につけた「シャングリラ」「徳欽」の名前で知られているが、「旅行人ノート」では正しく「ギェルタン」「ジョル」と記載されている。一方、「聖地チベット展」の地図では「タルツェド」が中国名の「康定」と書かれているが、帰宅して「旅行人ノート」の地図を見るとやはり、なぜだかこの街に関しては「タルツェド」ではなく「康定」とのみ記載されているではないか。
その他にも、共通点はいろいろある。
・「チベット文化圏界」のラインが短い縦線を並べる形で表現されている。また、「チベット文化圏界」という呼称も全く同一である。
・青海省・西寧がチベット文化圏に含まれていない。(西寧は“青海省”がでっち上げられた際に甘粛省から編入された経緯があり、確かにチベット文化圏とは言えないが、近所のルシャル=クンプム寺のある街=はチベット文化圏である)
共通点が多いどころか、何から何まで同じではないか。パクリと言ってもいいほどだ。
これだけそっくりであるにもかかわらず、同展図録の「参考文献」中に「旅行人ノート」の記載は無い。同書筆者が自身のブログで「『旅行人ノート チベット』を参考にしすぎじゃないか」と苦言を呈していることからも、断り無く引用されていることが分かる。有名なチベットサポーターである氏の名前や著書名は掲載しづらい、という事情もあるのだろうが、ここは中国ではなく、日本なのだから、中国で横行する知的財産権の侵害を日本に持ち込まないでいただきたい。
まあ、私もチベット旅行記の地図を作成する際に同書の地図を参考にしてはいるが、ここまで露骨なパクリはしていないつもりである。
いや待て。「何から何まで同じ」ではないぞ。
「旅行人ノート」の地図には記載されていて、同展の地図には記載されていない文字がある。
「ダラムサラ」という地名だ。
チベット亡命政府のある地の名前を(恐らく意図的に)記載していない点、明らかに政治的な意図が感じられる。










~8月29日
















